第5話 でたらめだけど、なぜか楽しい世界
ドクター・トラウム:ナポレオン・ヒル、ですか。成功哲学の祖を引合いに出すとはね。米河さん、あなたが言う『ステーキを望む権利』こそが、人間を人間たらしめる動力源だというわけですね。さてフェンネルさん。今の話、どう響いたかな?
あなたが『平等』の名の下に切り捨てたのは、実は人々の『より良くなりたい』という健気な祈りだったのではないか。どうだろう。
フェンネル:なんだか悔しいが、そうかもしれません。ステーキ、ですか。私の親の時代の御馳走でした。私も、嫌いじゃなかった。むしろ、好きです。
それからかぐやさんと米河さんに申しあげたい。先ほどは、ありがとうございました。私、よく考えてみれば、お二人のように叱って下さる先輩がいなかった。
もちろんかつての同僚や師匠たちが悪かったというつもりはありません。この2年間、実はクッキングダム関係者からここまで本気に叱られたことはありませんでした。重ね重ね、ありがとうございました。
米河(ヨネ):何といっていいのか。そうなれば、私はあえてこの問いかけをしたい。フェンネル君、ステーキはさておき、私も幾度か『おにぎり』と呼んだ米の飯であるが。本来それは、人と人とを結ぶ『お結び』でもあったはずだ。
かぐや(カグ):そこで『お結び』か。ヨネ、今日は冴えているな。
米河(ヨネ):ああ。かつて日本人は、手のひらの熱で米を固め、そこに心を込めて『お結び』を作った。それは単なるカロリーの配給じゃない。誰かのために、あるいは自分の明日を願って結ぶ、最小単位の『創造』だ。たとえは何だが、終戦直後の日本の闇市で取引された、ヤミ米からつくられた「お結び」にしても、そこは共通だったはずだ。ま、闇市の功罪云々は、これ以上は述べません。
ところで、フェンネル君がやろうとしたのは、その『結び』の否定である。上から押し付け画一化し、従わせるための道具に貶めた。貴君の作ったそれは、もはや『お結び』ではない。ただの冷たい石ころ、あるいは民を縛る、コメという食材に仮託した鎖の断片ではないか。闇市のおにぎりにも失礼な代物だぜ。
かぐや:ナポレオン・ヒルが説いた『ステーキを望む向上心』も、誰かのために『お結び』を握る慈愛も、根底にあるのは同じ『生命の能動性』だろう。
フェンネル君は、レシピッピを檻に閉じ込めることで世界中の手のひらからこの『結ぶ力』を奪い去った。クラムチャウダーを望む心を『格差』と呼び、おにぎりを『義務』に変えた。その先に、一体誰の笑顔があると思っていた?
独占した美食を一人で咀嚼する、君自身の孤独な横顔以外に。
ヨヨ裁判長:(静かに頷き)『お結び』と『計画』。米河君の言葉は、この裁判の本質を突いています。フェンネル被告。あなたは自らの孤独を癒すために、世界を同じ色に染め、みんなを自分と同じ孤独の檻に閉じ込めようとした。けれど、本当の『結び』とは、多様なレシピ、多様な願いが混ざり合う、この混沌とした自由の中にしか生まれないのではないかしらね。
では米河君、あなたが初めて自分でステーキを食べに行った日のこと、いつかお話されていましたね。それをここで披露してくれませんか。
米河(ヨネ):(トリスのグラスを空にしながら)大学に現役合格した昭和63年、1988年4月の話や。あの日は岡山県営球場で阪神対中日戦を見て終わって、22時過ぎに店に入った。おかげで、深夜料金に加え料飲税10%もしっかり取られたわ。消費税もない時代に、結構な出費やった。厳密に自分で稼いだ金とは言えんが、一人で店に入って食べたステーキと飲んだワインの味は、あの税金分を払ってもお釣りが来るくらい美味かった。当時は未成年でも飲めたが、そこは時代や。
フェンネル君。ワシが言いたいのはな、『一手間かかった深夜料金や税金』すらも、自ら選んだ人生のスパイスとして受け入れられる『自由』と『責任』の話や。
貴君が理想とし実現さえしようとした世界には、税金も、酒も、自分で選んだ代償もなかった。ただ決められた「おにぎり」だけ。え? 「お結び」? ネーミングの話はともあれ、そんな世界、味気なさすぎやしないか?
