第2話 熱を持つ音


 指定された場所は、街外れの古い音楽ホールだった。

 閉館してから何年も経っているはずなのに、入口の明かりはついている。


 ユウは立ち止まった。

 帰ろうと思えば、今なら帰れる。


 でも、スマホが震えた。


 通知。

 いいね。

 リポスト。


 まるで「逃げるな」と言われているみたいだった。


 扉を押すと、ゆっくりと音を立てて開く。

 中は静かで、空気が重い。


 ステージに立ち、客席を見た瞬間、息が止まった。


 満席だ。


 けれど誰も笑っていない。

 誰も話さない。

 全員、うなだれている。


 暗い顔。

 疲れ切った目。


 まるで、失敗した未来の自分たちを集めたみたいだった。


 ユウは、なぜか分かってしまった。


 この人たち、全員ピアニストだ。


 音大のバッグを持つ若者。

 スーツ姿で指だけが異様に綺麗な中年。

 包帯を巻いたままの手を膝に置く人もいる。


「君は、まだ弾ける」


 どこからか声がした。


「ここは、夢を諦めた人が集まる場所」

「そして君は、まだピアノが弾ける」


 ピアノの前に立った。


 座ってはいけないと思うのに、身体が言うことを聞かない。


 鍵盤に指を置いた瞬間、

 ぞくりと背中が震えた。


 まだ、覚えている。


 音が鳴る。


 一音ごとに、客席の誰かが顔を上げる。

 表情はないのに、目だけが必死だった。


 集中するほど、周りが見えなくなる。

 昔と同じだ。


 次第に、身体が熱くなってきた。


 指が、熱い。


 腕が、胸が、内側から燃えるみたいに。


 それでも、止まらない。


 鍵盤が、じんわりと温かい。


 いや、熱い。


 汗が流れ、息が苦しくなる。


 まるで、音そのものが熱を持っているみたいだった。



 客席の誰かが、初めて口を開いた。


「……最後まで」


 ユウは歯を食いしばる。


 止めたら、何かが終わらない気がした。


 演奏に、全てを預ける。


 音が、さらに熱を増す。


 視界が、白くにじんだ。

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