あなた色に染め上げて

mikanboy

第1話 東の国の王女の休日

 王族の娘として生まれたからには、それ相応の責任がついてくる。それは自分の感情を押し殺してでも成し遂げないといけない、非常に重要なものだ。すべては国のため、民のために。

 だから私は今日もその責任を遂行する――「政略結婚」という名の責任を。



「わぁ~! 見てメアリー! 海よ! 遠くに海が見えるわ!」

「リリアン様、あまり走り回っては危ないですよ!」


 メアリーの忠告を背中で聞き流し、私は目の前に広がる丘の上からの景色を思う存分堪能する。

 青い空に、青い海。太陽に照らされた海面は眩しいほどにキラキラと輝いており、その上をカモメの群れがV字になって飛んでいる。その手前の海岸沿いには、白い壁にレンガ色の屋根を付けた家や聖堂等が、段差になって立ち並んでいる。手前になるほど段差は高くなっているため、私達の立つ場所からなら海と町の景色を一望できる。

 その景色はまさしく、絶景と呼ぶにふさわしいものだった。


「どうですか? 外に出て見るのと、お城の中から見るのとでは違うでしょう?」


 そう言ってメアリーは私の斜め後ろで、手を前で組んで立っている。そこがいつものメアリーの――侍女の立ち位置だ。


「ええ、メアリーの言っていた通りね! 外で見る方が何倍も良いわ!」


 ここはお城――つまり我が家の敷地から出てすぐの場所。ここから見える景色はお城の窓から見えるものとそう大差ない。しかし、それでも私はこの景色に新鮮さを覚え、どうしようもなく興奮してしまうのだ。

 それにはある一つの理由があった。



 ――話は昨日のことまで遡る。


「お父様、お母様、どうか私に一日だけ自由な時間を頂けませんか?」


 夕食の時間、私はいつもの事務報告――今日は何を勉強したか、どんなことがあったかの報告――を終えた後、スプーンを置き、ひと呼吸おいてからそう両親に切り出した。


「…………」


 暫しの静寂がその場を支配する。テーブルを挟んで向かいにはお母様、斜め隣の端の席にはお父様が座っている。二人ともスプーンを持つ手をぴたりと止め、目を見開いた状態のまま私の顔を見つめている。

 テーブルの上には香辛料の効いた色とりどりの料理が並べられており、緊迫した空気の中では、香辛料の独特な香りがより一層強く感じられる。


「自由な時間って……急にどうしたの、リリー?」


 最初に沈黙を破ったのはお母様だった。私のことを「リリー」と愛称で呼ぶのはお父様とお母様とあと一人、私と親しい間柄の人間しかいない。


「何かしたいことでもあるのか?」


 髭を生やし、どっしりとした構えで冷静に話を進めようとするのはお父様だ。王様に相応しい貫禄ある風貌と、優しさを兼ね備えた私の自慢のお父様だ。


「……お城の外に、行ってみたいのです」


 私はそんな二人の顔を交互に見た後、いつにも増して真剣な表情でお願いをした。

 その言葉に驚いたのだろう。二人は再び目を見開き、今度は口を開けたままお互いの顔を見つめあっている。


「外に行きたいって……明後日は大事な結婚式なのよ? もしリリーの身に何かあったりしたら……」

「――だからこそ、私はこの目で守るべき国を……民の姿を見ておきたいのです」


 心配するお母様の言葉を遮り、私は自分の想いを正面からぶつける。

 お母様の言う通り、私は二日後に西の国の王子との結婚式を控えている。しかし結婚すれば祝いのパーティを開いたり、王子との親睦を深めたりする時間が必要になってくるだろう。そうなれば今までよりもさらに忙しく、窮屈な日々が続いてしまう。そうなる前にどうしてもこの願いを叶えたいと思ったのだ。

 だって私は、



「ん~、風が気持ちいい~!」


 丘の上からの景色を眺めながら、私は両手を広げてそよ風を全身で堪能する。

 結局、護衛に侍女であるメアリーを付けること、他の人に王女だとバレないことを条件に、私の願いは何とか聞き入れられた。お母様は最後まで心配していたが、お父様の「嫁入り前ぐらい自由にさせてあげよう」という一言により、不満気ながらも承諾を得ることができた。


