9:雨のち、虹

 窓の外は、大地の汚れをを洗い流すような豪雨だった。

 地上では特別大雨警報、そして地下ダンジョンには、数年に一度の魔力嵐マナ・ストーム警報が発令されていた。

 政府からは全活動禁止命令が出され、交通機関も、物流も、冒険者ギルドさえも機能停止している。

 そんな、日本が息を潜める静寂の中――俺はガレージで、愛車『デリバリーランサー』の整備をしていた。


「……レン、いる?」

 電子ロックが解除され、不機嫌そうな顔をしたカグヤが入ってきた。


 彼女は手に持っていた小さな箱を、作業台の上にドンと置く。


「これ、使いなさい」

「なんだこれ。目玉……?」


浮遊魔眼フローティング・アイよ。自律飛行型の撮影ゴーレム」

 カグヤは腕組みをして、溜息交じりに言った。


「アンタの配信、いつもチャリのハンドルにスマホを固定してるでしょ? 昨日アーカイブを見返したけど、振動が酷すぎて開始五分で画面酔いしたわ。コメント欄も

『吐きそう』

『三半規管の修行か?』

って阿鼻叫喚だったし」


「……それは、臨場感ってやつじゃ」

「いいから使いなさい。私の知人がやってる配信のクオリティがあんな低画質・手ブレ映像だなんて、恥ずかしいから」


 彼女はそう言うと、勝手に俺の端末と魔眼を同期させ始めた。

 ふわり、と掌サイズの目玉が宙に浮く。俺の動きに合わせて滑らかに追従し、手ブレ補正なんてレベルじゃない、映画のような安定した映像がモニターに映し出された。

「おお……すげえ」

「でしょ? これで少しはマシな配信になりそうね」

 その時だった。


 活動停止中のため、沈黙していたはずの俺の配送アプリが、ポロンと通知音を鳴らしたのは。


【第20階層:もうすぐ10歳の誕生日なんです。キャンプにいるパパに、ママの焼いたアップルパイを届けてください。パパ、帰ってこれないみたいだから……】


 添付された写真には、少し焦げた手作りのアップルパイと、泣き腫らした女の子の顔。

 第20階層は、現在「魔力嵐」の直撃エリアだ。普通の配送業者はもちろん、高ランク冒険者でも足止めを食らっている。


「……行く気?」

 カグヤが呆れたように聞く。


「今日は国からの禁止命令が出てるわよ。外は歩くだけでも危険な暴風、中は魔力の乱流。下手したら死ぬわよ」

「誕生日は待ってくれないからな」

 俺はデリバリーバッグを、背負う。


「それに、こんな嵐の日に、俺以外の誰が運べるんだ?」

 カグヤは一瞬何かを言おうとしたが、ふっと笑って肩をすくめた。

「……そうね。じゃあ、その新しいカメラのテスト、しっかりやりなさいよ、それ完全防水だから」


◆◆◆


 地上へ出ると、横殴りの雨が頬を叩いた。

 街には人っ子一人いない。信号機だけが虚しく色を変えているゴーストタウン状態。依然大流行したウイルス騒ぎの事を想い出す。


 流石に俺の絶対配送でも、この豪雨をかわすことはできない、びしょ濡れになりながら、指定されたアパートへ向かった。


 階段を駆け上がり、呼び出しチャイムを鳴らす。

「は、はい……!」

 扉が開くと、そこには疲れ果てた表情の母親と、大きなパイの箱を抱きしめた小さな女の子が立っていた。

 全活動禁止命令。誰も助けてくれないと諦めていた彼女たちは、ずぶ濡れの俺を見て、信じられないものを見るような目をしていた。


「ダンジョン・イーツです。お荷物お預かりします。」


「本当……に来てくれたの?」

「約束した荷物は必ず届ける。うちの営業方針なんだ。」

 俺はおずおずと差し出されたパイを、大切に受け取った。

 浮遊魔眼が、雨に濡れる俺と、女の子の


「パパにお願い」

という切実な声を、極上の画質で捉えていた。


「絶対に届けてやる。約束だ」

 女の子と指切りげんまんをする。


