世界を編集する者 ~トラウマで引きこもった俺が、銀髪の美少女に連れ出されて英雄になるまで~

荻窪虎太郎

第1話 日常と異変

 

 「亜季あきにぃ、起きてる?」


 ヘッドホン越しに何やら少女の声が聞こえる。おそらく義妹いもうとの響が俺の部屋まで朝食を運んでくれたのだろう。

 

 俺はゾンビのような足取りで、ドアを開けに行く。


 「いつもごめんな……ひびき


 「別に。……ママに言われてやってるだけだから」


 響はいつものように、悪態をついているが、こうして毎日俺の部屋まで食事を運んできてくれるだけでもありがたかった。


 「じゃ私学校行ってくるから。ママがお昼は冷蔵庫って言ってた」

 

 「りょーかい。いってらっしゃい」


 「……ん」


 彼女の履いているスリッパがパタパタと遠ざかり、階段を降りていく音を確認して初めて、俺は胸に溜まっていた緊張を吐き出した。


 「なんで俺は妹と話すだけで、こんな緊張してるんだよ……」


 お察しの通り、俺は重度の引きこもりである。本来は今頃、ピカピカの高校一年生だったはずの十六歳。

 

 あるが原因でトラウマを負ってしまい、それ以来外を出歩くのが怖くなってしまったのだ。


 そんな今の俺には、一つだけ大切な趣味があった。


「さてと……今日は何観ようかな。お、これ面白そう。……へぇ、あの監督か」


 そう、『ナトフリ』である。昔から映画、特に洋画が好きだった俺は引きこもりをきっかけに、世界最大手のVODにはまってしまったのだ。

 

 響から受け取った食事をデスクの端に置きながら、俺はナトフリの画面をスクロールさせる。  


『鬼才・クローネン監督、待望の新作』というフレーズが目に留まった。  


 この監督のデビュー作である『日曜日の殺人鬼』は、はっきり言って傑作だった。すべての演出にこだわりがあって、脚本も素晴らしいものだった。監督が良いと、作品に一定の信頼感が持てるのは俺だけだろうか。制作の規模が小さくても、その監督の工夫で作品はA級になり得るのだ。


「やべ、食うの忘れてた」


 急いで冷めかけた味噌汁をすすり、一口食べた卵焼きの甘さが舌に広がる。


 その温もりが、ふと、あの日の苦い記憶を呼び覚ました。

 

 俺がなぜ、十六で希望も将来も捨てて、部屋に籠もり続けるニートに成り下がってしまったのか。  


 その原因は、二年前――世界が、前触れもなく日に遡る。







中学二年の夏、七月二十日月曜日。

 

 蝉が外でけたたましく鳴いている中、俺は考えていた。


(もし俺がハリポタの世界に入ったら、どの寮に入ろうかな……)


 そんな妄想を真剣に考えていると、いつの間にか休み時間になっていた。俺はようやくこのときが来たかと思い、前の席の奴に意気揚々と話しかけた。


「なぁ、昨日公開された『ザ・エグレートス』観た? 冒頭の長回しワンカットから、めちゃくちゃ迫力あってやばかった!」


 前の席から巨体を捻って俺の話に応じる姿勢を見せたのは、親友の黒江信二くろえ しんじだ。  


 中二にして身長一八〇センチを超える巨漢。柔道部の主将を務めていそうなガタイをしていながら、その実、中身は繊細で優しい映画好き仲間である。


「まじか。俺まだ見てないから、あんまネタバレすんなよ。昨日は、数学のテスト勉強してたわ。てかお前は勉強したのか?テスト、次の時間なんだけど……」


「いいんだよ。数学なんか勉強したって、意味ないだろ?」


「確かに俺も数学は好きじゃないけど、流石にくらいは勉強しないとな」


 信二は呆れたように笑った。


 こいつは中一からの親友で、誰よりも俺の趣味を理解してくれた同士だ。

 

