第四章 月光の浮力

 1


 真夜中の学校は、昼間とは全く別の生き物のようだった。

 校舎の影は黒く伸び、グラウンドの土は月光を吸って白く浮き上がっている。

 未咲は、フェンスの破れた隙間から、プールサイドへと足を踏み入れた。草いきれと、濃厚な塩素の匂いが鼻をつく。


「……本当に、入るの?」


 未咲の声は、夜の空気に吸い込まれて消えそうだった。

 プールサイドのコンクリートは、昼間の熱をまだ微かに孕んでいる。

 城村准は、水面の縁に立ち、夜空を映して黒く波打つプールを見下ろしていた。


「おいで。沢村」


 優しげな、しかし拒絶を許さない声。

 未咲は吸い寄せられるように、プールサイドへと歩み寄った。

 准の手が伸びてくる。その手を取った瞬間、強い力で引かれた。


 ドボン、という重い音が、静寂を破った。

 水飛沫が高く上がり、月光を受けて宝石のように散らばる。


 2


 水を含んだシャツは肌に完全に密着し、肩や胸の筋肉の動きを露わにしている。

 濡れた前髪の間から覗く瞳が、夜の底のように深く光っていた。


「気持ちいいだろ?」


 准は水の中を歩いて近づいてくる。

 水の抵抗などないかのような、滑らかな動きだった。

 プールの中は、浮力と重力がせめぎ合う異界だった。

 准が未咲の腰を水中で掴んだ。ひやりとした水温の中で、彼の手のひらの熱だけが、驚くほど鮮明に伝わってくる。


「水の中だと、全部わかるな」


 准が囁いた。

 彼の手が、水中で未咲のふくらはぎに触れた。水流が生み出す感覚と、彼の手の感触の境界が曖昧になる。

 准の膝が、水中で未咲の脚の間に割り込んできた。


 未咲は抵抗しなかった。

 コインランドリーの夜から、自分の中の何かが変わってしまったことを自覚していた。

 彼女は水中で准の肩に手を置き、自ら体重を預けた。

 水面が揺れ、波打つ音がチャプチャプと耳元で響く。


「きれいだよ、沢村」


 准の唇が、濡れた未咲の首筋に押し当てられた。

 冷たいしずくと、熱い唇。

 その温度差が、未咲の理性を焼き切っていく。

 水の中で絡み合う足。漂うスカートの感触。

 遠くで、サイレンの音が聞こえた気がした。けれど、深い水の底にいる共犯者たちには、それはあまりにも遠い世界の出来事だった。

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