「良かったですね、外出の許可を頂けて。リリアン様、ずっと外に出るのが夢でしたものね」

「ええ、本当にねっ!」


 改めて言葉にされると、自然と笑みが零れてくる。

 思い返してみれば、今までの人生ずっと勉強か礼儀作法の練習しかしてこなかった気がする。外は危険だと言われ、外出することは許されず、今までずっとお城の中で窮屈な生活を強いられてきた。

 そのせいだろう、私の憧れは自然と外の世界へと向けられていた。


「実際に外に出て、見て、とても感動したわ! これがメアリーの言っていた『アマルフィ海岸』なのね!」


 いつの日かメアリーが私に教えてくれた。今私たちが見ている景色は地図で言うところの南側で、この海は「地中海」と呼ばれるとても大きな海なのだと。そしてこの海岸はアマルフィ海岸と言い、世界でも有数の美しさを誇る海岸なのだと。


「その通りです。よく覚えていましたね、リリアン様」

「ふふんっ、知ってるでしょう? 私、地理の勉強だけは得意なんだから!」


 勉強はいつもお城の中で、たくさんの家庭教師に教わりながら行っている。算術、言語、政治、歴史など、科目ごとに担当する教師が変わり、メアリーはその中の地理を担当している。

 幼い頃から勉強が苦手な私だったが、外へ出たことがない分、世界の様々な景色や文化への興味はとても強かった。そこでメアリーは、そんな私のために様々な本を読み漁り、そこで知った世界の知識を私に教えてくれるようになった。侍女であるメアリーが家庭教師を兼ねているのは、そういう経緯があってのことだった。


「私、この場所気に入ったわ!」


 目の前に広がるアマルフィ海岸を眺めながら、風に裾をなびかせ、草木が揺れる音を聞き、ほのかに漂う塩の香りを堪能する。ずっとこうしていたいと思うくらい、とても心地が良い。


「ふふっ、そう言って頂けるとなんだか嬉しいです。私もここから見える景色が、この町で一番好きなので」


 風でなびく髪を手で押さえながら、メアリーはそう微笑んだ。


「ですが、この町には他にも魅力的なものがたくさん存在します。せっかく頂いた貴重な休日なんですから、今日は色々なものを見て、体験して、楽しみましょう」

「ええ、そうね! でも、その前に……」


 丘を降りて町へ繰り出す前に、どうしてもメアリーに伝えておかなければいけないことがある。


「……? どうしましたか、リリアン様?」


 私はメアリーの方に振り返り、わざとらしく頬を膨らませて見せた。


「二人きりのときはリリーって呼んでって、いつも言っているでしょう?」


 メアリーに向かって人差し指を突き立て、言い聞かせるような口調でそう告げる。

 リリーは私の愛称であり、特別な関係の者しか使ってはいけないとされている、特別な名前だ。通常、侍女が使っていい呼び方ではないのだが、幼い頃からずっと一緒にいるメアリーだけは特別だ。

 とはいっても、流石に周りに人がいる時に使っていいものでもないので、二人きりになった時だけそう呼んでもらうようにしている。


「あ……ふふっ、そうでしたね」


 そう言ってメアリーは一歩前へ進み、私の隣に並ぶ立つ。

 そこは私の大切な人の――メアリーの立ち位置だ。


「それでは行きましょうか、リリー!」

「ええ!」


 メアリーが差し出した手をぎゅっと握る。

 たくさんの期待を胸に、私たちは町へ向かって歩き始めた。



 丘を下ること約一時間。二人は町の入口付近にまで来ていた。

 目の前には、おそらくそのまま海岸へと続いているであろう緩やかな下り坂が見える。その両脇には白い壁の建物がしきりに立ち並んでおり、道の幅も馬車が一台通れるくらいの余裕しかない。そのため町の中は日中にも関わらずやや薄暗い。そのうえ建物で視界が塞がれているため、せっかくの綺麗な海岸もここからでは望むことが出来ない。