かぐや(カグ):米河君の言う通りだ。我々の世代は、消費税の導入や料飲税の廃止、時代の移り変わりと共に『社会のルール』の変遷を肌で感じてきた。その変化に適応し、時に不満を言いながらも、自分の選択に責任を持つ。それが大人だ。
君の一連の行為は、その『大人の階段』を登ることを拒否し、世界を子供部屋に閉じ込めようとしたも同然だ。貴君のやらかしたことは、その間の一杯の「思い出」とやらを、な、少年だったといつの日か思って振り向いて済む話を超えてしまったが、ま、ガキの火遊びみたいなものだったってことだ。
フェンネル(ゴーダッツ):(深く頷きながら)料飲税、ですか。私が触れたことのない時代の空気。時代の変化すらも拒絶し、すべてを静止させようとした私の傲慢さを、今、恥じています。
米河;も少し付合いな。余談だが、以前お世話になった鉄道趣味界の大物の方のお話や。この人は街中の米穀店の人で、アサヒビールの好きな人やった。スーパードライの出るはるか前から、な。この人、ある時仲間と米子方面に行って、帰りの特急「やくも」の食堂車に行ってやね、ビールとつまみを頼んで、人数分の規定額を超えそうになるたびに会計をして、それからまた頼んで飲んで、また会計して、また頼んで飲んで、それで岡山の近くまで食堂車に2時間以上滞在して飲みまくって帰ってこられたそうや。なんとこれで、10%の料飲税を一切合法的に払わず帰ってこられたって。明らかに1982年6月以前のエピソードだ。お聞きしたのは平成になってしばらくの頃ではあるが、面白かったね。
私も学生時代、新幹線に乗ると食堂車によく行ったが、消費税導入後は料飲税が廃止されたからね。東京から乗って名古屋を過ぎてしばらくの頃まで2時間近く、ビールを頼んでいろいろつまみも頼んで、4000円近く使ってしっかり飲食して、それから自由席に戻って岡山に帰ってきたことが何度かあった。
料飲税がどのようにかかるかを知って、その裏をかいたような話やね。
やけど、こんなエピソードも、飲食を通じて人間社会に潤いを与えるエピソードになっていることは確かや。フェンネル君においてはこんなせこくもさもしい真似をする大人らをどう思うか知らんが、いい悪いは別としてそういう人もいるということを見聞きして肌身で知ることは、やっぱり大事やと思うで。
先ほど述べたようなことをしていて、こんなこともあった。東京から0系の小窓の食堂車に入ってだな、例によってビールにカキフライ、それからサンドイッチ、最後は国産のウイスキーの水割りを飲んで帰った。ビールは中瓶3本くらいか。二人掛けの席で、向かいには北陸の方から来られた年配の男性がおられた。横の4人掛けのおじさんたちが一杯飲んで機嫌よく話されていて、ちょっと声が大きくなりかけた、そんな時だった。そのおじさんが、こんな風に注意をされたの。
「皆さん、お楽しみ中のところ失礼ですが、少しお静かに願えませんか。拝見するに皆さん真摯でいらっしゃるようですから、どうかご配慮を」
そう言われて、そのおじさん、ハタチになって間もない若造の私に、軽く目礼された。ふと窓を見た。小窓や。そんな窓配置の食堂車は、戦前に製造された食堂車と、あとはこの0系の何両かだけや。いい意味で、戦前から戦後初期の急行列車の食堂車の中でのドラマのような話やった。これは、人生の大きな糧になったね。
かぐや:その食堂車の話はいいね。でもがやっぱり「やくも」の食堂車の酒好きなおじさんらの話の方がオレは好きだね。類は友を呼ぶというだろう。ヨネみたような奴には道理でそういう先輩が付いたわけだ。なるほど、ね(苦笑)。
だが、フェンネル君の世界では、良くも悪くも今こいつが述べたような物語は生まれ得ない。なぜか。その社会は、良くも悪くも清潔が過ぎるからだ。ところでヨネ、君はなんでヱビスビールを好んで飲むのか。その話、してやってくれないか。
米河(ヨネ):じゃあ、カグのリクエストに応えて話しましょうか。ヱビスビールを飲むようになったのは、小2の時、養護施設にあった子ども向けの歴史資料集で見た『米騒動』の絵の中に、その看板を見つけたからや。『いつか大人になったら、この看板の酒を飲んでやる』なんて思っていたわけではないし、名誉のために小学生から酒類を飲んでいたわけでもないことはこの際述べておくが(爆笑)、
今思えば、それは歴史の向こう側にある『自由』の象徴やったのかもしれんね。
大学に入って間もなく、そのヱビスビールというのが大学近くの酒屋にあることを知ったのよ。それで土曜日の夜ともなれば、ほか弁で買ってきたカツ丼をつまみにエビスビールを飲みながら、松田聖子の独身時代のコンサートビデオを観た。そのときワシは、自分がようやく『自分の人生の主役』になったと実感したんや。
フェンネル君。君の計画には、そんな『資料集の隅っこに見つけた夢』を叶える余地なんて、微塵もなかったンじゃねぇか?
かぐや(カグ):カツ丼にヱビス、そして松田聖子か。相変わらず趣味が矛盾だらけというか、それが満18歳の頃のこいつの『生きる力』だったわけだ。未成年者が酒飲むことは今なら問題だが、時代ということでそこは不問に。
裁判長。米河君の話を聞いて確信しました。フェンネル君の奪おうとしたのは、レシピではなく、こうした『ささやかな、けれど命懸けの憧れ』だったのです。
それからもう一つ、ヨネにリクエスト。トリスウイスキーをよく飲むようになったのはいつからだ? 若い頃は先輩におごってもらって駅前のカラオケパブでサントリーのオールド、飲ませてもらっていただろ。その君がなぜ、トリスウイスキーなんか飲むようになったのか。それもここで聞かせて欲しい。頼む。
米河:(トリスのボトルを愛おしそうに見つめて)フェンネル君、ワシが今飲んどるこのトリスも、な、キッカケは西鉄ライオンズの古いビデオなんや。1950年代後半、高度経済成長に向かう前の後楽園球場のポール際に映った『トリスウイスキー』の看板。生まれる前の景色なのに、なぜかそれが頭から離れんで買って飲んでみた。それから25年来の付合いや。看板一つ、資料集の絵一つ。そんな『偶然の出会い』が、一人の男の何十年もの習慣を形成し、人生を彩ってきたわけや。
さてフェンネル君。君の『計画』には、そんなふうに時空を超えて響き合う、デタラメでしかし愛おしい『縁(えにし)』の入り込む隙間なんて、どこにもなかったのか。別になくてもいいといわれればそれまでだが、その世界は本当に幸せな世界なのだろうか。じゃあカグ、貴兄のリクエストにお答えしたから、まとめてや。
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プリキュアのラスボス法廷 ~ ゴーダッツ裁判より 与方藤士朗 @tohshiroy
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