第8話 天使すぎる従姉妹に動揺中!
なんとかリリアーヌをソファまで誘導し、隣り合わせで座ることに成功した――が、状況は芳しくない。
「…………っ」
リリアーヌは、まるで飢えた肉食獣の隣に無理やり置かれた、小刻みに震える仔ウサギのようだった。
私が「さあ、食べて?」と勧めたクッキーを、彼女は震える両手で大事に持ち、ハムスターのような速度で少しずつ、けれど拒絶すれば何をされるか分からないという強迫観念からか、必死に齧っている。
「……は、ひ……おいひいです、おねえさま……っ」
口いっぱいにクッキーを含みながら、涙目で懸命に紡がれる肯定の言葉。
その瞳は常に、私の眉間の皺一本、口角のわずかなピクリという動きも見逃すまいと、鏡を覗き込むような切実さで私の顔色を伺っている。
私が少し姿勢を正そうと、ドレスの裾に触れて指一本動かすたびに、彼女は「ひっ!」と短く悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。
あまりの怯えように、彼女が持っているクッキーからポロポロと食べカスがこぼれ落ちる。すると彼女は「あわわ」と顔を真っ青にし、それを隠すように両手で口元を覆って、さらに縮こまってしまった。
「ご、ごめんなさいっ! すぐ、すぐに拾いますから……っ、だから、そんな怖い顔で……っ!」
(怖い顔!? 嘘、私、今これ以上ないくらい慈愛の聖母スマイルを浮かべてるはずなんだけど!?)
どうやら私の「愛嬌」は、これまでの悪行という分厚いフィルターを通すと、獲物をじっくりと料理しようとする醜悪な笑みに変換されてしまっているらしい。
彼女はもう、次に私が口を開いたら「そのクッキーの味はどう? 毒の味はするかしら?」とでも言われるのを待っているような、絶望の待機状態だった。
(……やばい。これじゃ、ただの処刑前のお食事タイムじゃない!)
私は焦った。なんとか場を和ませようと、私は隣に座るヒロインをまじまじと見つめた。そして――私は絶句した。
(待って。……いや、待って。可愛すぎない!?)
至近距離で見るリリアーヌ・ヴァレンティは、ドット絵やイラストの数倍――いや、数億倍の破壊力を持っていた。透き通るような白磁の肌。まつ毛の影が頬に落ちるほど長く、潤んだ瞳は宝石を溶かしたかのよう。
齧りかけのクッキーを口に含むその姿は、神が全精力を注いで作り上げた「天使の化身」そのものだった。
(なにこれ。CG? フィルターかかってる? この世の解像度じゃないんだけど!?)
前世で「愛嬌」を武器に多くの男を狂わせてきた私だが、これほどの「純粋な美」を前にすると、全ステータスが「無」に帰していくのがわかる。あまりの尊さに、私は気づけばリリアーヌを無言で、ガン見していた。
「……あ、あの、お姉様……?」
リリアーヌの声が震える。
彼女の視点からすれば、かつて自分を虐め抜いた
「そんなに……じっと見られると……。私、何か、食べ方が……はしたなかったでしょうか……っ」
彼女の大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。
「ひぅ……ごめんなさい……っ! すぐ、すぐに片付けますから! 視界に入って、ごめんなさいぃ……!」
(違う! 違うのよリリアーヌ! 嫌悪じゃないの! 限界オタクの眼差しなのよ!!)
私は慌てて、前世の営業スマイルを120%の出力で叩き込んだ。
「違うの、リリアーヌ! 怒ってるんじゃないわ! ただ、あんまりにも……あんまりにもあなたが可愛くて、ちょっと魂が異世界に飛んでただけなのよ!!」
「え……?」
「見て、このまつ毛! 植毛!? じゃないわよね!? 自前なの!? この肌も、ゆで卵なの!? お姉様、感動しすぎて語彙力が死滅したわ!!」
私は勢い余って、リリアーヌの両肩をガシッと掴んだ。
【愛嬌テクニック:その四「熱烈な全肯定」】。
相手の長所を、IQを三桁ほど下げて褒めちぎる。
「リリアーヌ、あなたは天使よ! 聖女候補? 違うわ、あなたは『美の化身』よ! ああ、もう、食べてる姿も小動物みたいで……食べちゃいたいわ!!」
「た、食べ……!? 食べられる……っ!? 私、お姉様に食べられちゃうんですかぁ……っ!!」
「比喩よ! 圧倒的な比喩!!」
背後で、マーサの「やれやれ」という深いため息が聞こえる。
「お嬢様、落ち着いてください。その愛嬌の使い方は、もはや新手のナンパです。リリアーヌ様が恐怖のあまり、失神寸前です」
見れば、リリアーヌは顔を真っ赤にし、目を目一杯回して「あわわ」と崩れ落ちかけていた。
(あ、やりすぎた……)
でも、その時。リリアーヌが、震える手で私のドレスの裾をぎゅっと、小さく掴んだ。
「……本当、ですか?」
「え?」
「お姉様……私のこと、嫌いじゃ、ないんですか……?」
上目遣いで、消え入りそうな声で問われる。その破壊力は、私の前世のテクニックなんて鼻で笑うほど強力だった。
(……はい、落ちました。私がリリアーヌに落ちました)
生存戦略のために仲良くするはずが、気づけば私の心は「この天使を一生守り抜く」という、原作を180度無視した使命感で燃え上がっていた。
ソファの柔らかなクッションに沈み込みながら、私はそっと手を握り返す。
外の光が二人を包み、室内には甘い焼き菓子の香りと、初めて交わされる小さな信頼の空気が漂った――
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