七、ある二月の夜

 喋らない、動かない、目を開けない。

 寝られないならそうしなければならない。


 仰向けになって耳を澄ませると、時計の針の音がする。時計はいつだってそこにあるし、音を出しているが、普段は聞こえるものではないのだ。夜、静かな部屋であるから、聞こえる。

 そうして、自身の内部に耳を澄ませると、耳鳴りがした。ジー、だか、キーだか、高い音が続いている。こういうのは一度気になってしまうと止まらない。更に大きくなったような音が鳴り響く。うるさくて、耳の電源を切りたい。耳を塞いでみても止まることはなかったから、自分の血の流れの音なのではないかと考えた。

 目を開けると、常夜灯の明かりがあった。そのおかげで、部屋の陰影がよくわかる。特に暗っぽい所にいるとき、テレビ画面のような光の粒子が見える。この正体も、お母さんが教えてくれないことの一つだった。家具も人も空間も、粉の筆で塗り潰された平面のように感じる。こういうときに、この世界は作り物ではないかと思うのだ。その粒は赤、緑、青の色がある。膨大にあるそれを1粒として認識しようとすると、視線からするっと通り抜けてしまう。それでも目を合わせようとすることをやめなかった。



 今日も何かができなかったのか、お母さんの気に触れて玄関の外に出された。それは2時間程であって、普段布団に入れられる時間には部屋に戻された。

 最終的には中に入れられた訳だが、結局何が許された結果なのかわからなかった。ずっと、謝ってはいたのに、それまでとそれからで何が変わっているように見えたのだろう。






 時計を見てみると2時半になっていた。もうこのままじゃ寝れないな。何か別のことをしたい。


 そうだ、外に出よう。

 我ながらいい思いつきだ。寝られない無駄な時間を、意味のある時間にしよう。そうと決めたら動き出す。音を立てないように起き上がり、寝室を出てとりあえず上着を着た。外は寒いだろうから。玄関に来て靴を履いた。裸足のままだからか、中がじゃりじゃりするのを感じた。鍵を外してから、一番慎重にして重い金属製のドアを開けて出てきた。そしてまた慎重にドアを閉めた。少しだけ、きぃと音がなった。

 初めてこんなにわくわくしながら部屋を出てきたかもしれない。うまくことが進んで声を出して笑ってしまいたい気分になった。



 そこで今まで何十回も夜中に外に出されてきて、なんでずっと玄関の側から動かなかったのか、と考えたが裸足であるからだと思い至った。そして靴を履いていれば、どこへでもいける気がする。それに上着も着れば、外に出ることに何の不満もない。それは静かで心地よかった。

 裸足であること、上着がないこと。それが玄関扉に繋ぎ止められる鎖だった。外に出ていって欲しいなら、それくらいは用意される必要がある。誰かを外に追いやって帰って来ないようにさせたいなら、それくらいはする必要がある。






 明かりのない階段をゆっくりと、慎重に下りていった。建物に囲まれてない外は全く風がなくて、また静かであった。はっきりと澄んだ、冷たい空気があった。たまに、どこか近くの道路を走っていく車の音がする。特に行き場所は決めていなかった。そのまま付近を歩いてみて、誰かが忘れていったサッカーボールを見つけてから、公園に行ってみようと思った。


 その公園まで歩いていって、誰ともすれ違わなかった。明かりのついている家はなくて、みんな寝ているのだろう。公園を取り囲むようにした隅の方で、3本の電灯が弱々しく点いている。誰も訪れる者がいないままでもそうしていたようだ。静かで、しんとした空気がある。

 陽が出ている頃に訪れるときには、この公園に人がいないなんていうことはなかった。だから、普段の騒がしさがない姿は新しい発見だった。中央にある木は影のみでできている。滑り台もブランコもそうだった。これらの遊具は展示物のように佇んでいた。なんだか迫力があって、眺めるだけ眺めた。

 少し歩き回ってから1本の電灯の前に来た。やはり明るいというのは安心材料になるのかもしれない。そばには集められた落ち葉が腰くらいの山となっていた。その場を見上げてみると真っ黒な空であった。月はどこかに絶対あるはずなのに見えない。そのまま探すように少し移動していく。


「わぁっ!」


 すると突然、夜空から拳ほどの光の球が雫のように垂れ落ちてきた。顔に向かって一直線で落ちてくるので、咄嗟に手で掴んで防ごうとする。そんな手もすり抜けてしまったのだろうか、開いていた目をいっぱいにするように入ってきた。眩しくて目をぎゅっと閉じた。光の質量による衝撃で体が傾き、仰向けに倒れた。かしゃかしゃと葉っぱが背中で潰されていく音がする。

 本当にびっくりして、そのままの状態で目を瞑ったままでいた。何が起こったんだろう。自分は一体どうなってしまったのだろう。どうしよう。


 喋らない、動かない、目を開けない。はっきりとその言葉が浮かんできて、しばらく強ばっていた体の力がすっと抜けた。体がふんわりと包まれている気がした。外で体を倒したことで、夜の空気と一緒になっている。わたしは、寝られないから外に出てきたのだった。今なら寝られそうだ。今がそのときだ。心配なこと嫌なこと全部もう考えることを終わりにして、落ち葉にそっと身を預けることにした。


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寝られないなら まもる @16716482

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