第3話 双子の兄、魔術学校に辿り着く
緊張のせいか、ただでさえ巨大な校舎が更に馬鹿でかく見えた。
上を見上げすぎて首が痛い。
王都アガイアの東に広大な敷地を構える、ヘラズトリオン魔術学校。
その黒壁の校舎は、豪奢な城というよりは荘厳な教会建築のようで、五階まで積み上げられた直方体から大小様々な尖塔が空に伸びるのだ。
黒壁のあちこちには大きな窓が設けられ、そのすべてに透明ガラスがはめられている。窓が多すぎて、何かあれば全部崩れ落ちてしまいそうな……神々しく重厚ながらも、どこか危うい印象があった。
俺の村にある三角屋根の教会とはまるで違う。
こんな巨大建造物、隣村にも、近くの領主町にも存在しなかった。
「……失敗するなよ、オーリ……」
昼過ぎの強い日差しの中、俺は自分自身にそう言い聞かせながら、芝生の中に敷かれた石畳の道を足早に進む。
肩には袋に入れて隠した猟銃。背中には旅道具でぱんぱんに膨らんだトーリの背負い袋。
そして服装は、金糸で飾られた黒軍服と真紅のマントを組み合わせたような魔術学校の制服だ。トーリの奴が着替えとして持ち歩いていた二着目の制服を拝借していた。
「……大丈夫だ……俺なら絶対にトーリになれる……」
故郷のローズリーズ村から王都アガイアに着くまで三週間近くかかった。
村から一番近くの領主町まで徒歩で三日、そこからあちこちの街や都市を駅馬車で乗り継いで十七日だった。
広大な王国を走り抜ける間、俺はずっとトーリのことだけを思い出していた。
俺が見てきたトーリの姿を、俺がトーリに聞かされたトーリの知識を、俺の魂に刻み込み続けたのだ。
姿形は一緒、声も一緒、仕草も一緒――はっきり違うのは魔術の才能ぐらいだろう。
「……絶対バレるわけがない……」
ブツブツ呟きながら歩き続ければ、やがて校舎の正面扉に行き着いた。俺の背丈の四倍はありそうな木の押し扉が立ち塞がっていた。
「………………っ」
校舎の外には人っこ一人見当たらないのに、扉一枚隔てた向こうにはたくさんの人の気配だ。
扉に手を添えれば中の喧騒が伝わってきて俺の心臓を高鳴らせる。
緊張で口が乾いて、喉が張り付いた。
「トーリ。力を貸してくれ」
俺は無理矢理そう呟くと、「顕現、パワーブースト」基礎的な身体強化魔術を使った。
単純な魔術だ。
人体に作用する魔術式を構築し、一時的に筋力を強化する。複雑な構築も大魔力もいらない。
それでも、だ。この瞬間の俺は、常人の数倍の腕力を発揮するだろう。
背中と肩と腕に力を込めれば、巨大な押し扉がズッ――と動いた。
足を踏ん張り、腰まで入れて更に腕を押し込んだら、俺が想定した以上の勢いと速度で扉が開くのである。
バァン! という大音響と共に俺の眼前に広がったのは、正面奥に階段が見える広い玄関広場、そしてその玄関広場を行き交うたくさんの学生たちだった。
俺自身、扉が勢いよく開いたことに驚いたが、扉が開くとも思っていなかった学生たちは俺よりもずっと強く驚愕したらしい。
全員が全員、動きを止めて、目を丸くして俺を見た。
だから俺は。
「よう、学友諸君」
トーリ・オズロのように明るく笑ってそう言い放った。
そのまま「僕がいなくて不安だったかよ?」と愛嬌たっぷりにウィンクすれば――沈黙だ。
――――――――――
五十人近い通行人たちで外に漏れるほど騒々しかったはずなのに、俺の登場を契機に、水を打ったみたく突然音が消えた。本当に、パタリと無音になったのだ。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒、七秒。
固まったら終わりだと思った。だから俺は、「ただいま」時間をかけてゆっくりと微笑んだ。
やがて玄関広場のどこかからかすかな声が上がる。
「……魔王だ……」
「……魔王様……」
