最終話:『そして伝説へ ~彼らが去った後、世界は静かになった~』

黒雲が渦巻き、紫電が奔る。  世界の最果て、魔王城「カオス・エンド」。  その玉座の間には、この世の全ての絶望を凝縮したような重苦しい空気が漂っていた。


 人類の敵、魔王ゼノン。  彼は玉座に深く腰掛け、眼下に立つ二人の侵入者を見下ろしていた。


「よくぞ来た、愚かな人間どもよ……」


 魔王の声は、腹の底に響く重低音だった。  だが、その威圧感も、この二人には通用しない。


「魔王よ。貴殿の居住区における建築基準法への適合性についてだが、入り口のバリアフリー化が遅れているのではないか? 私はね、高齢化する魔族社会への配慮が足りないことに、強い懸念を……」


 賢者シゲルは、入室するなり手帳を開き、城の構造的欠陥についてブツブツと指摘を始めていた。  一方、勇者シンは、魔王の禍々しいオーラを浴びながら、爽やかに微笑んでいた。


「やあ、魔王さん。君は強そうだね」 「……ほう。余の力が分かるか」 「分かるよ。強そうということは、弱くないということだ!」 「…………」


 魔王ゼノンの眉がピクリと動いた。  こいつらは何なんだ。恐怖がないのか。いや、知性があるのか?


「余は問おう。貴様らは何ゆえ戦う? 正義とは何か? 秩序とは何か? 答えられぬ者に、余を倒す資格はない」


 魔王が哲学的な問いを投げかけた。  これは罠だ。精神に直接干渉し、矛盾を突いて発狂させる「問答の呪い」。  だが、シゲルが食い気味に反応した。


「正義の定義か……。良い議題だ。しかし、正義とは主観的な概念であり、国際法上の解釈も分かれる。まずは『絶対的正義』が存在するか否か、有識者会議を設置して議論すべきだ。期間は半年。座長は私が務めるが、異論は?」 「は? 半年……?」 「短いか? ならば年度内いっぱいまで延長し、パブリックコメントも募集しよう。魔族側の意見も聞かねば、公平性が保てないからな」


 魔王が言葉を詰まらせた。  呪いを発動する前に、手続き論で封殺された。


「ええい、鬱陶しい! ならば力でねじ伏せるのみ!」


 ドォォォォン!!  魔王が立ち上がり、掌から極大の闇魔法「ヴォイド・ブラックホール」を生成した。  全てを飲み込む虚無の球体。


「消えろ! 塵も残さずな!」 「危ないシゲル! 攻撃だ! 攻撃が来るということは、身を守らなきゃいけないということだ!」


 シンが叫び、聖剣を抜いた。  しかし、圧倒的な魔力差。防御魔法など間に合わない。  このままでは全滅する。  その時、シゲルが叫んだ。


「……くっ、万事休すか! だが、ただでは死なん! 魔王よ、貴殿のその攻撃魔法、環境アセスメント(影響評価)は済んでいるのか!?」 「なに!?」 「その規模の爆発は、城周辺の生態系に不可逆的なダメージを与える! 環境破壊への説明責任を果たさずに撃つことは、コンプライアンス違反だと言っているんだ!!」


 魔王の手が止まった。  一瞬の躊躇。その隙を、シンは見逃さなかった。


「今だ! シゲル、僕たちの必殺技だ!」 「必殺技だと? そんなものの使用許可は出していない! 決裁文書が回ってきていないぞ!」 「いいからやるんだ! やるということは、実行するということだ!」


 シンはシゲルの腕を掴み、無理やり魔王へと特攻した。  シゲルが引きずられながら叫ぶ。


「待ちなさい! 独断専行だ! この突撃にかかる経費とリスクについて、株主……いや国民への合意形成が……!」 「合意なんていらない! 僕たちが一つになれば、1+1は2になるんだ! すごいだろう!」 「当たり前だ馬鹿者ぉぉぉぉッ!!」


 勇者の「意味なきポジティブ」と、賢者の「重すぎる理屈」。  相反する二つのエネルギーが衝突し、物理法則を無視した「対消滅エネルギー」が発生した。


 カッッッ!!!!  まばゆい光が玉座の間を包み込む。


「な、なんだこの光は……!? 理屈が通じない……!? 計算できない……!? 余の闇が、中身のない光に塗り替えられていくぅぅぅっ!?」


 魔王ゼノンが絶叫した。  シンの「トートロジー(A=A)」は、魔王の「混沌(カオス)」を強制的に「単純な事実」へと固定化してしまうのだ。


「魔王さん! 一緒に行こう!」 「貴様、何を……放せ!」 「行くよ! 行くということは、ここにはいなくなるということだ!」 「やめろ! 余はまだ世界の支配を……!」 「支配なんてしなくていい! 君は君だ! それだけで素晴らしいんだ!」


 シンが魔王を抱きしめた。  そして、シゲルが眼鏡を光らせて、最後通告を突きつけた。


「……やむを得ん。この事態の収拾については、私が責任を持って報告書にまとめる。ただし、提出期限の延長を求めるがな……!」


 ズガアアアアアアアアアンッ!!!!


 魔王城の最上階で、世界最大規模の大爆発が起きた。  それは破壊の光ではなく、世界を強制的に「リセット」するような、白く、どこか虚しい光だった。


 ***


 ……数年後。


 世界は平和になった。  魔王城と共に、魔王も、勇者も、賢者も消滅したからだ。  王都の広場には、二人の英雄を称える巨大な石像が建てられていた。


 勇者シンの像は、空を指差して笑っている。  賢者シゲルの像は、腕を組んでうつむいている。


 その台座には、彼らが遺したとされる「伝説の言葉」が刻まれていた。


 『世界が平和になった。それはつまり、戦争が終わったということである』  『なお、この平和の持続可能性については、引き続き慎重にモニタリングを行う必要がある』


 人々はその像の前で祈りを捧げる。  だが、不思議なことに、この像にどれだけ祈っても、願いが叶うことはなかった。  ただ、風に乗って、どこからか声が聞こえるという。


 ――願いを叶えるということは、君の望みが実現するということだ。  ――その願いの受理については、現在、審査中であり、順次対応を検討している……。


 彼らは今も、異次元の彼方で、終わらない議論(と、意味のない肯定)を続けているのかもしれない。  世界を救った、最も噛み合わない二人として。


(完)

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『君に強化魔法をかける。それはつまり、君が強くなるということなんだ』 LucaVerce @LucaVerce

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