2、
宵の口大学構内は、授業期間からは考えられないほどの盛り上がりを見せていた。
普段は学生たちが講義に向かうために闊歩する、屋根のついた外廊下――ピロティには、多くの長机が整列している。それらのどれもが様々な色で飾り付けられていた。どこの部活やサークルも、新歓という大きなイベントのために相当な時間をかけてきたのだろう。
――賑やかなもので。
気怠そうに歩きながら、尚也は絶え間なく視線を動かした。
それぞれの長机――ブースでは、チラシや声掛けから興味を持ってくれた新入生への説明会が行われている。だからこそ、この場所は新入生や在学生で溢れかえっていた。それはもう、今からここを潜り抜けて自分のサークルへ向かうことをためらうくらいには。
――……めんどくせ。
尚也が所属する演劇サークル【暁】のブースがあるのは、凡そ数百メートルは先である。それまでに、溢れかえる人々がそれぞれ発する声音の海を泳いでいかなければならない。そんな苦痛、想像するだけで勘弁である。出来るだけ周りの音を耳に入れないこと、と自身に言い聞かせて、一度止めた足を前に出し始めてからは早かった。
時々「××に興味ないですか?」だとか「○○サークルです! 良かったら話だけでも」だとか、チラシを押し付けられ、声を掛けられながら小走りに進むこと少し。進めば進むほど人気が無くなっていく、ピロティの端の端。くじびきではずれを引いた部長曰く、「呪われた場所」は一目で分かった。
――閑古鳥が鳴いている。
演劇サークル【暁】。新入生歓迎会。初心者、大歓迎!
そんなご立派な看板が立つ横で、ブースに座る男はひとり。
大学二年生、尚也の同級生である白石俊介だ。遠目から見ても一瞬で分かるほど派手な服を着た彼は、随分と熱心に手元を動かしていた。……ああ、あれは多分、サボっている。俊介は、手先が器用だ。その実力は、少数精鋭と称してたった七人で活動している【暁】の、全ての服飾を担っているほど。実際、今現在尚也が身に着けているジャケットも俊介が作ったものだ。
――折り紙って……。
「よ」
「……わ。尚也か、おかえり!」
慣れた手付きで折り目をつけながら色紙を折りたたむ俊介は、一瞬驚いた顔をすると、尚也を認識した瞬間に屈託のない笑みを見せた。そして作品で埋め尽くされた机の一部を片付けると、どうぞ、とでも言うかのように首を動かした。
「サボり?」
「サボりといえばサボりだし、暇潰しといえば暇潰し」
「サボりじゃん」
「まあね。でも見てごらんよ。これが、『呪いの場所』って言われるゆえんだよねぇ。ただのはずれくじだけど」
ぎぃぎぃと音を立てるパイプ椅子は、座り心地が悪い。話しながら大きな欠伸をした俊介は、折り終わった鶴を長机に乗せて、小さな欠伸をこぼした。しばらく様子を見ていれば再び新しいものを折るらしい。尚也は頬杖をついて、綺麗に並べられた作品を指でいじる。
――鶴に、熊に、象に、……なにこれ。
「タランチュラ」
「……ああ、言われてみれば」
「でしょ」
声に出ていたらしい疑問に、俊介は素っ気なく答えた。
「先輩たちは?」
「伶さんは、あっちの方でチラシ配り。多分、あおいとみどりも一緒だと思う」
尚也の問いに顔を上げた俊介は、やる気のなさそうな声で尚也が歩いて来た道を指さした。
「陽先輩は、カワイイ女の人に呼ばれてそのまま遊びに行った」
「……らしいわ。兼吾さんは?」
「ん」
今度はブースの後ろ側に佇む柱へ指を向けた俊介は、「普通に寝てる」と続ける。そして再び欠伸をした。
――やる気、とは。
俊介の指先を追いかければ、彼はやはり折り紙を辞める気は到底ないらしい。それならばと、のんびり席を立ち、柱の後ろを覗くと。
そこには、俊介以上に「やる気」という言葉からかけ離れた人物が寝転がっていた。
大学三年生、部長である黒澤陽光と同級生であり大がつく親友でもある、赤塚兼吾。
陽光と同じかそれ以上に整った顔立ちを、今は白い不織布マスクで隠して、眠りについている。それどころか、彼の両耳にはワイヤレスイヤホンが刺さっているし、転げ落ちた携帯には昨今流行りのアニメが流れていた。