「……マジかよ……魔王……」
一瞬なんのことかわからなかったが、すぐさまトーリのことだと思い当たる。
ずいぶんと物騒なあだ名だ。そんなふうに呼ばれているなんて、トーリからは聞いたことがなかった。
あいつ、実は学校じゃ好かれてなかったのかな……そう思って一歩踏み出したら――
「おかえりなさい!」
「いつ帰ってきたんですか!?」
「ねえねえ魔王様! また勉強会やってよ! 今度は友達も連れてくから!」
「ご実家にお帰りになっていたんですよね!?」「双子のお兄様とお話しできました!?」
「聞いてください! あたし、ファイアブラストが使えるようになったんです!」
「お腹は空いてないか? おごるから食堂で少し話さないか?」
「大好きです! 結婚してください!」
「もう! さびしかったんだからね!」
「やっぱり! やっぱり顔がいい!」
駆け寄ってきた女子学生たちが俺を取り囲んで黄色い声を上げる。キャーキャー騒ぎまくる。
ちょっとした人気者という話じゃない。さっきの沈黙が嘘みたいな、王立劇場の看板役者でも前にした時みたいな、もみくちゃ寸前の大騒ぎだった。
しかし、トーリ・オズロを演じる俺はうろたえない。うろたえてはいけない。
慣れない女子の匂いも、どさくさまぎれに押し付けられた胸も無視して、余裕の笑みを浮かべるのだ。
「待たせちゃって悪かったな。今日からまた、この学校には僕がいるから」
流し目まで駆使してつくった色っぽい微笑み。
すると、キャーーーー!! と女子たちの声が一際高くなった。そして次の瞬間には――
「魔王ぉおおっ!! てめっ――てめええええええええっ!!」
騒ぐ女子たちの声を上回る、男の汚い怒号だ。
俺を取り囲む少女らが驚きに口をつぐんだせいで、男の叫び声だけが玄関広場にはっきり響き渡った。
「よくも戻ってこれたもんだなっ!! てめえええっ!!」
女子たちが声の射線から退くと、俺の前に叫ぶ男の姿が現れる。
それは――魔術学校の制服を着崩した赤髪・短髪の男。悪く言えば粗暴、よく言えば武闘派の空気を纏う輩だった。
赤髪男は俺に向かって手のひらを突き出していて、それで何人かの女子が悲鳴を上げる。白昼堂々、衆人環視の中、赤髪男の攻撃魔術が俺を狙っていた。
とはいえ、俺はこれにもうろたえない。
「いきなり誰だよ? 僕に恨みがある人?」
軽く笑いながら首を傾げると、人差し指と中指を伸ばした指鉄砲を赤髪男に向けるのだ。
その瞬間、赤髪男の両肩がビクリと跳ね上がるのが見えた。
「お、おお、お――オレの名前を知らねえかぁっ!!」
「知らないな。そんな遠くでビビってないで、とっとと目的を言いやがれ」
天才トーリ・オズロの魔術の標的にされる。この赤髪男はその重大さと恐ろしさを知っているのだろう。
向こうから喧嘩をふっかけてきたくせに、勝手に蛇に睨まれた蛙と化している。
だいぶやりやすい相手だった。
「どこかで僕に喧嘩を売って返り討ちにでもされたか? 片思いしてる相手が僕に惚れた腹いせか? もしかして、この僕に勝ったっていう名声狙いか?」
指鉄砲を向けたまま歩き出すと、「こっこっち来んじゃねえ魔王!! ぶち殺されてえかぁ!!」赤髪男の吊り上がった目に涙が滲むのである。
俺はまっすぐ歩きながら苦笑するしかなかった。
「こわがるなよ。それとな、火の魔術って、お前ふざけてるのか?」
「な、なんでオレが炎を使うって――」
「魔術の『隠し』が甘いんだよ。本命の魔術式に無加工の魔力をかぶせただけ。魔術師同士の決闘で、それは舐めすぎだろ」
「う、うるせえ!! ち――近寄んなあっ!!」
「足の遅い炎魔術なんかで僕に勝てるか。最低限、光魔術ぐらいは持ってくるべきだったな」
やがて赤髪男のもとに到達した俺は、指鉄砲で赤髪男の鼻先に触れて、こう挑発した。
