高校最後の国語のテスト

まもる

国語のテストを思い出す

 高校最後の国語のテストが返されたときを思い出そう。

 所属が理系クラスだったので、ほとんどの人がその後、文学や古典に触れる機会はほぼない。学問を広く浅く学べる高校生活はこれまでだ、とか思ったりしていた。

 三年通ったおんぼろ公立高校は窓は薄くガタガタで、同様に木製引き戸もガタガタであった。小中高まで同じような教室で授業を受けてきたが、それもこれまでだ。一クラス約四十人。高さの様々な机と椅子が人数分置かれ、教室の床特有の正方形の木目が敷き詰められている。これらは今後どこかで目にする機会はあるのだろうか。

 おそらく、学校での思い出の舞台としてのみ出現するのだろう。そんな情景の中に入り込む。





 このテスト問題にはカタカナの果物を漢字で三個書くという問題があった。十個程単語があり、その中から自信があるものを三個選んで書くことができた。テストを解いている最中、この問題はあってもなくてもいい、おまけチャンスお遊び問題であることを確信していた。だって、漢字の並びなんて自身のひらめきによって起こされるものではない。いつものテスト勉強をしたことで解けるようになるものでもない。常識力とでも言うか、普段の日常生活での観察力が試される。

 


 クセが強いことで幅を利かせる現代国語の東海林先生は、一人ひとりに一言コメントをつけてテストを返していた。出席番号が遅い私はラジオを聞き流すようにくつろぎながら、先生の他の生徒へのコメントに耳を傾けていた。 

「○○さんは文章力の民」

 どうやらこの人は記述問題を上手くやったらしい。私も何かしら書いていただろうが、問いに正確に答え、理路整然とした文章であった自信は全くなかった。

「△△さんはおもしろの民」 

 どうやらこの人はおもしろいらしい。点数がおもしろいのか、解答がおもしろいのかどっちなのだろうか。みなさん真面目に勉強していないだろうから、前者でも不思議はないと感じた。

「✕✕さんは想像力の民」

 どうやらこの人は漢字問題を上手くやったらしい。続くコメントから、正解ではないにしろ、その果物を連想させる漢字の並びで回答していたことがわかった。

 生徒たちはこの三つに分類された。先生がこのようであるから、受け取る生徒の反応もさまざまに見られた。恥ずかしそうにしていたり、口を押さえて笑いを我慢していたり、友達に見せに行ったり。もちろん淡々としていた人もいた。


 正確には数えていなかったが、おもしろの民が多いように感じていた。先生にとって生徒が点数をもらうために必死に絞り出した回答は何であれ、稚拙でくすぐったい物に思えていたのだろう。普段から高めな先生の声の調子は、特別そんな雰囲気に合っていると思った。

 着々と自分の番号が近づいていき、私は一体どれに分類されるのだろう、と少しどきどきした。





 そしていざ、私が返される番、見てきたみんなと同じような時間配分でテストを受け取って帰ろうとした。しかし、一向に私の手に用紙は置かれない。不思議に思い、ふと先生を見ると、細かく震えながら教壇の机に伏して笑っていた。こんな例はなかったから、どうするべきか戸惑った。とりあえずそこからまた数秒待ってから、顔を上げた先生に

「あなたはおもしろの民」

と言われてテストは返却された。 


 私は違和感を覚えてから先生を目視したあたりからわかるように、人とよく目を合わせる人ではない。一瞬、このことを先生が揶揄って笑ったのかと思ったが、違うようだ。というのは、私の周りの席の人は戻った私を体ごと見てきた。私はよくわからないまま恥ずかしくなって何も気にしないように座っていたが、彼らはきっと私のテストの回答内容を知りたかったのだろう。つまりは同様にして、私の回答が他の人とは異なる要素を含んでいたことに先生は笑っていたと推察される。そして私はその箇所について見当があった。





 私の例の漢字問題解答欄には「柘木呂 檸文 蜜星 ムリ」と書かれていた。点数なし。選んだ三単語はザクロ、レモン、ミカンである。

 ザクロはなんとなく見た機会が多い気がしたから書けると思った。だが木偏がある、ということ以外明確に覚えていなかったため書けなかった。しかしきっと読みは「ザクロ」になるだろうから、完成度には満足していた。