 世間一般的には、ここは不気味な雰囲気の町だと言えるだろう。


「……ねぇ、メアリー」


 しかし、だからこそ私の第一印象はこうだった。


「正直言ってこの町…………とっっても素敵ね!!」


 お城の中ではこんな雰囲気は味わえない。目に映るものが非日常的であれば、それだけで私にとってはとても魅力的なものに見えてしまうのだ。


「早く行きましょう!」

「ふふっ、ええ、そうですね」


 私は目の前に広がる未知の領域に興奮し、メアリーの手を引っ張りながら、跳ねるような足取りで町の中へと入っていった。



「――それにしても、私が王女だって誰も気付いていないわね」

「ちょっ、リリー! 町中でそういうことを仰ってはいけませんよ、もし誰かに聞かれたらどうするんですか。それとも、ご両親との約束をお忘れですか」

「もちろん覚えているわよ。『他の人に王女だとバレてはいけない』でしょう?」


 私の隣を一人の男性が通りかかる。私の顔を見て会話も聞いているはずなのに、特に驚いた様子はない。

 結局、何もないままその男性は通り過ぎて行った。


「……ね? やっぱり誰も私が王女だなんて思ってないのよ!」

「それは……喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、複雑な気持ちですね……」


 メアリーはきっと、国の王女がその程度の知名度で大丈夫なのかと心配しているのだろう。

 しかしその心配は必要ないと私は思う。なぜなら、私が王女だとバレていないのには別の理由があるからだ。


「何言ってるの、これも全部メアリーのおかげじゃない! この変装のおかげで、私はごく普通の平民として町を自由に歩けているんだから!」


 今朝外出する前に、私はメアリーから平民の格好に変装するよう提案を受けた。

 そのため、今日は白のコット(ワンピースよりも裾の長いカジュアルな服)に茶のシュールコー(外出用の緩やかな上着)を重ねて、腰回りを地味な色の紐で結んである。靴はちょうど良い大きさの柔らかい革靴だ。

 普段なら家紋の付いた派手な服の上に金の重い紐を結び付け、足先が細長く尖った窮屈な靴を身につけなければいけないところ。

 しかし今日は、今日だけは違う。私はこの地味でたるんだ服と、装飾性の欠片もない紐と、使い古された靴を身に纏うことで、ついに自由を手に入れることができたのだ。


「それに私、この服結構気に入っているのよ。少し汚れてはいるけど、軽くて窮屈もしなくて、とっても動きやすいもの!」


 この服のたるみや汚れは、使用感を出すためにわざとメアリーが付けたものだ。新品の服を泥水につけてくしゃくしゃにした後、きれいに洗う。この一連の作業を数回繰り返すことで、程よい使用感を演出することができるらしい。

 日頃から綺麗な服ばかり着ている身としては、最初はそういった服を着るのに正直抵抗があった。しかし実際に来てみると案外悪くないどころか、むしろこちらの方が良いと思えるような着心地だったのだ。


「そうですか……? まぁリリーがそう仰るのなら、それでいいのですが……」


 しかし言葉とは裏腹に、メアリーの顔はまだ納得いっていないという表情を浮かべている。

 そんな顔をされては困る。確かに今日は多忙を極める私にとって貴重な休日だけれども、それは毎日私のお世話をしているメアリーにも同じことが言えるはずだ。

 私はメアリーにも今日の休日を楽しく過ごしてもらいたい。だから私はわざとらしい口調で、メアリーの気が逸れるようなことを言うことにした。


「……そんなことより、早く私に素敵な場所を紹介してよねっ。今日のデート、すっごく楽しみにしてたんだからっ!」


 頬を膨らませて、上目遣いで拗ねてみる。


「で、デート!?」


 思いのほか大きな声が出てしまったのか、メアリーは目を見開いたまま、ぱっと自分の口を手で抑え込む。そしてそんな自分の声が恥ずかしくなったのか、その顔はじわじわと紅潮していく。


