第8話 新年3月頃 うはうどんのう
「いやー、大成功だよ。ハンス式安全マッチは!」
ハンスは、家に戻ってくるなり、嬉しそうにそう言った。
「それは何より」
(コネコネ)
と、私。
「しかし、よくあんなアイディアを思いついたね」
「あんなって、何が?」
(ギュッ、ギギュー)
「何が?って、リンを分離して、箱の横につけるってアイディアだよ。
よくあんなこと、考えついたね」
「ああ、あれね」
(コネコネ)
マッチの原理は、発火温度が低いリンが、摩擦などで発火し、その後、塩素酸カリウムや硫黄に燃え移るものだ。
マッチ売りの少女が売っていたマッチは、頭薬に発火材のリンも含まれていたから、マッチ棒だけで擦れば燃える。
便利と言えば便利だけど、ポケットに入れているだけで発火する場合もあるので、危険だった。
町の発明家だったハンスは、それを解決しようと、試行錯誤していたのだ。
そこで、私が、発火材のリンを分離するアイディアを、教えてあげた。
日本の現代人の私にしてみれば、そちらの方が馴染みがあるわけだけど、この方式の安全マッチが出回るのは、一八五〇年前後。
マッチ売りの少女の、今の時代から見たら、十年から二十年くらい先の知識だ。
猛毒の黄リンを、毒性の少ない赤リンに替える提案も、地味に役に立っている。
「ある程度、知名度が上がってきたら、販売方法も変えていくべきね」
(コネコネ コネコネ)
「販売方法を変える?」
「街頭販売から、契約訪問販売に変えるの。
町中の家庭と契約して、定期的に訪問して、足りなくなったマッチを補充して、補充分の代金を貰うのよ」
「そんなやり方、聞いたことないよ。
こっちから、町中の家に売りに行くなんて、無駄じゃないか」
「逆よ。
マッチは、安定した消耗品だけど、売れる量は限られている。
ほぼ、世帯の数に比例する。
だから、各家庭が、ハンス式安全マッチ以外は使う必要のない状況を、作り上げるの。
『夜中に火を起こそうとして、お困りになったことはありませんか?
当社と契約いただければ、自動的に補充いたしますので、もうそんな心配はいりません』って、宣伝するのよ。
売り子に、売れるか売れないか分からないマッチを持たせて、うろうろさせるより、よっぽど効率的よ。
それに、シェアが確保できたら、材料のまとめ買いなんかで、コストダウンもできるようになるわ」
(ギュウギュウ コネコネ バタン バタン)
「でも、そんな人手なんて、どこにあるんだい?」
「人手なら、仕事に困っている女の子が、町中に溢れているじゃない」
私は、額の汗を拭いながら、呆れたように答える。
「彼女たちを使えって言っているのかい?
そんな難しいこと、彼女たちにできるわけないじゃないか。
文字も読めない、足し算や引き算も出来ないんだよ!」
「出来ないなら、教えればいいのよ」
「何だって?
誰が教えるって言うんだ。
彼女たちは、学校に行くお金なんか、持っていないよ」
「会社で教えるのよ。
彼女たちを雇って、必要な教育をするの。
接客のしかた、読み書き、簡単な計算をね」
「そんなの、無理に決まってる。
読み書きや計算なんて、彼女たちには、難しすぎる」
叫ぶハンスに、私は、少しうんざりした気持ちになった。
この無理解、どこから来るのだろうか。
「何で、無理なのよ」
「女は、数学とか理解できないからだよ!
あ、いや、例外もあるよ。
僕が言ったのは、一般論で……」
多分、私が、物凄い
ハンスは、途中で言葉を詰まらせた。
だけど、そんなことで、私の不愉快な気分が、治ることはない。
「そんなのは、一般論でも何でもない。
ただの偏見よ。
頭の出来なんて、男も女も、大して変わらないわ。
ちゃんとした教育と、明確な目標と、達成した後で得られる利益を示してあげれば、彼女たちは、驚くほどの早さで、何だって習得するわ。
男どもより、よっぽど勤勉にね。
そもそも、労働力は、企業にとって貴重な資源。
そして、良質な労働力は、手間暇かけて育てるものよ。
どこにも、転がってなんか、いない」
私は、手に持っていた白木の棒を、ビシッと、ハンスに突きつけて言ってやった。
ハンスは、小さく両手を上げて、降参のポーズをとった。
「ごめん、言い過ぎました。
……ところで、さっきから、何やってるの?」
「これ?
うどんを作ってるの」
私は、小麦粉をこねた丸い塊を、棒で平たく伸ばす。
(キュー)
「うどん?
食べ物なの?
ひょっとして、お腹空いてるの?」
「違う、違う。
次の商品の、試作品よ」
私は、平たく伸ばしたものを四角く畳み、包丁で細く切る。
ハンスは、興味津々で、私の作業を見守っていた。
「イタリア料理のスパゲティーみたいなもの?」
「似てるけど、ちょっと違う。
それに、これは、まだ完成じゃないわ」
私は、麺を軽くほぐすと、高温にした油の中に入れた。
時間を見計らって取り出すと、カラカラに乾いた麺の塊が、出てきた。
「揚げ物?
でも、なんか、美味しそうには見えないけど」
「これは、同じ方法で作ったやつよ。
ただし、二週間前に、だけどね」
私は、二つの麺の塊を、机の引き出しから取り出して、ハンスに見せる。
「で、こいつに、熱湯をかけると……」
「おお、ツルツルの麺に戻った!」
「保存が利いて、熱湯をかけるだけで、食べられるようになる。
この即席麺が、次の私たちの商品よ」
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「いらっしゃいませ~。
ハンス簡単麺は、いかがですか?
美味しくて、長持ち。
お湯をかけるだけで、すぐに食べられます」
売り子の少女たちが、声を張り上げ、元気よく、油紙に包まれた麺を売っていました。
評判は良いようです。
長い行列が、出来ていました。
その様子を、青年と少女が、見守っています。
「すごい評判だよ。
飛ぶように売れて、生産が追いつかない」
と、青年は言いました。
「当面は、人力で頑張るしかないけど、やっぱり、動力を導入して、大量生産できるようにしないとね。
それが終わったら、次のことに着手しましょう」
「え!
まだ、何かやるつもりなのかい?
もう、十分、稼いでいるじゃないか」
青年は、驚いたように言いました。
しかし、少女は、首を横に振ります。
「これからよ。
私は、世界を変えたいの。
誰も、寒空の下で、凍死なんてしないし、させない世界が、作りたいの」
青年は、少女を見下ろしました。
「そんなの、本気で言ってるの?」
「本気よ」
「前々から、不思議な子だと思っていたけど、
一体、君は、何者なんだい?」
「私?」
少女は、ニッコリ笑うと、そう答えました。
「私は、マッチ売りの少女よ」
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