 レモンは直近の授業で何度も漢字で出てきたので書けると思った。だがまともにノートに黒板を写したことがなかったため書けなかった。「文」を「モン」と読ませようとするのは、なかなか趣のある技ではないだろうか。

 ミカンはボカロPのorangestarさんを知っていて書けると思った。だが漢字表記「蜜柑星」に気を取られ書けなかった。どうしても正解であろう真ん中の漢字が思い出せなかったため、仕方なく書いたのだった。

 テスト中、私は三つとも絶対に正解ではないことを知っていた。点は与えられることはないから、この問題は捨て問だったとして、ムリ、と書いた。答えがわかるはずもない、という苛立ちを先生に示したかった部分もある。 

 


 正答はもちろん「柘榴、檸檬、蜜柑」である。どれも上手い具合に一字を間違えている。

 完答六点の問題だった。なんらかしらの異変が起きて、この三単語を全体で捉えて三点もらいたかった。そうしたら最後の、ムリ、は余計になってしまうが、これは汚れだと必死に弁明する。最初は漢字で「無理」と書こうとしたが、画数が多いのがなんだか嫌だったし、この言い訳ができないと考えたのだった。


 



 ザクロの漢字が丸でもいいくらい惜しかったからか。

 レモンのモンにはもっと適切な漢字があっただろうからか。

 あからさまにボカロPに引っ張られていることか。 

 はたまたテスト回答に追加の四つ目として「ムリ」が書かれたことか。

 どれが先生の心に刺さったのかは私にはわからず終いだ。

 個人的にはボカロPだと気づかれることが一番恥ずかしい。音楽の趣味とはいつでも秘密にしておきたいものである。


 理由をいろいろ模索してみたが、順当に考えればムリ、と書いたことだろう。人は突飛なことや常識はずれなことに相対すると失笑してしまうものだ。

 基本的に答案用紙には、問いに対する答えのみが許可される。求められた書き方で、分量で。テストのマナー破りの不名誉なバツであった部分には、眼を瞑っておきたい。







 思い返せば、教育機関の区切りの頃に先生に笑ってもらうことには経験があった。



 中学三年生、高校入試の答案再現のため、通っていた塾に訪れた。全体的な結果の方に関して、強い手応えを感じた訳ではなかったため、不安そうにしていた。良くない結果であったら心をかけてくれた講師たちに悪いと感じたことからも、この行動を起こした。

 一緒に訪れた友人は塾長と共に答案再現を進めていて、興奮したままに褒められていた。元々友人は塾長から強く期待されていたし、成績は安定して良かった。そんな彼らを横目に一人で答案再現をしていて、やっぱり悲しい気持ちになっていた。


 国語に関しては、自分が書いた作文の内容を一切覚えていなかった。何も再現しないのは悪いと思い、始めの方を少し書いて中は空欄のまま終わりと推定される部分に「。」を書いた。その後五教科まとめて加藤先生に出した。

 パラパラとめくってから、先生は私の答案再現の紙を顔に近づけて、「あんたねえ!」と笑っていた。やはり、国語の作文再現が適当過ぎたことに呆れられたのか。私は先生に謝りながら経緯を説明した。

「いいのいいの、大丈夫」と、先生は私の肩をバシバシ叩いた。

 最後だけに「。」を書くのはとてもあなたらしい、ということで笑ったらしい。聞いて私は、勉強以外での自分の個性が認められたような気がして、心が晴れやかになりながらも照れくさかったのを覚えている。

 ちなみにこの高校入試結果によって、上記の高校に入れたのだ。


 






 

 一桁月の冬の思い出。冷たい空気に囲まれながら、薄い陽射しに当てられてはちらちらと輝く。手に取ればほろほろと崩れていくが、なくなってしまうことはない。

 文章でなくても伝わる想いがある。至るところに、掬いきれない程に、勿体ないくらいに、ばら蒔かれている。どんな選択をとっても、どれもとらないとしても、あなたの想いは表出する。

 何が言いたいか。そう、国語は楽しいんだよ。


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