7.小さな誓い

「ふ、二人とも楽しそうだね。私も混ぜてくれないか?」



 今来ました、という風を装って、しかし明らかに様子を伺っていたレオナール様が小道の影から姿を現す。


 ずっと付いてきていたのは知っていましてよ。



 ──でもむしろ、いいタイミングだわ。




「レオナール様。あなた、娘がいらっしゃるのですか?」


「え? 言わなかったかな? 三歳になる娘がいる」


「ええ、聞いておりませんでしたわ」



 自分の目が鋭く細まっていくのが分かった。



 今まで私は、彼の言う「妻」を、哀れな被害者だと思っていた。




 もうすぐ離縁というときに、媚薬を盛られ、子供を身籠り、精神を病んで閉じこもり、そうして子を置いて駆け落ちした、そういうことね。



 確かに、苦しかったと思うわ。



 でも、娘は三歳。駆け落ちしたのも三年前。つまり産まれたばかりの子を置いて、逃げたのだ。


 そんなもの、同情の余地などどこにもない。自分の幸せだけを選んだということでしょう?




「私の記憶が正しければ、レオナール様、意識を取り戻してからずっと、この邸にいらっしゃいますよね?」


「当然だよ」



 なぜか誇らしげに胸を張る。その余裕はどこから来るのか。




「では、その間あなたの娘はずっと一人、ということですか?」


「え? 使用人が面倒を見ているから……」


「親はあなただけでしょう? 三歳の子を置いて何をしているのです」


「君が心配で。娘には優秀な侍女もつけているし、一人では……」


「お母様。お父様は前からほとんどあちらの邸には帰りません」


 ラルの無邪気な告げ口が、私の怒りにさらに油を注いだ。




「こ、こらラル。余計なことを──」


「ラルを責めないでください。そして今すぐ、お帰りください」


「帰る? こ、ここも私の家だよ……?」


「──出て行ってもよろしいんですのよ、私」


「っ……!」



 一切の冗談はなかった。何なら両親からいつでも領地で暮らしてもいいという、許可は、もらっている。


 レオナール様の顔がびくりと動く。




「そもそも、あなた仕事はどうしているのです?」


「休暇をもらっているよ。家族が倒れたのだから」


「家族ではありませんわ。愛人です。愛人のために休みを取ったのですか?」


「アイラ、悲しいことを言わないでくれ」



 職場にこう言ったのだろうか。“愛人が意識不明なので休ませてください”。そんなもの、言えるはずがない。常識があるならば。




「ちなみに、どちらにお勤めですか?」


「王宮で財務官をしている」


 国家財政を司る職──。背筋が冷たくなる。



「私はもう大丈夫ですので、明日から働いてください。休暇は返上して」


「え、明日? まだ心配だよ……」


「職を失って、私たちが路頭に迷っても構わないと?」


「お父様。お母様には僕がいるから、大丈夫です」


「ラルまで……職場の皆は、事情は知っているんだ。大丈夫なんだよ」




 大丈夫なわけがないでしょう あきれているに決まっているわ。


 私はレオナール様を真っ直ぐに射抜くように見据えた。




「あなたは娘が待つ邸へ帰ってください。そして仕事に戻るのです。この話は、これでおしまいです」


「そ、そんな……え? まさか……ずっと、この家に帰ってくるな、そういうことではないよな?」


 返答を急かすような声。けれど私は、静かに黙って彼を見つめた。



「だ、だめだ。考え直してくれ、アイラ」



 レオナール様の慌てる様子に、冷静になる。お金を出してもらっていて、来るなというのも……。



「そうですわね。では条件を変えましょう」



 ゆっくりと口角を上げる。




「あなたがこちらへ来るときには必ず娘を連れてきてください」


「娘を? いいのかい?」


「いいも悪いもありません。一人にしておく方が、よっぽど悪いことでしょう」


「わ、分かった。そうするよ。じゃあ、私は、あちらの邸に帰るとする」




 レオナール様は、気落ちした顔で背を向ける。




「お父様、お気をつけて!」


 私の膝の上からラルが一生懸命に手を振る。その笑顔に向かって、どうして悔しそうな顔をするのか。


 ……まったく、大人気ない。


 彼が去っていくのを見届けたあと、ラルが首を傾げた。




「お父様の娘も、そのうち来るの?」


「ラル、お父様の娘でも、“あの女の娘”でもありません」


 ラルの頭をなで、はっきりと言った。




「あなたの妹です」


「……僕の妹?」


「ええ。先に生まれたお兄様として、妹を守り、可愛がらなければなりません。まだ三歳なの。あなたがお父様と私と三人で食事をしている間、妹はきっと一人で食事をしているのよ」


 ラルの表情が曇る。




「そんな……寂しいんじゃないかな」


「その通りよ。だからお父様は娘の待つ邸へ帰ったの。そして次、こちらへ来るときは、もう一人にはさせないよう、一緒に来るのです。仲良くできるわね?」


「仲良く、していいの?」



 ああ、きっとララは言っていたのだろう。


 “仲良くしてはいけない”と。


 私は柔らかく微笑む。



「もちろん。仲良くしてくれたら、お母様はとっても嬉しいわ」


「仲良くできる! 僕、この邸を案内してあげるんだ。おもちゃも綺麗にしておかなきゃ。一緒に遊ぶんだ。僕に似てるかな?」


「兄妹ですもの。きっと似ているわ」


「楽しみ! 早く会いたいなあ!」




 瞳を輝かせるラル。なんてまっすぐで優しい子。


 私は、この子を絶対に守る。この手で、まっとうな未来へ導いてみせる。


 ええ、決めたわ。私が必ず、きっちり育て上げてみせるわ。



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