第2話 神に誓った疑似婚約

 目の前に見えるのは夕日に照らされ、橙色のレンガを鮮やかに輝かせたこの町一番の大聖堂、「アマルフィ大聖堂」だ。町の中心地に位置するこの場所で、私は明日、西の国の王子と結婚することになっている。

 もちろん、私が決めたことではない。お父様とお母様と大臣と、それから西の国の偉い人達が勝手に決めたことだ。そうでなければ顔も知らない相手との結婚を受け入れられる訳がない。

 ……いや、本当はまだ受け入れられていないのかもしれない。頭の中では理解していたつもりだったこの政略結婚も、心の中ではまだ納得しきれていない自分がいる。わざわざ結婚式の前日に休みをもらい、メアリーとこの場所に来たことが何よりの証拠だ。


「行きましょう、メアリー」

「えっ? は、はい……」


 メアリーも流石にこんな所に来るとは思っていなかったという様子だ。

 町を歩いている時に、偶然この聖堂の前を通りかかることができてよかった。その時にこの場所を記憶したおかげで、土地勘のない私でもここまで辿り着くことができたのだから。


 ――コツ、コツ、コツ、コツ。


 入口の前にある階段を一歩、また一歩と踏みしめながら、メアリーと肩を並べて昇る。階段を昇りきった先には二枚の扉が待ち構えている。私は一度深呼吸をして、その扉に手をかけた。


「……!」


 扉を開けて中の光景を見た瞬間、私の体は硬直した。

 部屋の最奥に見えるのは大きな窓に施されたステンドグラス。そこから差し込む色とりどりの光は、かつてないほどに神秘的で荘厳なものだった。部屋の最奥には祭壇が立っており、ステンドグラスの光を浴びて神々しい輝きを放っている。そしてその祭壇へ導くように部屋の中央には赤いカーペットが真っ直ぐ敷かれており、その道の左右には何列もの長椅子が等間隔に並べられている。これが所謂「バージンロード」と呼ばれているものだということは、初めて見る私でもすぐに理解できた。

 天井は高く、壁や柱はとても分厚い。ゴシック建築が用いられたこの建物は、まさしく神に祈りを捧げる大聖堂に相応しい作りとなっている。


「メアリー」


 私は目の前に伸びるバージンロードを見つめたまま、メアリーの腕と自分の腕を絡み合わせる。


「リリー?」


 メアリーは一瞬私の方を向いて小首を傾げたが、私が歩き出すとそのまま何も言わずについて来てくれた。

 二人でバージンロードを闊歩する。そしてその部屋の最奥まで来たところで、私は今日ここに来た理由をメアリーに告げる。


「――二人でここで、結婚式を挙げましょう!」


 広い空間に私の声が反響する。


「…………えっ?」


 それを聞いたメアリーは、目と口を大きく開けたまま固まってしまう。


「――えええぇっ!!??」


 反響する私の言葉を何度も聞いて、やっと理解したのか、数秒遅れて驚きの声を上げた。


「けっ、け、結婚だなんて……! な、何を突然おっしゃっているのですかっ!?」


 顔を真っ赤にして動揺するメアリーを見て、私は満足気に笑う。


「ふふっ、冗談よ。メアリーにはただ、明日の結婚式の練習に付き合ってもらいたいだけなの」

「なっ……! もう、リリーったら……お人が悪いですよ!」


 王族の結婚式ともなればそれだけ盛大で、格式ばったものが行われる。一国の王女として式を台無しにすることは許されない。

 それを分かっているから、メアリーも強く怒ることはなかった。


「……分かりました。日が完全に沈むまであまり時間もないので、一回だけですよ」

「ふふっ、メアリーならそう言ってくれると思っていたわ!」


 呆れた表情を浮かべるメアリーと、それを見て微笑む私。

 神が見守る聖堂で、私達は擬似婚約という名の最後の思い出を作ることにした。



 ――かつて東の国と西の国は同じ一つの国だった。しかし派閥争いなどをきっかけに二つの国に分裂してからは、長年もの間ずっと対立状態となっていた。

 度重なる戦争の末、次第に民は疲弊し、この対立に疑念を抱くようになった。そこで東の国の王女である私と、西の王の王子を婚約させることで和解を図ろうという政策が二か国間で決定された。

 これが我が国の情勢であり、現実なのだ。

 西の国の王子と結婚するということは、国の平和を私が担うということ。そうなればきっとメアリーと過ごす時間も少なくなってしまう。今日のような休日を過ごすことも、もうできないだろう。結婚式の練習と言ったのも、本当はただの口実。私はただメアリーと二人だけの思い出を作りたかっただけなのだ。


 祭殿の前に立ち、私は茶のシュールコーを脱いで中に着ていた白のコットを露出させる。そしてメアリーが付けていた白のヴェールを借りて、私の頭に被せる。

 その姿はまさに純白のウェディングドレスを着た花嫁のよう。


「今回は剣の代わりに……このナイフを使いましょうか」


 そう言ってメアリーは懐から鞘に納まった状態のナイフを取り出す。

 明日行われる結婚式は私と王子の結婚を祝うものであると同時に、国の平和を願ったものでもある。そのため一般的な結婚式の催しに加え、少し特殊な儀式が行われることになっている。