 俺はバッグにパイを固定し、再び雨の街へ、そして魔力嵐が渦巻くダンジョンへと飛び込んだ。

 本当にどうでも良い話だが、顧客の個人情報に関わるものには、自動的にモザイクがかかる。当社は個人情報の扱いにも、万全を尽くしております。


 俺はペダルを踏み込んだ。ダンジョンのゲートを突破し、第20階層へ。


 そこは、地獄だった。


 視界を奪う泥の雨。空間を歪める魔力の稲妻。立っているだけで体力を削られる暴風雨。


 だが、俺は加速する。

 【絶対配送デリバリー・ロード】発動。

 泥濘ぬかるみの上を、水面を、あるいは空中に舞う瓦礫を足場にして、デリバリーランサーが跳ねる。


『おい、なんか配信してるぞ』

『こんな日に誰だ?』

『うわ、あのチャリの運び屋じゃん!』

 自宅待機で暇を持て余した国民たちが、次々と俺のチャンネルに流れ込んでくる。


 そして、カグヤのくれた、浮遊魔眼が真価を発揮した。どんなに車体が激しく跳ねても、映像はピタリと水平を保ち、嵐を切り裂いて疾走する俺の姿を、まるで映画のワンシーンのように鮮明に捉え続けている。


『映像めっちゃ綺麗になってて草』

『いつも何が起きてるか分からんかったけど、こいつこんな動きしてたんか!?』

『物理演算バグってるだろwww』


『こんな運転で荷物は無事なんか!? 』

 俺は視聴者のコメントを見る余裕などない。


 バッグの中身にかかる衝撃は、限りなくゼロに近い、ただしゼロではない。不測の事態に備え、安全な最短ルートを突っ走る。


 やがて、暴風に耐えるように小さく設営された調査キャンプが見えてきた。


 俺はテントの前で急停止し、ずぶ濡れの体でバッグを開けた。


パンパーーーーン!!

「お届け物です! 娘さんから、バースデー・アップルパイです!」

 女の子に、パイと一緒に渡されたクラッカーの音が響く。


 テントから出てきた父親は、目を丸くしていた。

「は……? パイ……? こんな嵐の中を、自転車で……!?」


 俺はバッグから、まだ湯気を立てている温かいパイを取り出し、彼に手渡す。

 そして、浮遊魔眼のカメラを彼に向け、アプリの通話機能を繋いだ。


『パパ! お誕生日おめでとう!』

「……っ! え?なんで?!あ、ありがとう、ありがとう……!」

 モニター越しに再会する親子。父親は泥だらけの手でパイを抱きしめ、涙を流してかぶりついた。

 その瞬間だった。


 第20階層の上空を覆っていた分厚い魔力の雲が、一瞬だけ切れ、地上からの光が差し込んだ。


 ダンジョンの天井に張り巡らされた水晶体がその光を乱反射させ、薄暗い泥の荒野に、鮮やかな七色の光の帯――地下の虹を描き出した。



『うおおおおお!! 虹だ!』

『演出神かよ』

『あれ、目から汗が……』

『全米が泣いたっ!!』


 コメント欄が猛烈な勢いで流れ、視聴者数が桁違いの数字を叩き出していく。

 俺は濡れた髪を拭いながら、その虹を見上げた。

 地下で見る虹も綺麗だな……思わず写真をとり、カグヤに送った。


「カグヤと一緒に見たかったな…」

 思わず口に出して呟いてしまった。まぁ、誰も見てないよな……あ。

 目の前には、浮遊魔眼がふわふわと浮いていた。

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2025年12月31日 10:31
2025年12月31日 10:32
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ダンジョン・イーツ! ~戦闘力ゼロの俺、スキル【絶対配送】でS級冒険者に「揚げたてコロッケ」を届けたら、世界中の英雄から崇拝されはじめた件~ たくみさん @takumi5228

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