 中学生で「あのシーンのライティングがさ」なんてマニアックな話ができる奴は、こいつ以外に知らなかった。


 優しくて頼れる信二に対し、俺はただの口先だけの映画オタク。そんな不釣り合いなコンビの会話が、授業再開のチャイムと共に終わりを告げる。


「じゃ、お互い頑張ろうな」


「おう」




 試験官から、見たことも聞いたこともない文字?数式?が書かれた数学のテスト用紙が配られた。  


 ――五十分後。


「じゃ、答案用紙を集めるぞー。自分のを裏にして、後ろから順に前へ回してくれ」


 そんな残酷な宣言とともに、俺はほぼ名前しか書いていない答案用紙を、前の席の信二に手渡す。


「お前……ほとんど埋めれてねえじゃん」


 信二が呆れ果てたように小声でツッコんできた。


「そんな目で見るなよ。悲しくなるだろ」


 俺は信二から顔を背け、あえて不敵に笑ってみせる。


「いいか。もし俺が将来有名になったら、それも俺の記念館行きになるんだぞ。今のうちに大事に持っとけよ」


「お前は何を言ってんだ。これはただの赤点の答案だろ」


 ひどい。




 テストが全部回収された後、俺は当然のように担任の日真谷ひまたに先生に呼ばれた。


 放課後の教室。西日が差し込む窓際で、先生が腕を組んで仁王立ちしている。  


 タイトなスカートスーツに身を包み、鋭い眼光を放つ彼女は、生徒から「氷の女帝」と恐れられているが、俺はその整った顔立ちが悪役のハリウッド女優っぽくて嫌いではなかった。


「これ、どういうことだ? 綾田あやたぁ。次赤点取ったら、夏休みはないって言ったよなぁ?」


「ええまあ……美人の先生に詰められる補習なら、それもまた一興かと思いまして」


「茶化すな。夏休みを捧げる覚悟はしてきたか?」


「そ、そんなことより、先生。昨日公開された『ザ・エグレートス』観ました?」


 俺が咄嗟に話題を逸らすと、先生の眉がピクリと動いた。


「あ? あぁ、観たぞ。あれはすごかったな。あんな壮大なハイ・ファンタジーを見たのは、『ロード・オブ・ザ・リング』以来かもしれん。特にガーゴイルの鱗の質感が――って、話を変えるな!」


「ですよね! 俺も面白すぎて、また週末に信二と見に行こうかと思ってるんですけど、先生も一緒にどうですか」


「先生をデートに誘う暇があるなら、勉強しろ、勉強」


 ピシャリと言われたが、その口元は僅わずかに緩んでいた。先生も大概、映画好きこっち側の人間なのだ。


「とにかくだ。話を戻すが、お前の補習が確定したことだけは伝えておくぞ」


「そんなぁ」


 俺は肩を落とし、同じく補習が決まったらしい信二と共に校門を出た。


(お前も補習なんかい!)とツッコみたくなる気持ちを抑える。


「はぁ、最悪だよ。夏休みは家で映画三昧できると思ってたのに.....」


「それな。まぁ一緒に補習頑張ろうぜ」


 いつもの通学路で他愛もない話をする。それは平和で、退屈で、ありふれた日常だった。  




――異変が起きたのは、その直後だ。


「ん? あれなんだろう」


 信二が指さした先。  


 信号の向こうにある大きな公園の中央から、重い地響きと共に、巨大な影がせり上がっていた。  


 最初は工事現場の巨大なクレーンか何かだと思った。だが、違う。


 アスファルトを突き破り、公園の木々をなぎ倒し、天をく勢いで生えてきたのは――石造りの無骨な尖塔だった。


……?」


 近くの誰かが掠れた声で呟いた。


 西洋ファンタジー映画でしか見ないような、禍々しくも荘厳な城が、日本の住宅街のど真ん中に現れたのだ。


 現実感が欠落したその光景に、俺は恐怖を通り越して、思わず興奮した声を漏らしてしまった。


「あんなの、映画でしか見たことないけど、すごい迫力だな。VFXみたいだ」


「なんだこれ……。俺たちは夢でも見てるのか……?」


 信二が顔を青ざめさせて後ずさる。  


 その時、城からのようなものが大量に溢れ出した。


 無数の羽音と地鳴りが響き渡る。


 空を覆い尽くすそれは、鳥ではない。巨大な翼を持つガーゴイルっぽいやつの群れ。城の門からはゴブリンみたいな小鬼が大量に現れる。


「え……」


 そんなとき、俺の視線が、ある一点に釘付けになる。  


 城が生えてきた場所のすぐ近くには、俺の家があったはずだ。


「あれ、俺の家じゃないか!?」


 城の土台が地面を隆起させ、俺の家を無残に半壊させていた。  


 血の気が一気に引き、指先が凍りつく。


「響っ!!」


 俺は走り出していた。  


 信二の「待て、亜季!」という制止を振り切り、パニックに陥って逃げ惑う群衆の中を逆走する。  


 息が切れ、足がもつれ、肺も焼けるように熱い。


 半壊した自宅の前にたどり着くと、そこは既に地獄の一角と化していた。


「響!! いるなら返事してくれ!」


 リビングだった場所が剥き出しになり、積み重なった瓦礫の下で、小さな人影がうずくまっている。


「亜季……にぃ……。助けて……」


 瓦礫の隙間から、泥にまみれた制服姿の響が見えた。瓦礫に足を挟まれて動けないらしい。  


 そして、そのすぐ側に、緑色の皮膚をした小鬼――ゴブリンが、汚らしい涎を垂らして立っていた。


 手に錆びついたナイフを持ったそいつは、爬虫類のような目をしていた。その目にあるのは知性を一切感じない、純粋な殺意の塊だ。


「ひっ……!」


 響が、悲鳴を上げる。  


 俺は近くの瓦礫を掴んでゴブリンに投げつけようとしたが、あまりの重さに指先が滑るだけでびくともしない。


「くそ、どうすりゃいいんだ、なにか武器は……!」


 ゴブリンが嘲あざ笑うように、ナイフを高く振り上げる。スローモーションのように時間が引き延ばされる感覚。  



 死ぬ。響が死ぬ。俺の目の前で。


 嫌だ。こんな結末エンディングは絶対に認めない。



 こんなクソ脚本シナリオ、俺が書き換えてやる!




『――シナリオの改変を申請します』




 脳内に、簡素な機械音声が響いた。直後、俺の視界に半透明のシステムウィンドウが浮かび上がる。



【警告:管理者権限により、世界線へのアクセスが可能になりました】


【スキル《編集エディット》を発動しますか? YES / NO】



「なんだこれ、《編集》ってなんだよ! なんでもいい、とにかくあいつを倒させろ!」


 俺は空中に浮かぶ『YES』の文字を、全力で叩いた。


 瞬間、世界から音が消え、すべての動きがした。振り下ろされるナイフも、響の瞳から溢れ出した涙も。  


 すべてが一時停止ポーズされた映像のように、その場で固まっている。


 俺だけが自由に動ける、モノクロの世界。


 この世界では、建物や生き物に触れることはできないみたいだ。


 視界の端には、動画編集ソフトのようなツールバーが表示されていた。


『対象を選択してください』


 俺は、眼前のゴブリンを指差す。赤い枠が、ターゲットであるゴブリンを囲んだ。


 ツールバーに並ぶ『カット』と『デリート』のアイコンが光っている。


 俺は、直感的に理解した。これは、目の前の現実を素材データとして編集する力だ。


「消えろ……消えてなくなれ!」


 俺は迷わず『デリート』を選択した。  



 再生プレイ



 次の瞬間、ゴブリンの姿は「最初からそこにいなかった」かのように、この世界から消失した。断末魔も、飛び散るはずの血飛沫も。ただ、空間そのものが不自然に抉り取られたような、不気味な空白だけを残して。


「え……?」


 響が目を見開き、呆然と目の前の空くうを見つめている。


「亜季にぃ……? 今の、なに?」


「わからん。とにかく、今は逃げるぞ!!」


 俺は再び《編集》の力を行使し、響の足を挟んでいた瓦礫の部分だけを『カット』して取り除いた。断面はまるで鏡のように滑らかで、なにか理外の力が働いてるのを感じた。


 響を背負い、俺は崩壊していく街を必死に駆けた。  

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