「し、失礼しました……」


 周囲の人たちの視線を感じ、メアリーは申し訳なさそうな表情で周りにぺこぺこと頭を下げる。


「も、もうっ! リリーったら急に変なこと言わないでくださいっ……!」


 すると今度は私の耳元に近づいて、ささやくように怒ってきた。依然としてメアリーの頬は赤く染まっている。

 突然の出来事に動揺し、ころころと表情を変える様は見ていてとても可愛らしい。


「私とリリーが、その……で、デートだなんて……」

「なによ、別に変なことではないじゃない。――それをデートと言わずになんと言うのよ?」


 今日のメアリーの服は私とほぼ同じ。茶のコットに、青のシュールコー、腰紐と靴は私とお揃いのもので、頭には白のヴェール(女性の髪や頭を覆う布)を被っている。私とメアリーでは歳がちょうど一回り違うため、周りからは仲の良い姉妹、または親子だと思われていることだろう。

 ……そう、だから私が言ったデートは俗に言う「恋人同士が行うデート」とは意味が違う。メアリーが勘違いしている「それ」とは違うのだ。


「へ……? あ……あぁ~……そ、そういうことだったんですね……」

「ん~? メアリーったら、一体どういう意味だと思ったのかしら~?」

「……っ! も、もうそんなことはいいですからっ! はやく行きますよっ!」


 私が言ったデートは、「仲の良い人同士が行う遊び」という意味でのデート。

 しかし、メアリーならきっと勘違いしてくれると思っていた。なぜならこの前、メアリーが自室で恋愛小説を読んでいたのを見たことがあるからだ。その小説は私もこっそり盗み見たことがあるのだが、登場人物が女性のみの少し変わった小説だった。とはいえ二十五歳で未婚ともなれば、そういった恋愛事に興味を持つのはとても自然なことだろう。だからこそ、私はそれでメアリーの意識が逸れると確信したのだ。

 多少強引な方法であるとはいえ、メアリーにも今日は主従関係などは忘れて、純粋に休日を堪能してもらいたい。


「ふふっ、待ってメアリー!」


 恥ずかしさの限界だと言わんばかりに、メアリーは私を置いてすたすたと前を歩いていく。

 メアリーが私の前を歩くのなんて何年ぶりだろう。その背中にどこか懐かしさを感じながら、私は足早にメアリーを追いかけることにした。



 緩やかな下り坂を進み続ける。

 途中、有名な噴水の前を通ったり、大きな聖堂の前を通ったりしながら三十分ほど経った頃。ついに私たちはこの町で一番綺麗な景色が見られる場所、アマルフィ海岸へとたどり着いた。


「わぁ~~~!! ひろ~い!!」


 お城の窓から眺めるだけだった景色が、今や私たちの目の前で両手いっぱいに広がっている。近くで見るとより一層美しく、白い砂浜とエメラルドグリーンの海が白日に照らされてきらきらと輝いている。肌に触る海風も、独特な潮の香りも、耳を撫でるような波音も、その全てが心地良い。

 実際にアマルフィ海岸を目の当たりにして、私は改めてこの海のことが、ひいてはこの町のことが好きだと実感できた。


「メアリー! やっぱり私、今日ここに来られて本当に良かったわ!」

「リリー……それは本当に、良かったですね……!」


 ずっとお城の窓から見ていた景色――お城の窓からでしか見ることが出来なかった景色が、今目の前にある。広大な海を眺めながら、私はその事実を何度も何度も噛み締める。心の底から湧き上がるこの感情をひとつたりとも逃したくはなかった。十四年想い続けた願いが叶った瞬間を、できる限り味わおうと思ったのだ。