 それは私と王子の二人が協力して一本の剣を一本の鞘に納めるというもの。戦いや争い事の象徴である剣を王子が持ち、鞘を持った私がそれを納める――そうすることで「戦争の終結」を示すことができるのだ。

 メアリーはナイフを鞘から抜き、その両方を祭壇の上に置いた。


「……では、始めますよ」

「ええ、いつでも大丈夫よ」


 そしてメアリーは私の方に向き直り、大きく息を吸って宣言する。


 私、メアリーは、リリアン王女を花嫁として迎えます。

 喜びの時も悲しみの時も、

 健やかなる時も病める時も、

 たとえ死が私達を引き離したとしても、

 あなたを愛し、敬い、忠実であることを、

 神の御名によって誓います。


 そう高らかに宣言し、膝をついて私の手の甲にキスをする。

 握ったメアリーの手は少し震えている。私は握られた方とは逆の手をメアリーの頬に添え、


「……ふふっ、やっぱり。メアリーの顔、熱くなってるわよ」


 緊迫した空気に茶々を入れるように、メアリーをからかった。


「も、もうっ、からかわないでください! こんなセリフをリリーに言うなんて、思ってもなかったんですからっ!」

「そう? その割には気持ちの籠った、良い誓いだったわよ」


 そう言って、私は先程のメアリーの言葉を思い出す。


「『私、 は、リリアン王女を私の花嫁として迎えます』なんて。あなたは今、王子様のはずなのにね」

「……っ!」


 本来ならそこには西の国の王子の名前が入るところだ。

 それに気付き、メアリーはさらに頬を熱くさせる。


「そ、そんなことより、次はリリーの番ですよっ!」


 メアリーはすぐに立ち上がると一歩後ろに退き、私に「早くしてください!」とでも言いたげそうな目で睨んでくる。


「ふふっ、そうだったわね」


 仕方がないので、ここは素直に従っておくことにした。

 私は背筋を伸ばし、メアリーの顔を真っ直ぐ見つめる。


 私、リリアンは、メアリーを花嫁として迎えます。

 喜びの時も悲しみの時も、

 健やかなる時も病める時も、

 たとえ死が私達を引き離したとしても、

 あなたを愛し、敬い、忠実であることを、

 神の御名によって誓います。


 私も同じようにして誓いの言葉を述べると、お互いに言葉が出ないまましばらく見つめ合う時間が続く。

 そして一分にも感じられるような時間の後――実際には五秒程だろうが――私はその場の空気に耐え切れず、クスッと笑みを零した。


「ふふっ、どちらも花嫁だなんて、なんだかおかしいわね!」

「それはリリーが私を花嫁として迎えちゃったからじゃないですかっ!」

「そりゃあメアリーにあんな熱烈なことを言われたら、私もお返ししないと失礼でしょう?」


 そう言うとメアリーはまた「もうっ」と言って、そっぽを向く。

 私の一回り年上の侍女は、私の言動にすぐに動揺して頬を赤らめてしまうような、とても可愛らしい女性だ。しかし同時に、私に様々なことを教え正しい方へと導いてくれる、頼もしい存在でもある。

 私はそんなメアリーと過ごす時間が大好きだ。


「…………あ~あ。こんな時間がいつまでも続けばいいのになぁ……」


 私は頭の中に浮かんだ言葉をぼそっと呟く。メアリーと二人きりで気が抜けているからだろうか。お父様やお母様の前では絶対に言えない一種の愚痴のようなものを、私は何も考えずに口に出してしまっていた。


「あっ……」


 私は後になって自分の発言の過ちに気付く。


「……リリー」

「あっ、ごめんなさい、そういう意味じゃなくて……!」


 明日の結婚式はただの結婚式でない。国の平和と民の命がかかった非常に重要な結婚式だ。

 だからきっとメアリーからは、


『そう思うのは勝手ですが、その発言は一国の王女として許されません!』


 という感じのお説教をもらうに違いない。耳にタコができるくらい聞かされた言葉だ。

 そう思い、私はメアリーの顔色をそっと窺った。するとメアリーはじっと地面を見つめながら、静かに息を吐くようにしてこう言った。


「…………純白のウェディングドレスの意味をご存じですか」

「えっ……?」


 予想とは全く異なる突拍子もない質問に、私は思わず目を見開く。


「……いいえ、知らないわ」


 恐る恐る答えると、メアリーはとても辛そうな表情を浮かべながら口を開けた。


「あなた色に染まります――明日リリーが着る純白のウェディングドレスには、そんな意味が込められているんです」

「……そう」


 その意味とメアリーの表情から、今から何を言おうとしているのか何となく分かった気がする。しかし、それは決して侍女が言ってはいけない言葉。それこそ、メアリーのお説教が飛んでくるような爆弾発言だ。それが十分に分かっているからこそ、メアリーは自分の服をぎゅっと握り、意を決したような表情で私の顔を見つめてくるのだ。


