第2話 トラウマ

 ひびきを背負い、俺が目指したのは通い慣れた御崎中学校だ。ここは災害時の指定避難所になっている。校庭には、既に溢れんばかりの避難民が押し寄せていた。喧騒の中、受付の前にいた信二しんじと目が合った。


「おー、亜季あき! 無事だったか!」


「ああ、なんとか。……それより、この惨状はどうなってるんだ?」


「ここが城から一番近い避難所だからな。人が殺到して、パンク寸前なんだよ。……ん? その背中の子、誰だ?」


「妹の響だよ。家で化け物に襲われて……ショックで気を失ってる」


 俺たちがそんなやり取りをしていると、背後から凛とした声がかかった。


「二人とも、よく無事にたどり着いたな」


「「先生!」」


 現れたのは、俺たちの担任、日真谷ひまたに先生だった。


「お前たちはここの生徒なんだ、受付はパスしていい。とりあえず中に入ろう。……綾田、その背負っている子も休ませないと」


 響を保健室のベッドに寝かせた後、俺たちは喧騒を避けるようにして生徒指導室へと移動した。


 向かいのソファに座った日真谷先生に、俺は自宅で起きたことを洗いざらい話した。  


 響がゴブリンに襲われかけていたこと。  


 《編集エディット》という正体不明の力で、そののゴブリンが消滅したこと。


「そうか……。妹さんを守るために、その力が……」


 先生は重々しく頷き、腕を組んで俺を見据えた。


「綾田。お前が使ったその力だが、実はすでに政府から緊急の報告が上がっている事例だ」


「え? そうなんですか」


「『覚醒アウェイク』現象――そう名付けられたらしい。極度の興奮や生存本能が引き金となって、人知を超えたが発現する現象だ。今、テレビの緊急放送でもそれと城の話題で持ちきりだ」


 ……覚醒、か。確かにあの時、俺は頭の中で『響を助けたい』と強く願った。  


 窓の外にそびえ立つ城を見上げる。あれが出現した瞬間、この世界の物理法則ルールは、別の何かに書き換わってしまったようだ。


 自分の手のひらを見つめ、呆然とする俺に、先生が声を落として告げた。


「……実はな」


「はい?」


「覚醒したのは、お前だけじゃないんだ」


 先生の視線が、部屋の隅で待機していた信二に向けられる。


「私と、そこにいる黒江もだ。私のスキルは炎を操る《紅蓮クリムゾン》。そして黒江は、皮膚を鋼鉄に変える《要塞フォートレス》だ」


 先生の説明によると、この避難所には俺たちを含め、計七人の覚醒者がいるらしい。


「さて、今後の方針だが……。単刀直入に言うぞ。自衛隊の救援部隊が到着するまで、でこの避難所を防衛する」


「……それって、俺たちが魔物と殺し合いをするってことですよね」


「ああ。お前たち生徒に戦えだなんて、教師失格なのは分かってる。だがな、綾田。通常の武器はあの魔物たちに効果が薄いんだ。奴らに対抗できるのは、覚醒者だけなんだよ」


 先生は悔しげに拳を握りしめた。


 俺たちの力だけが頼みの綱。拒否すれば、ここにいる避難民は全滅するかもしれない。


「……救援が来るまで、どのくらいですか?」


「確約はできないが……少なくとも一週間はかかるだろう」


「一週間!? 自衛隊なら、もっと早く動けるはずじゃ……」


「城が現れたのは、千葉ここだけじゃないんだ」


 先生が重い口を開く。その内容は、俺の想像を遥かに超えていた。  


 城は世界中で同時多発的に出現しており、日本国内だけでも現時点で二十カ所が確認されているという。  


 つまり、日本中がパニック状態で、救援を回す余裕などどこにもないのだ。


「……やろう、亜季。俺たちでみんなを守るんだ」


 絶望的な状況下でも、信二の瞳には強い光が宿っていた。こいつは昔から、いざという時に燃える正義漢だ。


「……ああ、分かったよ」


 俺は小さく溜息をつき、一番気になっていたことを尋ねた。


「先生、俺の義母かあさんは避難してますか?」


「ああ、無事だ。お前が来る一時間前くらいに到着したよ。子供たちが心配だって、城の方へ戻ろうとしていたから止めるのに苦労した。さっき二人が到着したのを伝えたから、今頃は保健室で妹さんに付き添ってるはずだ」


「よかった……」


 家族の無事を確認してから、俺たちは今後の防衛計画を話し合った。



 それからは、まさに地獄のような忙しさだった。


 俺たちは物語の英雄みたく、襲い来る魔物と戦い、怯える生徒や避難民を守り続けた。空いた時間では瓦礫の撤去や人命救助もこなした。


 中でも俺の《編集》は、強力だった。  


 『カット』で崩壊した建物から人を助け出し、『デリート』で魔物を簡単に消滅させる。  


 本来、スキルを使うには覚醒者だけが持つ魔力マナを消費する。だが、俺はこの魔力量が他の覚醒者より桁違いに多く、何度スキルを行使しても枯渇することがなかった。


「……はぁ、はぁ。魔力が、もう、底を突く……」


 信二が膝をつき、肩で息をしている。隣では先生も、魔力枯渇による激しい倦怠感からか、汗を浮かべて壁に寄りかかっていた。  


 だが、俺はと言えば、十数回も連続でスキルを放った後だというのに、驚くほど体が軽い。体内の魔力は、溢れる泉のように未だ満ち満ちていた。


(なんだ、みんな大したことないな)