 メアリーもそんな私を見て、嬉しそうに笑いながら涙を一粒落としていた。



 海を眺めながら海岸線の周りをしばらく歩いていると、「ぐぅ~」とお腹が鳴った。そういえば、今朝からまだ何も食べていない。


「この近くに『トラットリア』があるので、そこでお昼にしましょうか」

「トラットリア?」

「はい、家庭的な料理を提供してくれる大衆的なお店のことです」

「……! ええ、ぜひそうしましょう!」


 私はまだお城の中で提供される、一流シェフが作った料理しか味わったことがない。だから町の人たちが普段どういうものを食べているのか、すごく興味がある。

 私は名残惜しさを感じながらも一旦海を離れ、トラットリアと呼ばれる店へ向かうことにした。

 しかし目的のお店に辿り着くやいなや、その名残惜しさは一瞬で感動へと変わる。


「わぁ……! 海……!」


 店内には辺り一面を覆う窓ガラスが貼られており、そこからアマルフィ海岸の景色を一望できるようになっていた。


「ふふっ、リリーなら気に入ってくれると思いました」


 メアリーはそう言ってくすりと笑い、店員さんの指示に従ってテーブルの方へと移動する。私も続いてメアリーが引いてくれた椅子に腰を下ろし、メニュー表に目を移す。

 そこには肉や魚や野菜、卵やチーズを使った料理の他に、パンや果物や飲み物(主にワイン)が記載されている。料理は野菜を使ったものが多く、肉よりも魚をメインに扱っているという印象だ。値段も魚の方がかなり安い。それはやはり、海に面した町であるというのが大きな理由なのだろう。

 お城では肉も魚も同等に出されていたし、もちろん値段なんて気にしたことがなかった。だからこういった気付きを得るのはなんだか新鮮で楽しい。


「せっかくだからいっぱい頼んで、二人で分け合いましょう!」

「ええ、そうしましょうか」


 店員さんを呼び、適当に料理を選んで注文する。

 近くに水面台があったので、そこで手を洗い、窓から見えるアマルフィ海岸の景色を楽しみながらしばらく待っていると、


「お待たせしました」


 という店員さんの声と共に、続々と注文した料理が運ばれてきた。


「わぁ~美味しそ~!」


 注文した料理は「パン」と「グリーンサラダ」、「魚のフライ盛り合わせ~サバ、イワシ、マス~」、「ハムとローズマリー(爽やかなハーブ)のオムレツ」、「羊のミネストラ(肉と野菜のスープ)」で、飲み物は「赤ワイン」だ。

 パンは直接テーブルクロスの上に置かれ、スープは木製の器に、ワインは陶製の器に注がれている。それ以外は一つの大皿にまとめて盛り付けられている。

 目の前の美味しそうな料理に喉を鳴らしながらも、私とメアリーは両手を合わせてお祈りする。


「神の祝福を!」

「神の祝福を」


 まずはワインに口をつける。

 ここまで来るのにずいぶん歩いた。私は乾いた喉を潤すように、一気に三口飲み込んだ。


「……ん、なんだかいつもより飲みやすいかも!」


 ワインは少し前から飲み始めたのだが、私の口には合わず、苦手意識があった。しかしこのワインはお城で飲んでいるものと比べて喉に通りやすい気がする。


「普段飲んでいるものは少し濃いですからね。こちらの方がより水で薄まっていて、リリーには合うのかもしれません」


 食事の際は水を飲むこともあるが、一般的にはワインを飲むことの方が多い。大人はもちろんだが、子供もある程度の歳になれば飲んでいいことになっている。昼でも夜でも時間に関係なく飲むため、水でアルコール度数を抑えるようにしている。それでもお城で出されるものは度数が高いので、お酒が苦手な私には苦手意識があったのだ。

 体に水分を補充した後は、平らに切られた濃い茶色のパンに手を伸ばす。


「あら、このパン硬いわね」


 いつもはもっと白くて柔らかいパンを食べているので、色も触感も違うことに少し驚く。


「普段私たちが食べているものは良いパンですから。平民にとってはこれが普通なんですよ」

「ふ~ん」


 端を少しちぎって食べてみる。


「んぅ……」


 やはり固い。頑張って何回も咀嚼するが、喉に通せる気がしない。むしろ噛めば噛むほど、なんだか固くなっているような気がする。

 私が眉間にしわを寄せながら咀嚼していると、


「スープに浸すと柔らかくなりますよ」


 と、メアリーが助言してくれた。

 私はなるほどと思い、口にパンを含んだまま木の器を持ち上げ、中に入ったスープを一口飲む。


「ん~~!」


 熱々のスープが水分の少ないパンをほぐし、噛めば噛むほど柔らかくなっていく。しかもスープに含まれた肉と野菜の旨味がパンによく馴染んでいる。それを一気に飲み込んだ時の満足感は、どんな高級料理でも味わえないものがある。


