第3話 大晦日 夜 残滓

外は、すっかり暗くなっていました。

どこの家の窓からも、蝋燭のオレンジ色の光が漏れています。

なんと、暖かそうな光でしょう。


少女は、窓の一つを覗いてみました。

部屋の真ん中に置かれたテーブルには、鳥の丸焼きや、柔らかそうな白パン、そして、湯気を立てているスープ!


少女は、思わず手を伸ばします。

指が窓ガラスに当たり、コツンと冷たい音を立てました。


少女は項垂うなだれ、足を引き摺り、路地へと戻るのでした。


暫く歩くと、家が二軒、並んで建っている所に出ました。

家と家の間に、小さな隙間が空いています。


少女は、その隙間に体を入れて、うずくまりました。

足が冷たくて、もう立っていられないのです。


少女は座り込むと、両の手で一生懸命、足を暖めようとしましたが、あまり効果はありませんでした。

何故なら、少女の両手も、氷のように冷たかったからです。


少女は、諦めたようにため息をつくと、体を丸めました。

そして、そのまま、動かなくなりました。


- - - - - - - - - - - - -


「どういう事ですか!」


私は立ち上がると、手に持った小冊子を、テーブルに叩きつけた。

だが、目の前の黒メガネの男は、何も言わず、ただ肩をすくめるだけだ。


「これは、私の研究のパクリじゃないですか!」


「また、何を言い出すかと思えば、とんだ言いがかりだ」


「言いがかり?

ここに書かれている『滑らかでない』解の、ナビエ・ストークス方程式の解法のアプローチの仕方、これは私のアイディアでしょう!」


「非線形になる点を、ファイバーバンドル接続して、座標変換で無理矢理、滑らかにする所かね?」


「そうです」


私の返事を、男は鼻で笑う。


「はっはっはっ。

そのアイディアは、確かに数年前に、君に話したことがあったね。

確か、お昼を一緒に食べた時だったかな」


「いいえ。

三年前、ここで学位取得論文の話をした時に、です。

ちなみに、教授とお昼をご一緒したことは、一度もありません」


「ほほう、そうだったかな。

まあ、誰のアイディアであるかは、さほど重要ではないよ。

アイディアはアイディアであってだね、それを実際に使えるようにするのが大変だし、より重要だ」


「その重要なことをしたのも、全部、私だと思います」


私は、プリントアウトされた紙の束を、教授の目の前に放り投げる。

それは、私が書いた論文だった。


「この論文に、すべて書いてあります。

教授が投稿した論文は、すべてこれの写しです。

一行だって、あなたが考えた所はありません」


私は、机を二度ほど叩く。

頭のどこかで、冷静にならなくては、と思いながらも、どうしても感情を抑えることができなかった。

心の中にある火山から、怒りのマグマが、じくじくと湧き出てくる。


「だけど君、この冊子は、学会の正式会報だよ。

すなわち、正式に受理されているものだ。

僕名義の、僕の論文だ」


教授は、私が最初に叩きつけた小冊子を取り上げると、私の目の前で、ヒラヒラと振って見せた。


「だから!

それは、私の論文のパクリだと言っているんです!!」


教授は、小さく首を横に振る。


「論文、論文と言うがね、それは一体、いつ出したというのだね?」


教授の反論に、私は言葉に詰まらせる。


その論文は、担当教授――つまり、目の前の男に提出した時、びっしりと修正指示の朱書きが貼られていた。

どれも些細な表現の問題だったが、直すのに手間がかかった。


だから、まだ、私の論文は提出できていない。

当然、それを、目の前の男は知っている。


だから男は、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「いや、いや。

提出もされていない論文を盾に、それは自分の手柄だと主張するのは、どうかなぁ。

そんな戯言、一体、誰が信じるというのだね?」


私は、テーブルを思いっきり叩いた。

それでも怒りが収まらず、さらに、もう一度叩く。

手が、じんじんと熱を持つ。


しかし、教授は瞬き一つしない。

怒り狂う私を、冷ややかに見つめたままだった。


私の反応なんて、折り込み済みなのだろう。


「言っておくが、君と僕が、一度もお昼を一緒に食べていないのを証明するより、難しいよ」


教授は、自分が話したジョークがツボに嵌まったらしく、大笑いする。

ひとしきり笑うと、教授は、嫌らしい笑みを浮かべた。


さりげなく、私の手に自分の手を重ね、身を乗り出して囁く。


「まあ、君の協力の仕方によっては、今後の論文の共同研究者として、挙げても良いんだよ。

うーん、そうだな。まずは、今日の夕食なんか食べながら、今後のことを、ゆっくりと……」


パシン。


小気味良い音と共に、黒メガネが宙を舞う。


気がつくと、私は、自分の担当教授を、思いっきりひっぱたいていた。


そして、そのまま、部屋を飛び出した。

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