「…………私は、あなたが他の色に染まるところなんて、見たくないっ……!」


 言葉と共にメアリーの目からは涙が零れた。そしてダムが決壊したかのように、内に貯めていたものがどんどん外へ溢れ出していく。


「…………」


 それを見て、私はつい言葉を失ってしまう。

 私が生まれてから今日に至るまでの十四年間、メアリーは一度も涙を見せたことがなかった。私の前では常に強く、聡く、そして正しくあり続けた。そんな彼女の、おそらく人生初である「わがまま」を前にして、私はただ黙って見守ることしかできなかった。


「……私は幼い時からずっとあなたのもとで仕えてきました。あなたが初めて外の世界に興味を示し笑った時も。お城からの脱出に失敗し、両親からひどく怒られた時も。そしてその後、私の胸の中でたくさん泣いた時も……。あなたの人生のいついかなる時でも、私はずっとあなたの側に居続けました。あなたが喜べば私は喜び、あなたが悲しめば私は悲しむ――あなたの人生そのものが、私にとっての幸せなんです! あなたさえいれば私はなんだっていい……。他に何も望みません――だから……!」


 メアリーは涙を拭い、私の手をぎゅっと握る。


「――だからリリー……私と一緒に、どこか遠くの国へ逃げましょう……!」

「……!」


 それが何を意味するのか分からないメアリーではない。自分がどれほど弱く、愚かで、間違ったことを言っているのかを理解した上で、私にそう言ったのだ。


『この時代、戦争のない国の方が珍しいんです。だから国の平和のために結婚するというのは、名誉ある素晴らしい行為なんですよ』


 かつてメアリーが結婚を嫌がる私に教えてくれたことだ。

 ずっと、ずっと、メアリーは私の前では完璧でいてくれた。良いことをしたら褒めてくれて、悪いことをしたら叱ってくれて……いつだって私を正しい方向へ導いてくれる。そんなメアリーが私にとっての憧れだった。

 だからこそ、私の答えは決まっていた。


「……ねぇ、メアリー」


 かつてメアリーが泣きじゃくる私を慰めてくれた時のように、私は優しい声でメアリーに話しかける。


「私ね、今日はあなたと一緒にこの町へ来られて、本当に良かったと思っているわ。今日起きた出来事はどれも新鮮で、とても楽しくて、心の底から笑うことができた。今日あなたと過ごした時間は、何事にも代え難いとても幸せなものだった。それこそ、国や政治のことなんて忘れられるくらいに……」

「だったら……!」

「――なんていうのはね、嘘なのよ……。いくら忘れようとしても、完全に忘れきることはできなかった……」

「……!」


 私はメアリーの言葉を遮るようにして言った。

 そして今日見た光景をまぶたの裏に思い浮かべる。


「……今日、町を歩いて気付いたの。町の人達は皆、戦争に疲弊している。お腹いっぱいに食事を取ることだって出来ていなかった」


 先ほど市場でぶつかった少女だけじゃない。意識して見ようとしていなかっただけで、町を歩けば視界の端々にそういった人達は映っていた。


「そういう人達のおかげで今の私があるんだって、今日初めて実感できたの」


 昨日両親に言った「民の姿を見ておきたい」という自分の言葉は、ただの外へ出るための口実ではない。その気持ちも半分入ってはいるが、もう半分は確かに本心から出た私の想いだ。民の姿を見て、結婚する覚悟を決めるために言った言葉だ。


「私は既にたくさんの幸せをもらって、外へ出るという夢を叶えることだってできた……。だから、今度は私がみんなにお返しする番」


 そう言って私はメアリーの手を握り返し、いつも偉い人達の前で作っているのと同じ笑顔を見せつける。


「――メアリー、どうか私の晴れ舞台を……見届けてくれないかしら?」

「っ…………」


 完璧な笑顔を作ったつもりでも、メアリーの目にはとてもひどい表情に見えたのだろう。メアリーは下を向いて、唇を噛み締めている。

 出来ることなら今すぐ抱きしめて、思う存分頭を撫でてあげたい。でも、今の私にそれはできない。それをしてしまったら、この意志はきっと揺らいでしまうから。

 やがてメアリーは歯を離し、絞り出すような声で答える。


「……私は、今までリリーの言うことに従わなかったことはありません。そしてそれは、これからもずっと同じことです……」


 私の目は見ず、依然として下を向いたまま話すメアリーに対し、私はただ「ありがとう」と言って微笑んだ。



 その後、私達は一切の会話をすることもなく、自然と聖堂を抜け出し帰路へとついた。

 すっかり夕日は沈み、町は建物の灯りに照らされる。その中を二人、指を絡ませるようにして握り、ゆっくり歩いていく。言葉を交わさずとも考えていることはきっと同じだ。

 ――これから先どんな人生を歩もうとも、今日という日のことは絶対に忘れない。

 私はだんだんと遠くなっていくアマルフィの海を眺めながら、そう神とメアリーに誓った。

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