「ほら。ここまで近付いてやったんだから、せいぜい喜べよ」
「ひ、ひい――」
「さすがにこの距離なら鈍足な炎魔術でも勝負できるだろ。お前が下手くそすぎるから、どっちの魔術が早く発動するかの話にしてやったんだぞ。だから――喜べよ」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいっ!! ひいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
俺が邪悪に笑うほどに、涙と恐怖に崩れていく赤髪男の顔面。
破れかぶれの魔術発動を狙うどころか、「嫌だああああああああああ――!!」いきなり俺に背中を向けての全力逃走だった。
そして、人混みを押しのけて廊下の向こうに消える赤髪男の背中を見送る俺は、指鉄砲を下ろし――なあトーリ……お前、あいつに何やったんだよ――なんてしみじみ思うのである。
「すごいすごいすごい!!」
「さすが魔王様ぁ!」
「あいつ二年のベルクト! 結構ヤルはずなのに!」
「あっという間に勝っちゃいました!」「当たり前でしょ! ウチらの魔王様に喧嘩売るから!」
「早撃ちで魔王様に勝てるわけないです!」
「うん。さすがは私の見込んだ男だ」
周りの女子たちがそう言って俺を褒めそやした。ここぞとばかりに俺に身を寄せてきた。
それで俺は「はーあ」と嘘っぽくため息を吐く。
「変なのに時間を取られちまったな。急いで教室行かなきゃなのに」
天才トーリ・オズロが所属する――二年獅子組――その教室の場所がさっぱりわからないから、誰か連れていってくれないかなと願ってのため息だった。
「魔王様も敵が多くて大変ですよねー」
「ほんとほんと」
「『あんなこと』にも選ばれるしね」
女子たちが俺より先に動き出したから、これ幸いとそれに付いていこうとしたら。
「トーーーーーーーーーリ・オぉズロおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
またもや玄関広場に響き渡る大声。
その生気溢れる声は、玄関広場の奥にあった正面階段の上から発され、高い天井に反響しまくったあげくに俺の鼓膜まで降りてきた。
「よーーーやく帰ってきたかぁ! このっ自己中魔王!!」
今度は何だ? と思って視線を上げれば、階段上に――腕組みの少年と金髪の少女がいる。
足を広げて腕組みしたその少年は、俺よりも少しだけ小柄そうに見えた。
トーリまでとはいかないまでもなかなかに整った顔立ちだ。
はっきりとした眉と大きめの双眸、ツンツンに立ち上がった固そうな髪が、少年の強い意志を物語っていた。
精悍な騎士見習いというか……壮大な冒険譚の主人公とでも形容したくなる風貌である。
それで俺は、トーリの奴が帰省のたびに笑顔で口にしていた言葉を思い出した。なるほど、確かにあれは『見るからにうっとうしい正義漢』に違いない。
俺は一つ確信して少年の名前を呼んだ。
「グレイ」
そして、そんなグレイの隣にいるのは、否が応でも目を引く金髪美少女だ。ゆるく巻いた長い金髪が窓から差し込んだ陽光にキラキラ光っていた。
――美神アフロディーテのごとき美貌――
その少女は、ぱっちりとした大きな目で強い存在感を放つものの、長いまつ毛とわずかな垂れ目のおかげでかなり優しげだった。
正直、この王都アガイアの大通りで目にしたアフロディーテ像よりもずっと美人さんじゃなかろうか。
――美神アフロディーテのごとき肢体――
というか、スカートが短すぎる。
魔術学校の制服は、男子がズボンで、女子がスカートだが、スカートの長さは人によってかなり差があるようだ。
金髪美少女の場合は太もものほとんどが露出していて、かろうじて下着が見えていないだけ。
あのレベルが俺の故郷にいたら、おばさんたち、おばあさんたちが『はしたない』と血相を変えるだろう。
長く適度な肉付きの脚が、制服が形を変えるほどに重たい乳房が、周囲の男子学生を強烈に誘惑していた。
――なるほど、確かに『アフロディーテと同等の男殺し』だ――
俺はまた一つ確信して少女の名前を呼んだ。
「メリッサ」
グレイ・シズマベルグ、そしてメリッサ・アンダンテ・アリステス。
俺の弟にとって、魔術学校というものは退屈で物足りない場所だったようだが、それでも学校への入学はあいつの人生を変えたらしい。初めて親友と呼べる存在に出会えたのだから。
一人はグレイという名の、王国騎士団団長の一人息子。
一人はメリッサという名の、とある港町の領主のご令嬢。
あいつが帰省するたび、グレイとメリッサの名前はよく聞かされた。
グレイが馬鹿正直で心配が尽きないんだ、と。
メリッサが無防備すぎて目のやり場に困るんだ、と。
二人のことを話す時のトーリは本当に楽しそうに笑っていた。
授業をサボって三人で行った古代遺跡探検。
課外授業の際に出くわした巨竜の討伐。
昔々から噂されていた魔術学校の隠し宝物庫を探し当てた時はさすがに興奮したらしい。
――我が友のために――
トーリの手帳に残されていた空前絶後の炎魔術は、この二人に捧げられるものだったはずだ。
だから、この二人こそが、トーリに代わって俺が守るべき対象だった。
「遅くなった。僕が留守にしてた間もちゃんと息災だったかよ?」
俺は女子学生たちを引き連れながら正面階段に足をかけ、階段を下り始めたグレイ、メリッサと階段の真ん中辺りで落ち合うことになる。
そして感動の再会――
「三週間遅れだ馬鹿者!!」
にはならない。グレイの握り締めた拳がいきなり俺の脳天に落ちた。
俺より少し背が低いものの、俺より一段上の階段に立っていたから、ちょうどいい位置に俺の頭があったらしい。目から火花が出るほどのゲンコツだった。
「うおおおおおおお…………」
思わず頭を抱えて痛みに耐える俺。
そんな俺に「実家で一週間羽を伸ばしたらすぐに移動魔術で帰ってくるって約束だっただろうが!!」グレイの怒りが降り注ぐ。
三週間遅れと激怒され、しかし俺は――しかたないだろう。これでも村から王都まで大急ぎだったんだぞ――という文句を人知れず呑み込むしかなかった。
天才トーリ・オズロならば、村から魔術学校に一瞬で帰れたのは事実だから。
移動魔術。つまりは距離というものを完全に超越する瞬間移動。
それは、伝説に残る大魔術師ぐらいにしか行使できない神域の力だ。魔術の奥義と断言してもいい。
多量の魔力と複雑怪奇な魔術式を要求されるせいで、現代ではトーリ・オズロぐらいしか使い手がおらず、トーリの天才性を語る際の逸話の一つになっていた。
俺もあいつが移動魔術を発動させる瞬間を何度か見たことがあるが、天と地が鳴動する凄まじい魔術だったことを鮮明に覚えている。
当然、凡才である双子の兄は使えない。
「だいじょぶ? 一応止めたんだけど、ゲンコツしないと気が収まらないって聞かなくて」
いまだ頭を抱えて痛みにうめく俺に次に降ってきたのは、多分メリッサの甘い声で――見れば、二撃目を加えようとするグレイに横から抱き付いて動きを止めているメリッサ。
「一発は許してあげて。ほんと、ほんとマジでグレイがんばってたから」
フーフーと興奮するグレイに対してメリッサは明るい苦笑だった。
「トーリを『探索行』から外さないで欲しいって、式典中に土下座祭りだったんだから」
「……土下座?」
なんのことかは皆目見当も付かないが、移動魔術が使えなかったせいで、俺は『大切な何か』をすっぽかしたらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます