3、
「尚也先輩!」
幾多の人々が話す声や熱気によって騒がしい構内に、一際大きな声が響き渡った。空気を切り裂くような声量だが、それでいて鬱陶しくはない澄んだ声。
尚也は、浮かした足を真下に落とすと、声の主を探すために首を捻った。この声は、良く知っている。それこそ、【暁】の皆よりもずっと慣れ親しんだ声だ。間違えるはずもない。
「……凌雅?」
「はい、凌雅です」
長机を挟んだ向こう側へ視線を向ければ、そこには屈託のない笑みを浮かべた青年が、片手をあげて立っていた。すっきりと整えられた短髪に、がっしりとした体格。尚也よりも幾分か身長の高い彼は、まるで着られているかのような新品のスーツを身に着けている。
――しかし、なんでまたコイツは。
尚也は首を傾げると、手に持っていたチラシを机の上へ置く。
目の前に立っている男の名は、嶋山凌雅。学年こそ一つ下だが、尚也と同じ高校に通い、同じ寮で生活を共にしている男だ。その生活は今でも当たり前のように続いていて、今朝も顔を合わせて挨拶をしたばかりである。
「何か、……俺に用事あったっけ?」
「へ」
「え?」
はて、さて。怪訝そうに眉を顰めた凌雅に問いかければ、彼はその皺をさらに深くした。
尚也の隣にいた俊介をはじめとして、興味津々と向けられる【暁】の皆からの視線が痛い。
「いや、……ええ? 先輩が来いって言ったんでしょ」
「げ」
「げ、とはなんだ。大好きな後輩の登場ですよ」
引きつった顔に、一つの上の先輩に対するこの堂々たる軽口っぷり。明るく言い放った凌雅は、新入生用にブースへ設置されたパイプ椅子を引き出すと、深く腰掛けた。
――忘れていた。
尚也は、はあ、と深い深呼吸を繰り返す。一度籠った熱を吐き出して、新鮮な空気で肺を満たすが吉だろう。ここから、今日この時から、古川尚也という人間は変わらなくてはならないのだから。
この世界には、『怪異』が蔓延っている。
『怪異』は、一目でバケモノであると分かることは無い。大抵の『怪異』は、「人間」に化け、「人間社会」に同化し、生きている。そしてその中の一部が、「人間」を陥れようとしていることは明白だった。
『怪異』による事件は、後を絶たない。今でも、どこかで事件は起きている。
「人間」が誘拐される。「人間」が殺害される。時には、街が一つ無くなるような大事件だって引き起こされている。
それだというのに、世間はどうにも『怪異』を軽視しているらしい。
一年前に起きた、『怪異』による快楽殺人事件を覚えている人間は、一体全体この大学構内にいる人々の何割か。隣に立つ「人間」は、本当に同じ「人間」か。そんなものは分からないのが現実だ。
この世界には、罪を犯した『怪異』を取り締まる団体が存在する。
『怪異対策本部』。
『怪異』による事件が連続して起きてしまった頃。急遽設立されたままの名称で歩んだ歴史は何十年にも及ぶ。
『怪異対策本部』は、『怪異』蔓延る日本全国に設置されていた。
凡そ数千に渡る支部のうちの、ひとつ。神奈川県川崎市。政令指定都市にして、二〇一九年現在、百五十万人以上が住まう地区。
そんな『怪異対策本部 川崎支部』の支部長を務めるのが、古川尚也という男だった。
古川尚也が宵の口大学にて学生生活を偽っている理由は、複雑である。それを敢えて一言であらわすとするならば、「任務」、だからだ。仕事であり、それ以上でも以下でもない。ただ、誰にも警戒されることなく、本物の『怪異』を突き止めて殺す。それだけだった。
嶋山凌雅は、尚也の直属の部下である。一年経っても、未だ解決の糸口すら見えない本件に、投入された新たな人材だ。ひとつの「任務」に対し、対応する人数が増えるということは、必ずしも良い事とは言えなかった。
ただでさえ、対するは『怪異』であり、それは「人間」に最も近いバケモノであるからして、より慎重に行動する必要があるのだ。実際、『怪異対策本部』は、この職に就く者の個人情報すべてを隠匿すべきであると訴えている。素顔から始まり、その体格、性格、性別にいたる全てを隠し、立ち向かうべきであると述べていた。それもそのはずで、『怪異』は一度触れることを条件として、なにものにでも成り代わることが出来るのだ。つまりは、『怪異対策本部』にいる人間が成り代わられてしまうこと、それ即ち、内部崩壊に繋がるリスクでしかなかった。
そんな危険を承知の上で、尚也と凌雅が素顔を晒しながら「任務」を遂行する意味は――。
「――先輩、尚也先輩! 聞いてます?」
時間にすれば、一瞬のことだっただろう。いつの間にか聞こえなくなっていた周りの音を取り戻したのは、凌雅が尚也の名を呼ぶ声だった。