「こんな食べ方があったなんて……このスープには感謝しなきゃね」


 最初はあまりの硬さに顎がどうにかなりそうだったが、スープのおかげで助かった。


「それにしてもこのミネストラ、とっても美味しいわね~!」

「はい、よく煮込まれていますね」


 メニュー表には「羊のミネストラ」と記されていたこのスープ。見たところ、羊肉の他にもキャベツやズッキーニ、かぼちゃ、空豆が入っており、香辛料は使わずに塩のみで味付けされている。

 香辛料を使っていないのはスープだけではない。このテーブルに並べられたものからは一切香辛料の香りがしない。お城で出されるのは香辛料の効いた料理が多いのだが、ここではそうではないみたいだ。

 そのため、普段のものと比べて若干スープの味が薄く感じられる。しかしその分、肉と野菜の旨味をより鮮明に感じることができて、これはこれでとても美味しい。また、具材が細かく刻まれているので食感も柔らかく、一口でたくさんの味を楽しむことができる。


「さて、次は……」


 スープで体を温めた後、次に目に入ったのは、大皿の真ん中に盛られた魚のフライとオムレツだ。


「切り分けますね」


 私の目線に気付いたメアリーは懐からナイフを取り出す。

 ナイフは外出する時にみんな必ず持ち歩くものなのだと、昔メアリーに聞いたことがある。そしてそれは食事をする時や、自分の身を守るために使われているのだとか。


「うん、お願い」


 メアリーはナイフを鞘から抜き、魚のフライとオムレツを切り分けていく。

 ナイフの先端は尖っており、十分凶器になり得る見た目をしている。傍から見ていると、メアリーが怪我をしないかつい心配してしまう。


「はいリリー、どうぞ召し上がってください」


 しかしそんな心配は必要ないとでも言うかのように、メアリーは笑顔で切り分けた料理を差し出した。


「ふふっ、ありがとう」


 流石十年以上も私のお城で仕えてきた侍女だ。料理は綺麗に切り分けられており、どれも一口サイズのちょうど良い大きさになっている。

 私はそれを直接手で掴み、口まで持っていく。もちろん、メアリーも同じように手で掴んで食べている。熱いスープをスプーンで食べることはあるが、基本的に料理は手で食べるのが普通だ。だからこそ、食べる前に手を水で洗う必要があったのだ。


「ん~! 身が引き締まってて美味しいわ~!」


 まず私が口に運んだのは魚のフライ。メニューには「魚のフライ盛り合わせ~サバ、イワシ、マス~」と記されていたものだ。これがサバなのか、イワシなのか、マスなのかはよく分からないが、とにかく魚の脂がよく乗っていて美味しい。揚げ焼きされているため表面はパリッとしており、中はとてもジューシーな仕上がりになっている。

 今度は皿の縁に添えられたソースを付けて食べてみる。


「これはワインと……お酢ね!」


 ワインの風味が魚の臭みを消し、お酢の酸味が魚の旨味を引き立てている。噛めば噛むほど食欲が増してきて、先ほどから魚を取る手が止まらない。


「こういう時は……やっぱりサラダよね!」


 魚は一旦我慢して、その周りにあるグリーンサラダをひと摘みする。盛り付けられているのはほうれん草とルッコラ(ゴマ風味のピリッとした辛さのハーブ)とエンダイブ(シャキシャキした食感が特徴の葉野菜)だ。

 塩とオリーブオイルがかかっており、口に入れた瞬間、さわやかな風味が一気に広がる。そこからよく噛んでいくと、だんだんルッコラの辛味とエンダイブの苦味が加わっていく。そしてそれらを濃い味のほうれん草がまとめ上げ、味に統一感が生まれている。しかも口の中に残っていた魚の油も綺麗にふき取ってくれるため、手休めには最適の一品だ。


