第4話 品位礼節に欠ける

 彼女が来ると聞いた時、

 正直、胸を撫で下ろした。


 ディンブラ家。

 吸血鬼の貴族。

 処理を任されている家系。


 だが――

 あくまで貴族だ。

 礼節を重んじる。

 感情で動く存在ではない。


 そう、聞いていた。


 だから、

 きちんと説明すればいい。

 理解してもらえなくとも、

 納得はさせられる。


 そのはずだった。


 ───


「はじめまして」


 柔らかな声だった。

 思ったよりも、ずっと。


「わたくし、

 ルフナ・ガーネット・ディンブラと申しますわ」


 名を告げられた瞬間、

 背筋が、条件反射で伸びた。


 ――知っている。

 知らないふりはできない。


 この地域の“後始末”を、

 誰が担ってきたのかを。


 ───


「本日は、

 お時間を頂戴いたしまして、

 ありがとうございます」


 丁寧だ。

 非難はない。

 詰問でもない。


 それなのに、

 喉が乾いた。


 ───


「水利の件で、

 少しだけ、

 確認をさせていただきたくて」


 確認。


 その言葉が、

 妙に重く響いた。


 追及ではない。

 断罪でもない。


 だが、

 “確認”とは、

 答えが既にある者が使う言葉だ。


 ───


 彼は、

 慌てて書類を思い浮かべた。


 問題はない。

 基準値内だ。

 承認も下りている。


 人間にとっては。


 ───


「わたくしどもの領地は、

 下流にございますでしょう?」


 穏やかな口調。

 事実の確認。


 否定しようがない。


 ───


「上流のご判断が、

 どのような形で届くのか」


 彼女は、

 責めるような目はしなかった。


 ただ、

 見ていた。


 水を見るように。

 数字を見るように。


 ───


「それを、

 正しく把握しておきたいのですわ」


 正しく。


 その言葉に、

 胸の奥がざわつく。


 ――我々は、

 正しくやっている。


 そう、言い切れるだろうか。


 ───


「ご安心くださいませ」


 なぜだろう。

 その言葉で、

 かえって不安が膨らんだ。


 ───


「責めに参ったわけでは、

 ございませんの」


 責めていない。

 そう、口では言っている。


 だが、

 責める必要があるかどうかを

 決めるのは――

 こちらではない。


 ───


「ただ、

 今回の件は」


 彼女は、

 ほんの少しだけ、

 間を置いた。


 その沈黙が、

 重かった。


 ───


「少々、

 品位礼節に欠けますわね」


 叱責ではない。

 怒りでもない。


 評価だ。


 取り消しの利かない、

 評価。


 ───


 彼は、

 思わず言い訳を口にした。


 安全保障だ。

 予防だ。

 恐怖への対処だ。


 人間は弱い。

 だから備える。


 理屈は、

 いくらでも並べられる。


 ───


「人間の方々が、

 ご自身の恐怖から

 工夫を重ねること自体は、

 理解しております」


 肯定された。


 はずなのに。


 なぜか、

 背中に冷たいものが走る。


 ───


「けれど」


 たった一言。


 それだけで、

 空気が変わった。


 ───


「線引きが、

 少々、雑ですわ」


 彼は、

 何も言えなかった。


 雑。


 否定できない。


 誰を対象外にしたのか。

 誰を誤差と呼んだのか。


 その答えを、

 彼自身が、

 最初から知っていたからだ。


 ───


「よろしければ、

 お紅茶をご一緒に」


 彼女は、

 本当に何気ない調子で、

 そう言った。


 逃げ場のない、

 優しさだった。


 ───


 この人は、

 声を荒げない。


 脅しもしない。


 それでも――

 ここから先は、


 選ばれる側ではない。


 選ぶ側だ。


 彼は、

 初めて理解した。


 ディンブラ家が

 なぜ“必要”とされてきたのかを。


 そして、

 なぜ

 誰も近づきたがらなかったのかを。

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