第3話 白ワンピース
「もう…最悪だ」
あんな夢を見た翌日の朝。
ゲッソリとした気持ちで教室に入ると、
「え! 顔色わる!」
矢吹ニナが駆け寄ってきた。
「どうしたどうした? さすがに今日は機嫌が悪いとか言ってられないほど、見た目が終わってるよ…」
「すごく直球の悪口を言われている気がするぞ…」
僕が座ったのを確認すると、ニナは僕の机の前に回り込んだ。
「さすがに誤解! でも顔色が悪いのは本当。大丈夫? もしかして風邪とか…?」
「いや、ちょっと昨日眠れなかっただけ」
「眠れないだけでこんなにゲッソリすることある?」
「うーん…正確には…」ニナの話を聞いてからあんな目にあったせい。と思わなくもないけど、それを本人に言うのは情けない気がして、「…なんでもない。夏バテかも」
「…そっか…」ニナは得心がいかないといった様子で、しゃがんで僕の机で頬杖をつく。「…もしかして、昨日の私のあの話のせい?」
「!」
なんて勘の良いやつなんだ。
「図星? もしかして、昨日の話で…」
「おう…」
「夜怖くて眠れなかったとか…?」
「……」実際のところは微妙に違うけれど、「……少しだけ、そうです」
「あー! やっぱり…そっかそっか…」
哀れむような、でも心なしかちょっと嬉しそうな顔で僕の顔を覗き込むニナ。なんで嬉しそうなんだ…。
「ごめんね、まさか透がこんなに気にするなんて思わなかったぁ」うんうん、と満足げに頷いている。「あんなのただの噂。オカピのところ映ってたのも、たまたま顔に見えただけ。えっと、たしかそういう現象が…」
「シミュラクラ効果のこと?」
「そう! 壁のシミがなんとなく人の顔に見ちゃうとか、そういうのと同じ。だから怖くないよ、安心してねぇ」
「おい、急に猫撫で声になるな。というか、やっぱり違くて…」
「大丈夫。無理しないでいいからねぇ」
そう言って、僕のほうに手を伸ばすニナ。「ちょ…」そのまま僕の額に手を当てて、
「熱はなさそう」
「はあ…」心配してくれているのはわかるが、さすがに距離が近すぎる。「ニナ、いい加減に…」
『いかないでね』
「は!?」
耳元であの声が聞こえた。
「ん? なに?」
「え……」
きょとんとするニナ。
「いや、今…声が…」
「声? 透、何言ってんの?」
ニナには聞こえなかったのか。僕には、あんなにはっきりと聞こえたのに。でも、どうして今? 今は昼間で、ここは学校だぞ?
「ニナ、僕…昨日……」
「ちょっと! 透、汗すごいよ!」
僕の額に手をあてていたニナが、その手を引っ込めた。いつのまにか、僕は大量の冷や汗をかいていた。
「ホームルーム始まる前にさ、保健室行ってきたほうがいいよ! 先生には私が言っとくから。ね!」
ニナに促されて、僕は教室を出て保健室に向かった。廊下を歩いているときも、またあの声が聞こえるんじゃないかとビクビクしていたけれど、なんとか無事に保健室にたどり着く。
保健の先生は、顔面蒼白で現れた僕を見てぎょっとしながらも、「これは熱中症だね」と言ってベッドに通した。
寝たら、また悪夢を見るかもしれない。心配でおちおち寝てもいられない…と思っていたけれど、意志とは裏腹に瞼がするすると落ちてきて、いつのまにか寝入ってしまっていた。
* * *
保健室での眠りからは無事に目覚めたものの、結局その日は早退することになった。
通常であれば、早退はちょっと得した気分になる特殊イベントであるはずだが、今回ばかりはそうも言っていられない。早退したところで、僕が抱える問題は何も変わらないからだ。
唯一幸いなことといえば、まだ明るい昼間のうちに六丁通りを通れることくらいだ。ただ、明るいと言っても、昨晩の悪夢で見た光景を思い出すとやはり憂鬱な気分になる。
保健室で休んだことで少しだけ元気になった僕は、学校から支給されたポカリと共に校門を出た。時間は正午過ぎ。ちょうど気温が高くなる時間帯で、今日の最高気温は確か36度のはずだ。
とりあえず、家に向けて歩き出す。校門を出ると、すぐに坂。遠くには青々とした山が見える。余談だが、ここ水上町はそこそこの田舎なので木が多い。木が多いので、蝉も多い。鳴き声の迫力がすごい。360度全方位から、最大音圧でアブラゼミやミンミンゼミの鳴き声が浴びせられる。このジュワジュワとした音に包まれていると、ただでさえ暑いのに一層暑く感じる。
まだ少ししか歩いていないのに、もう汗が止まらない。ああ。やはり嫌だ。
「夏、キモすぎる……」
つい口をついて出てしまうくらいには、限界まできていた。
しばらくして、遠くにバス停が見えた。一部の生徒はバス通学をしているため、近くにはバス待ち用の簡単な休憩スペースがある。木製の屋根がついた、小さな東屋のようになっていて、ベンチが置いてある。こう言ってはなんだが――エロい漫画でよく見るやつ。そうだ。あそこで休もう。
僕が勇み足で休憩スペースに入ろうとした、そのときだった。
「……あ」
先客がいた。背筋をすっと伸ばしてベンチに座る、少女だった。しかも――
「白いワンピース……」
少女は、白いワンピースを身に纏い、麦わら帽子を被っていた。露出しているにも関わらず、日焼けの痕跡が一切ない白くて細い腕。鴉の濡れ羽のような、艶やかで長い黒髪を下ろしている。顔立ちには幼さがありつつも、ひとつひとつのパーツが非常に整っていた。
真夏の晴天の青空の下、田舎のバス停の先客。白いワンピースに麦わら帽子、黒髪の美少女。――さすがに、これは。
「オタクの共同幻想すぎる」
「……へ?」
思わず口をついて出た言葉に、少女がはっとした顔で振り返る。
「あ、すいません…」当たり前だ。突然こんな意味のわからない言葉を、知らない男に投げかけられたら誰しもそう思う。「あまりにも……いや、なんでもないです。ごめんなさい」
「はあ。別にいいですけど」 怪訝そうな顔で、もとの姿勢に戻る少女。そして、
「やっぱり、君ダメそうかも」
ぼそっと、そう呟いた。
この夏の終わりに白ワンピースを食む 津島小雨 @kuragemori
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