 口の中をリセットした後は、大皿に盛りつけられた最後の一品「ハムとローズマリーのオムレツ」に手を伸ばす。

 メアリーが切ってくれたオムレツの断面には、細かく刻まれたハムとローズマリーが入っている。もはや食べる前から美味しいと言ってもいいくらい、食欲をそそられる一品だ。

 それをひと欠片摘み、口に持っていこうとする。しかしその瞬間、指で挟んだ圧力で中の具が飛び出そうになる。


「おっと」


 私はすかさず左手に持ったパンをそばに寄せ、はみ出した具材をキャッチする。パンの上でとろとろの卵と、ごろっとした具材が絡み合う。立ち上る湯気はまるで食材たちがここにいるよとアピールしているかのようだ。

 せっかくなので具材の乗ったパンの部分をちぎり、一緒に食べることにする。


「ん~! やっぱり美味しい~!」


 卵の甘味とハムの塩味をローズマリーの爽やかな香りが調和してくれている。薄くもなければ、くどくもない。そんな絶妙なバランスの味に、思わず笑みが零れてしまう。これならパンが何枚あっても足りないくらいだ。

 そんな調子でご飯を食べながらメアリーと色んなお話をして、お昼を満喫した。



「神に感謝を!」

「神に感謝を」


 食べ終えた後は、また両手を合わせて祈りを捧げ、手を洗ってから退席する。


「あ~! 美味しかった!」


 店を出て、海風を全身に感じながら幸福感に満たされた思いを吐露する。普段食べているものとは違った料理を楽しめる良いお店だった。


「また来ましょうね、メアリー!」

「ええ、もちろん」


 二人で顔を見合わせて笑い合う。なんだかんだ、メアリーと二人だけでご飯を食べるのは初めてだった気がする。

 こんな時間がいつまでも続けばいいのに――そう、心の中で思いながらも、私の目は太陽の位置を確認している。

 頭のてっぺんより少し傾いた位置。


『日が暮れるまでには帰ってくるように。分かった?』


 ふと、お母様との約束を思い出す。約束の時間は刻一刻と迫ってきている。

 私は再びメアリーの手をぎゅっと握り、次の場所へと向かうことにした。



 再び町の中を歩くこと約十分。私たちは建物に挟まれた狭い道から、開けた広場のような場所へとたどり着いた。

 ここには農民や行商人によるたくさんの出店が並んでおり、野菜や果物や魚、遠くの土地から持ってきた高価な香辛料や珍しい商品などが売られている。所謂、市場と呼ばれる場所だろう。そこは日差しが通って明るく、人が大勢集まっているため、路地の中とは打って変わって賑やかな景色が見られる。


「わぁ~、人がたくさんいるわね~!」

「はい、ここは町一番の市場で、普段私たちが食べている料理もここから仕入れているんですよ」


 メアリーの「侍女」という役職は、私の身の回りの世話をするのはもちろん、メイドや料理人に指示を出したり、町へ行って買い物をしたりすることが出来る。そのためメアリーはこの町についても詳しい知識を持っている。

 ちなみに侍女というのは王女の身の回りの世話をするという性質上、高貴な身分の女性しか選ばれない。私のことを慕ってくれているメアリーだが、お城の中ではメイド達から「メアリーお嬢様」と呼ばれ、慕われる側の立場なのだ。


「こちらの丸くて黄緑色の果物が洋梨、それに薄っすら赤みを足したものがリンゴです」


 そう言って、メアリーは市場に並んだ商品を指差す。


「あの甘くて美味しい食べ物ね!」

「そしてその隣にある橙色の果物がビターオレンジ、黄色のものがレモンです」

「あの酸っぱい食べ物ね!」

「あちらの白い砂のようなものが塩、茶色のものが砂糖です」

「しょっぱい食べ物と、甘い食べ物ね!」

「……リリー、帰ったらまた語彙のお勉強を致しましょう……」

「なんでそうなるのよ!?」


 お店を回りながら、そこに売ってある物についてメアリーに教えてもらう。知識としては知っているが、実際には調理された状態のものしか見たことがないため、今日初めて本来の姿を見ることができた。