 自分が無敵だと思い込むのに、そう時間はかからなかった。  


 指先一つで対象を書き換え、無限にその権利を行使できる。自分はこの世界で最強の「主人公」なのだと、本気で信じていた。


 だが、俺は気づいていなかったのだ。



 このスキルには致命的な欠陥が存在することに。



 ――そして、防衛開始から二週間が過ぎた頃。


 避難所の食料も底を尽きかけ、覚醒者たちの疲労も限界に達していた深夜。


 その隙を突くように、トラウマは現れた。


 見張りのために立っていた真夜中の廊下に、突如として腐った果実のような、甘く湿った香りが漂い始める。


「あら、面白い『スキル』を持っているのね。私の奴隷オモチャに加えてあげようかしら」


 音もなく現れたのは、陶器のように白い肌をもつ、異様に美しい女だった。背中には禍々しいコウモリの翼。月光を反射した黄金の瞳が、獲物を定める肉食獣のように妖しく光っている。    


 ……淫魔(サキュバス)っぽい。


「なんだお前、どこから入ってきた……?」


 警戒して、俺は一歩後ずさった。入り口の扉や窓も、すべて施錠されていたはずだ。


「うーん、転移ってわかる? 座標を決めた場所に、移動できる魔術なんだけど……」


 女は退屈そうに自分の爪を見つめ、それから俺に視線を向けた。


「見たことないスキルを持った少年がいるって聞いて、わざわざ見に来てあげたのよ」


 心臓が早鐘を打つ。目の前の女から、圧倒的な強者のプレッシャーを感じた。




 だが、俺にはこの二週間、一度も負けたことない最強の『スキル』があるんだ。




「……じゃあ、お望み通り見せてやるよ」


 俺は視界に展開されたウィンドウを操作し、ターゲットを選択した。



「『デリート』!」



 確信を持って放ったはずだった。  


 だが、目の前の女は動じておらず、消える気配すら微塵もない。


「な……っ!?」


 視界の端で、今まで一度も見たことのない赤い警告灯アラートが激しく明滅していた。


【警告:対象の情報密度データが許容量を超えています。編集不可】

 

 どういうことだ……?編集不可ってなんだよ。


「……デリート! デリートだ!!」


 狂ったようにアイコンを連打するが、虚しくエラー音が響くだけ。  


 女はそれを見て、クスクスと笑った。


「無駄よ、坊や。そんな単純なスキルの使い方じゃ一生私に勝てないわ」


 女がゆっくりと歩み寄ってくる。


 俺は必死に『カット』を放とうとしたが、彼女の甘い吐息が脳を溶かし、思考を霧散させる。  


 そのまま組み伏せられ、彼女の指先が胸に触れた瞬間、自分という存在が上書きされていくような恐怖を覚えた。


「……あ、あぁ……あ……」


 死よりも恐ろしい喪失感。  


 自我が崩壊する寸前、廊下の壁を突き破って突入してきた自衛隊の覚醒部隊の攻撃が、淫魔を退け、俺はどうにか一命を取り留めた。


 だが、その日を境に、俺の中で何かが完全に壊れてしまったのだ。  


 最強だと思っていた自分の力が、真の強者の前では通用しないと思い知らされた。




 二日後。


 安全地帯セーフエリアとなっている東京へ避難した俺は、新宿の覚醒者本部に呼ばれた。  


 そこには日真谷先生と信二がいた。


 先生が、俺の肩を強く掴んで言った。


「綾田。自衛隊が、お前の力を高く評価しているらしい。どうだろう。彼らや私と一緒に、あの城を攻略してくれないか?」


 信二もまた、包帯だらけの腕を掲げて俺を見つめていた。


「やろうぜ亜季。俺たちがいれば、絶対誰にも負けないさ」


「綾田。お前なら、この世界のになれる」


 だが、俺の瞳には、かつての熱量は残っていなかった。思い出すのは、あの淫魔の冷たい指先。  


 自分という存在が、いとも容易く消されかけた恐怖と屈辱。


 俺は、震える手で先生の温かい手を振り払った。



「すみません……俺には、できません……!」



「綾田……?」


「無理です。怖いんです。俺は……になんてなれない!」


 情けない絶叫を部屋中に響かせ、俺はその場から逃走した。  


 国が用意したマンションの一室へと、自分を閉じ込めるために。

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世界を編集する者 ~トラウマで引きこもった俺が、銀髪の美少女に連れ出されて英雄になるまで~ 荻窪虎太郎 @wannyannyanwan

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