「俊、この人いつから寝てるの」
「さあ、どうだろうねぇ。僕が来た時にはもうそんな感じだったけど」
……怒られても知らないぞ。先までの熱気からは程遠い、静かな【暁】のブースは確かに寝心地が良かろう。まだまだ風は冷たいとは言え、気温は春の陽気だ。眠くなるのは分かる。
尚也は、うんと大きく伸びをすると、空を見上げた。相も変わらず雲ひとつない青空が広がっていて、最早恨めしいほどだ。
――とはいっても、兼吾さんも凄い人なんだけどなあ。
もう少しやる気があれば、尚、尊敬に値するだろう。
何と言っても、この【暁】が演劇をするために必要不可欠な「脚本」や「台本」を用意しているのは、目の前で寝こけている赤塚兼吾という男なのだ。それも、その全てが自作だというのであるから、初めて聞いた時は驚いた。新歓で演じたものも全て、兼吾が作ったのである。一夜、二夜では身に着かないその技術は、まさしく神業であると、皆が口を揃えて言う。噂によれば、もう既に次の脚本が出来上がっているとか、なんとか。
ぐぅと、ついには寝息を立て始めた兼吾に思わず苦笑いを零せば。
「尚也!」
「っわ、何」
「紙飛行機、どこまで飛ばせるか選手権を開催するつもりなんだけど、やる?」
「えぇ……、あー」
耳元で大きな声を出されるのは、少々気分が悪いものだ。顔を顰めながらブースの方へ顔を向けると、笑顔で折り紙を渡してくる俊介の後ろに、見慣れたふたつの顔が並んでいた。
小松みどりと、小松あおい。大学二年生で、尚也、俊介の同級生。一卵性双生児にして、その服装は真逆を辿っていて、それが狙いなのか素なのかは誰にも分からなかった。それでも声や顔はまさに瓜二つであるから、去年は何度か間違えたものだ。
「尚也、お疲れ~。追加のチラシ、置いておくね」
まとめられた長い黒髪の下に、翡翠色のカラーコンタクトを光らせて笑ったのは小松みどり。
「伶さんが、尚也か兼吾先輩と交代してきなってさ」
少し重めの前髪の下に、梅雨葵色のカラーコンタクトを輝かせて笑ったのは小松あおい。
それぞれパンツスタイルとスカートスタイルだから見分けがつくものの、同じ格好をされたら絶対に分からない。
「それでそれで」
「皆で紙飛行機、どこ……なんだっけ?」
「紙飛行機、どこまで飛ばせるか選手権」
「それだ。紙飛行機、どこまで飛ばせるか選手権、開催しよう」
みどりが話し、あおいが続け、俊介がフォローしながら、会話は勝手に盛り上がっていく。
尚也は楽しそうに笑いあう三人を見つつ、小さなため息を吐きだした。みどりとあおい曰く、これからチラシ配りを配る担当は自分か兼吾らしいものの、彼は見ての通り就寝中である。
――ま、やるか。
机の上に置かれた紙の束は、それはもう相当な量だった。新歓の期間は、入学式である今日から数えて三日間。朝から夕刻までに、ステージ上での演劇を複数回と、それ以外の時間はひたすら勧誘活動を行うのだ。勿論、大学へ通う学生は様々な志や想いを持ってきていることに間違いない。それが学問であったり、未来への自己投資であったり、はたまた自身の得意な事を伸ばす時間であったり。つまるところ、サークルや部活に入りたいと思う学生も一握りである訳で。そういった新入生にチラシを渡せる可能性は、わずかなものである。
「尚也も一緒にやるでしょ?」
「え、……あー」
一見すると真面目そうに見える双子と俊介は、存外面倒くさがりだ。チラシを手に取ろうと机へ手を伸ばすと、彼女たちは早速紙飛行機作りへと取り掛かっていた。少しでも悩む素振りをしていれば、三人はその隙を安くは手放さない。
ほら、ほら、と、促されるままに、気が付けば色紙を掴まされている。
「……じゃあ俺も、一個作ってから行こうかな」
それに、楽しそうに笑う彼らを見ていたら何だか気が抜けてしまったのも事実だった。
尚也がうろ覚えの手順で色紙を折り始めると、今度は俊介から歓声が上がる。どうやら、一番に作り終えた彼が、第一投目を投げたらしい。思わず視線を向ければ、随分とがっしりした赤色の紙飛行機が飛んでいた。
風に流され、遠く、遠く。