 そんな風にお店を見ながら歩いていると、突然、肩に何かが勢いよくぶつかった。


「――きゃっ!」


 突然の衝撃に耐えられず、私はその場で尻餅をつく。


「大丈夫ですか! リリー!」


 すぐさまメアリーが私のもとへ駆けつける。


「私が付いていながら……申し訳ございません」

「いえ、大丈夫よ。それより今私にぶつかったのは一体……」


 辺りを見回すと、私のそばに一つのリンゴが転がっていることに気が付く。


「このリンゴ、最初からここに落ちていたかしら……?」


 私はそのリンゴを見つめながら不思議に思っていると、


「――待てぇ! ぬす!!」


 遠くから鬼の形相でこちらに向かって走って来る男性に気が付いた。

 そしてその男性が向いている方向には、私と同い年くらいの女の子がリンゴを両腕に抱えて走っている。どうやら私がぶつかったのはその女の子で、彼女は追いかけてくるあの男性から逃げているようだ。


「……リリーを危ない目に遭わせるなんて……許せません」


 メアリーは眉をひそめて、走って行った女の子の背中を睨みつける。今にも追いかけていきそうな気迫を感じる。


「メアリー、私は大丈夫だから……」


 メアリーの腕を握り、一旦落ち着かせる。そして私はもう一度、既に小さくなった女の子の背中を見つめ直す。ボロボロの服を着ているのが遠くからでも確認できた。

 私は地面に尻餅をついただけで怪我はしていない。せいぜい服が少し汚れたくらいだ。しかしあの女の子は、そんな私の物とは比べ物にならないくらい汚れた服を着用していた。靴に至っては履いてすらいなかった。

 そのことが何を意味するのか、世間知らずの私でも安易に想像することができる。

 彼女はただ盗みを働いたのではない。、盗みを働いたのだ。そしてあの両腕に抱えたリンゴは、おそらく自分のためだけではなく、家族に分け与えるためのものなのだろう。

 そんな風に彼女の事情を想像すると、私は彼女に怒りを抱くことはできなかった。


「……リリーがそう仰るのなら……」


 メアリーはそう言ってひと呼吸つくと、私に向かって手を指し伸ばした。私はその手を借りて自分の体を起き上がらせる。


「ああいう子は、この町では珍しくないの?」


 もう見えなくなった彼女の背中を思い出しながら、メアリーに問いかける。ああいう子というのはもちろん、貧しくて盗みを働かざるを得ない人達のことだ。


「……はい、残念ながら。なにせ我が国は今、ですから」

「そう……」


 おそらくそうだろうなと、心の中では思っていた。それを確信に変えるために、私はメアリーに問いかけただけだ。


「――さ! 気を取り直して、次の場所へ向かいましょう!」

「リリー……」

「せっかく頂けた貴重な休日なんだから、楽しまなきゃ損、でしょ?」

「……はい、そうですね」


 今の私には彼女を助けることはできない。例え今ここに大金があったとしても、そしてそれを彼女に渡すことができたとしても……それは根本的な解決にはならない。

 だから私はメアリーの言葉を笑顔で遮った。今はそのことについて言及すべきではないと拒絶した。だからメアリーも私の意図を汲み取って、何も言わないでくれている。

 私はただメアリーの手を強く握り、次の場所へと向けて歩みを進めることにした。



 その後私たちは町の様々な場所を散策し、たくさんの人や物、景色なんかと出会った。珍しいものはもちろんだが、ありきたりで普通なものでも私にとっては新鮮で、とても魅力的に見えた。

 やがて太陽が傾き、沈みかけてきた頃、私はメアリーにある一つの提案を行った。


「……最後に、メアリーと一緒にどうしても行っておきたい場所があるの。ついて来てくれる?」


 そう言うとメアリーは不思議そうに首を傾げる。土地勘のない私が一体どこへ行こうとしているのか、疑問に思っているのだろう。それでも次の瞬間には「はい、分かりました」と言って素直について来てくれた。

 歩くこと約五分。たどり着いたのは、お城の窓からアマルフィ海岸と一緒に見えていた大聖堂――明日、私と西の国の王子が結婚する場所だ。

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