「……ごめん、こんな早く来ると思ってなかったから」
すぅと小さな息継ぎをして、自然な発声を心掛ける。あくまでも、ここでは仲の良い気の知れた先輩後輩だ。これは紛うことなき事実なのであるから緊張などしなくていい。
「もー。しかも、入学式終わったら連絡してくれと言ったのは先輩の方でしょう。中々連絡つかないし、いざ来てみれば忘れてるしさ」
「ごめんって」
椅子に腰かけた凌雅は、机の上に放置された俊介の作品を手に取りながら、どうにも拗ねた子どもの様に事実を並べていく。そんな二人のやり取りを眺めるのは、少々驚いた表情のまま固まる【暁】の面々であった。つい先まで談笑していたはずの伶と兼吾ですら、此方を見やるものだからやりにくい。
――……そろそろ、説明しないとかな。
尚也は何度か瞬きを繰り返し、それから、皆の注目を集めている凌雅へ声をかけた。
「愚痴は後で幾らでも聞くからさ。……して、凌雅。本当にこのサークルに入るつもりなら、ちゃんと挨拶くらいはしな」
「あ、……はい。えっと」
凌雅はコホンとわざとらしく咳をすると、がたがた音を立てながら席を立った。
「あの、俺、嶋山凌雅って言います。高校では凌ちゃんとか、リョーガとか呼ばれてました。尚也先輩と同じ高校出身で、このサークルの話はよく聞いてます。えっと、その、俺も、此処に入りたいと思っているので、不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします!」
所々躓きながらも丁寧な自己紹介を行った凌雅は、静かに頭を下げた。それと同時に、スーツが擦れる音が響くほど静まり返っていた【暁】のブースには、一つの拍手が響き渡る。
「よろしくな」
そう一言。柔らかい笑顔で言ったのは、いつの間にか戻ってきていた陽光だった。
陽光はやはり、その存在感だけで場の空気を変える才がある。瞬時に緊張の解けた面々は、口々に話し出した。
「尚也って後輩いたの?!」
「こんないい子そうな!?」
「失礼だな」
開口一番、そこそこ失礼なことを言い放つのは、目を真ん丸くして心底驚いた様子の双子。
「どういう関係なの?」
「部活が一緒でした!」
「部活? あの尚也が? 何部だったの?」
「おい、俊」
「陸上競技部です!」
続けて、どうにもわざとらしく素っ頓狂な声で、これまた失礼なことを言い放ったのは俊介だった。
――まあ、確かに。
どうしたって、隠さなくてはならないことは沢山ある。住んでいる場所は勿論、過去の経歴なんてものは余計に。正直に話してしまえば、すぐに『怪異対策本部』の人間であると分かってしまうような過去しかないのだから。大学一年生。人間関係の殆どがゼロから再構築されるような時期。つまり、そういうキャラでいけば問題ない、と判断した尚也の作戦でもあった。
過去を秘匿する尚也の元に、昔からの知り合いなる人間が現れれば、質問攻めにあうことは予想していなかった訳ではない。だから、事前にウソの過去を作り上げていた。
嘘をつくときは少しの真実を混ぜれば良い、とある人は言う。それを参考にして練り上げたのだ。
――だが、しかし。
「尚也とはいつ知り合ったの?」
「えーっと、……、部活です。体験入部の期間に、すごく、良くしてもらって」
「へぇ。てか、尚也って足速いんだ」
「兼吾さん?」
「すっごい速いですよ! 俺なんかよりずっと。ね?」
尚也は嬉しそうにする凌雅に、小さく頷いた。良くも悪くも、嶋山凌雅という男は素直だった。素直で真面目で、なるたけ良い言い方をすれば、嘘をつくことが出来ない人間なのだ。ちらりと彼を見やれば、今度は陽光と伶に話しかけられいた。まるで誰にでも懐き、尻尾を振る大型犬のようである。
中々途切れない皆の会話を聞きながら、尚也は息を吐き出した。この様子なら、凌雅が打ち解けるまで時間はかからないであろう。何なら、もう既に溶け込んでいるような気すらする。
――そろそろ、本当に行くか。
本日何度目か分からない決意を心の中で飲み込んで、机に重ねたチラシを手に取った。今の【暁】での仕事は、チラシを配り、少しでも多くの新入生に興味を持ってもらうことだ。現に今のままでは、誰一人として勧誘することなく、新歓一日目を終えることとなるだろう。
遠くの空を見上げれば、先程までは無かった白い雲が、ひとつ、ふたつ。ゆっくりと流されて広い青色の海を渡っていく。
「俺、ビラ配り行ってきますね」
尚也の呟きは、風に乗って消えていった。
箱庭物語 らく @raku_novel
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