二、アロマ

 喋らない、動かない、目を開けない。

 寝られないならそうしなければならない。

 しかし今日も寝られなかった。常夜灯の光に部屋は包まれていた。お母さんに言われたので、この電気のスイッチを押したのだった。

 今まで、スイッチの表示の中に一つだけ漢字三文字の連なりがあることを不自然に感じていた。多くの単語は漢字二文字だと思っているから。そんなこの三文字のことを、季節を表すような自然的な単語であると予想していた。そのためお母さんが「『じょやとう』にして」と言っても何なのかさっぱりわからなかった。そしてから常夜灯は、「じょうやとう」と読み、黒っぽいオレンジ色になることを知った。

 こんな暗くもなく明るくもない光があるなんてとても便利だ。何で今まで使わなかったのだろう。電気のスイッチは色々なボタンがあって複雑そうに見えるが、実際使っていたのは「普段」と「消灯」のみだった。それでことは足りるが、他のスイッチはさらに細かい調節で暮らしやすくしているのだろう。


 こうやって常夜灯のことを考えている訳だが、初めは真面目に寝るつもりだった。いやいつだってそうなのだが。いつも夜9時頃に布団に入れられる。そして、眠れなくて静かにしている。どれくらい経ったかと頭の上に置かれた時計を見た頃には1時を過ぎていた。もう4時間、大人しく意識があるだけだった。目を瞑って、どうでもいいような事柄が頭の中をずっと巡っていた。弟はもちろん、いつからか布団に入ってきていたお母さんも起きている様子はない。

 お母さんは寝ないことを不満に思っているが、なぜ寝られないのか、どうしたら寝られるのか、教えてくれることはなかった。大人なら、それくらいしてほしい。

 そう考える間も時間が経っていく。このままだと、寝る時間の方が短くなってしまう。そんな効率の悪い就寝なんてしたくない。第一、睡眠時間が短くなると朝に起きられなくなる。そして保育園に行く準備をぐだる。そういう一連のことがお母さんを苛立たせるのだ。

 いつも夜にすんなり寝られなくて、朝にすっきり起きられない。何が悪い要因なのか、わからないからどうしようもできない。自分で望んだ結果じゃないことを、知ってほしい。

 








 ある土曜日。家族4人でショッピングモールに来ていた。お父さんと弟で食料品の買い出しに行っている間、お母さんとの2人で、雑貨店を見に行くことになった。

「今日はミサキのためにお買い物しようね」

 上機嫌そうに言葉を浮かせて、お母さんは話しかけてきた。別にそんなことしなくていいのに。思ったことは特に口にする必要はない。お母さんがやって楽しめることをお母さんはする必要がある。

 入ったのはアロマのお店だった。吊るされたおしゃれな照明が白っぼい店内に合っている。

 たくさんの香りがあるところと言えば、柔軟剤売り場だった。そこにあるいい香りは好きだった。種類がたくさんあるのも好きだった。そんなであるから、初めて入ることになったアロマ専門店でもわくわくした。

 様々な種類のアロマオイルが並んでいる棚に来た。英語で名前が書かれていたので、何が元であるか知らないまま香りを試していった。甘ったるい香りや、植物の青臭い香り、せっけんの香りなどがあった。その間お母さんは店員に「寝付きがよくなる香りはどれですか」と聞いていた。

 その間で色々試してみて、一番気に入ったものを母親に見せに行った。店員はお母さんとの話をやめ、持ってきたアロマオイルを受け取った。

「この香りはグレープフルーツですね。グレープフルーツの香りにはリラックス効果があり、それは不眠にとても効果的です。不安や沈んだ気持ちを切り替えるリフレッシュ効果によって、ストレスの緩和にも繋がります。今はルームフレグランスとして、スプレータイプのものが人気なんです。取り扱いが簡単で持ち運びしやすくて、お母様にもぴったりだと思います。」

 店員が凄いしゃべった。それをお母さんはしっかりと聞いていて、大人だと思った。 

「ミサキがこの香りがいいんだね?」

「うん」

「じゃあ買っちゃおうかな」

 ありがとうございます、と言った店員に勧められるがままに、ラベンダーのルームフレグランスも買って行った。


 その後お父さん達と合流して、車に乗って家に帰る。

「今日はいい買い物をしたね、ミサキの好きなものを買えてよかったよ。寝る前に試してみようね」

 静かに運転するお父さんの助手席に座るお母さんが、こちらを振り向きながら言ってきた。


 車窓から流れる景色を眺めて考えていた。寝られないことで怒られたのは、「あの日」からなかった。それまでは定期的にそのことでお母さんを怒らせて、少しでも寝返りを打ったら怒鳴られたり叩かれたりする日がかあった。

 今でも夜にさっさと寝られることはなくて、寝返りや体の位置を恐る恐る、もそもそしながら変えていた。それでも、お母さんが起きて何か言うことはなかった。

 吹き込む風で髪が顔にかかって鬱陶しい。冷たい風であった。隣に座る弟は、お父さんに買ってもらったチョコキャンデーで口周りをベタベタにしていた。そんな姿を見ていたら、目があって「食べる?」と聞かれたが、そんな思いは一切湧いてこなかった。




 

 お母さんは夜になっても機嫌がいいようで、ドライヤーで髪を乾かしてくれた。心の余裕とやらがある日にはやってくれる。わざわざドライヤーしなくても、そのままでいれば自然に乾くから自分からはしようと思わない。それにドライヤーは音がうるさくて、好きじゃない。

 お母さんは私の頭を鷲掴むようにして根元の髪をかきあげるように乾かしていく。

「髪の毛は女の子の命なんだから、綺麗にしないとだめなんだよ」

 お母さんは毎回そう言うが、体の部位に優劣をつけられることが嫌だった。じゃあ髪の毛以外は命じゃないなら、どうでもいいのか。こういうことに突っかかるのは意味のないことであるが、とりとめもなく考えてしまうのだ。



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