「私も投げるよ」
「私も!」
みどりとあおいも続くように、緑と紫の細い紙飛行機を飛ばす。そうすれば、それもまた、風に乗って俊介の紙飛行機を追いかけていく。
と、先頭を飛んでいた赤が、伸ばされた手によって握りつぶされた。
「……あっ」
――……あ。
俊介の情けない声が響くと同時に、尚也は作りかけていた色紙をポケットの中に隠して、小さく口笛を吹く。その時にはもう、みどりとあおいは机に向かって、やるべき仕事に集中(するふりを)していた。
尚也はゆっくりとした動作でチラシを手に取ると、俊介の目線の先を歩く、くしゃくしゃになった赤色の紙飛行機を手にした女性に視線を向ける。
白石伶。大学三年生で、兼吾と陽光の同級生。そして、この【暁】を最も支えている副部長でもある。真面目で努力家で、その才に一寸の文句なし。そして、彼女の凛とした顔立ちは、歩いているだけで目を引くほどだ。実際、【暁】の三年生である三人には、それぞれ有志によるファンクラブがあるそう。
そんな伶が、わずかに残ったチラシを片手に抱えながら、顔をわざとらしく顰めて歩いてくる。
「楽しそうだな、お前ら」
ぽこん、と柔らかい音が鳴ったのは、それからすぐの事だった。机の上に並べた作品たちを片付けていた俊介の頭が、丸めたチラシで優しくはたかれる。そして、みどりとあおいも一発ずつはたかれる。彼らはそれぞれ「うぇえ」と声を上げたものの、今度こそ身が入ったようで、すぐさま仕事に取りかかっていた。
「お疲れ、尚也」
そんな同期に内心で大笑いしていれば、尚也よりも頭一つ分は上にある伶に名を呼ばれる。
「伶さん、お疲れ様です」
「最後の演目、良かったね」
「……そうですか?」
「うん、すごく。今日のでも悪くないな、と思ったよ」
「そう、ですか」
伶は、中性的な声で静かに話す。僅かに乱れた前髪を手先で直しながら、またひとつ、うんと頷いた。それと同時に、耳に付けられた綺麗な輝きを放つイヤリングが小さく揺れた。
「それでさ、尚也。悪いんだけど、あのバカの代わりに、チラシ配り交代してくれない? 陽の仕事が立て込んでるみたいで、手伝いに行かないといけなくて」
「あー……。はい、勿論です」
「ありがとう」
伶が指さした先には、未だ眠り続ける兼吾の姿。微動だにしないものだから、彼の頭や身体には桜の花びらが積もり始めている。尚也は苦笑いをすると、手にしていたチラシを確りと抱え直した。
「みどり、あおい。二人はどこでチラシ配ってた?」
「私とあおいは三号館」
「伶さんはサークル棟付近だよ」
「ありがと。俺もそこら辺で配るわ」
「「頑張ってねー」」
――……三号館とサークル棟、か。
隣同士で立ち並ぶ建物だが、現在地からは如何せん遠い建物である。距離で言えば、一キロメートルくらいはあるだろう。思わず大きなため息を吐き出せば、双子が手を振りながら笑う。そして、それに続くように俊介も笑った。
すると、後方から響くのは二人分の笑い声。どうやら兼吾のことを叩き起こした伶と、眠気眼を隠さない兼吾が談笑しているようである。
――居心地は、良いんだよな。
演劇サークル【暁】。結成当時から少数精鋭で、それでも尚クオリティの高い演劇をするサークルとして、巷ではこの名を響かせている。現在のメンバーは、既に引退した四年生を除くと、たったの七人だった。しかし皆、とにかく演劇が好きで、真剣に向き合っている。
それは尚也も同じだった。一つの憧れと、一つの目的を胸に、サークルの扉を叩いた結果。こうして演劇の世界にのめり込んでいた。実際、この度入ってきてくれるであろう新入生と共に、新たな作品を演じる未来が、楽しみで仕方ない。
どこを向いても笑いの絶えない明るい雰囲気は、どうにも居心地が良くて。いつの間にか、彼らに縋るような気持ちが湧いていることには無視をして、尚也は大きく息を吐き出した。さて、そろそろチラシ配りに行かなくては。そう、足を一歩前へ踏み出した、その瞬間だった。
「尚也先輩!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます