第三章 ガラス越しの熱帯

 1


 予報になかった夕立は、アスファルトを叩きつける滝のような勢いで、街全体を水没させようとしていた。

 未咲と准は、駅前のアーケードを抜け、路地裏にある古びたコインランドリーへと滑り込んだ。

 自動ドアが開くと同時に、生温かい空気と、柔軟剤の甘ったるい香りが二人を包み込む。


「……最悪」


 未咲は肩で息をしながら、濡れた髪から滴り落ちるしずくを手で払った。

 店内には誰もいなかった。あるのは、壁一面に並んだ洗濯機と乾燥機だけ。それらが低い重低音を響かせながら、誰かの日常をぐるぐると回している。

 外の豪雨の音は、ここでは遠いノイズのように聞こえた。


 准は、稼働中の大型乾燥機の前に歩み寄った。

 ゴウゴウと音を立てて回るドラムの中では、色とりどりの衣類が踊っている。

 彼は乾燥機のガラス扉に背中を預け、手招きをした。


「こっち向けよ。ここ、あったかいぞ」


 2


 未咲は躊躇いながらも、寒さに耐えきれず准のそばへと歩み寄った。

 准が未咲の腕を引き、無理やり自分の前に立たせた。さらに、未咲の背中を、隣の稼働していない乾燥機のガラス扉に押し付ける。


「冷たい……」

「我慢しろ。すぐ熱くなる」


 准はそう言うと、未咲の両脇に手をつき、彼女を乾燥機と自分の身体の間に閉じ込めた。

 背中には冷たいガラス。目の前には、雨と熱気を孕んだ准の身体。

 隣の乾燥機が唸りを上げている。その機械的なリズムが、二人の心拍数と奇妙にシンクロしていく。


「透けてる」


 准の視線が、未咲の胸元に落ちた。

 雨水を吸ったブラウスは肌に張り付き、その下のラインを露わにしている。

 彼はいつも、未咲が隠したい部分を、暴くように見つめる。


「見ないでって、言ってるのに……」


 言葉とは裏腹に、未咲の指先は、震えながら准のシャツの裾を掴んでいた。

 逃げようとする意志と、縋りつきたい本能。

 その矛盾に気づいたのか、准が目を細めた。


「口と、身体。どっちが本当だ?」


 准はゆっくりと顔を近づけ、未咲の濡れた頬に鼻先を擦り寄せた。

 雨水の匂い。そして、彼から立ち上る、熱を持った男の子の匂い。

 未咲はシャツを掴む手に力を込めた。指の関節が白くなるほどに。


「……寒い、の」


 言い訳めいた囁きは、肯定と同義だった。

 准の口元が歪む。

 彼の手が、未咲の腰に回され、ぐっと引き寄せられた。

 濡れた制服同士が触れ合い、じゅわりと湿った音を立てる。彼の体温が、濡れた布を通して、未咲の冷えた身体に直接流れ込んでくる。それは暖を取るという行為を超えて、互いの境界線を溶かし合うような行為だった。


「乾かしてやる」


 准の膝が、未咲の太腿の間に割り込んでくる。

 硬い脚の感触。

 未咲は背後のガラス扉に爪を立てた後、意を決したように手を伸ばし、准の首に腕を回した。

 自分から求めた温もりに、准が一瞬驚いたように目を見開き、すぐに深い愉悦の色を浮かべた。


 狭いコインランドリー。回転するドラムの熱と振動。

 そして、互いに求め合う共犯の熱量。

 世界から切り離されたこの熱帯の箱の中で、未咲の理性は、湿気を含んだ砂糖菓子のように、甘く、もろく崩れ去っていった。

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