5.癒やしに手を引かれて

「お祖父様とお祖母様、もう帰るの?」



 ラルは、寂しそうに小さくつぶやいた。



 意識が戻らないと聞いて、領地から慌てて駆けつけてきた両親。


 私が記憶をなくしても元気そうに見えるのを確認して、ようやく安心したみたいだった。


 一晩泊まって、今日領地に帰ることにしなった。



 もちろん大丈夫かと聞かれれば、全然大丈夫じゃない。頭の中は知らない自分の過去でいっぱい。これから知るであろう事実への恐怖。


 それでも、二人にこれ以上心労は与えてはいけないわ。




「ごめんね、ラル」


 お母様はしゃがみこみ、ラルと目線を合わせた。


「大事な用事があって、どうしても領地に戻らなきゃいけないの。今度はお土産を山ほど持ってくるから」


 優しい手が、ラルの髪をそっと梳いた。




「せっかく王都に来たから、今日はこのあとヴァージルのところへ顔を出して、それからすぐ領地へ戻る。ラル、夏にはまた領地に来れるだろう?」


「うん! またお馬さんに乗るんだ!」


「はは、ラルのお馬さんをちゃんと買っておいたぞ。栗毛のかわいい子馬だ」


「えっ! 本当? 絶対会いたい!」



 ぱっとラルの顔が明るくなる。




 お父様は数年前、お兄様へ爵位を正式に譲り、領地に移ったのだという。引退と同時に、のんびりとした暮らしを選んだのだろう。


 ララのせいかもしれない。




 現在の当主であるお兄様はここ、王都に住んでいる。


 ……そりゃそうよね。領地にいては仕事にならないし。



 目が覚めてから、心の余裕がなかった私は、この家がどこにあるのかさえ気にも留めていなかったけど、ここも王都にある邸だそうだ。


 余裕のない自分に今さらながら、呆れてため息すら出てくる。




「ラングフォード子爵にも使いを出したのですが……。来られなかったので、アイラのことをお伝えしていただいてもよろしいでしょうか?」


 お母様は少しだけ眉根を寄せた。




「分かったわ。まったく、ヴァージルは頑固なんだから。でも、まあ、来ないでしょうね」


 お兄様と私はとても仲がよかった。むしろ、性格は似ていたと思う。


 あら? じゃあ、私も頑固と思われているのかしら?


 お父様の苦い声が続く。




「ティアナにも “行くな” と釘を刺しているのだろうな」




 お兄様の名前。


 ティアナの名前。お兄様の婚約者のティアナは私と同じ年で親友でもあった。




 来ないでしょうね? 行くな?




 それってつまり、私と会いたくない、という意味に他ならない。





「あの、お父様、お母様。私とお兄様って——」


「ああ、今は疎遠となっている」


「ええ、いろいろあってね」



 ……ああ、やっぱり。




「ティアナは、お兄様と結婚したのですか?」



 恐る恐る問うと、お父様は目線をほんの一瞬逸らし、



「ああ、したが……その」




 どうして言いよどむの? 途切れた言葉が不自然すぎる。


 お母様がため息をつきながら続けた。




「あなた、結婚式に出なかったのよ。自分より幸せそうな人間なんか見たくないって」


「っ……! ティアナは親友よ?」



 なんてことをーー。

 涙が浮かんでくる。




「まあ、そう落ち込むな」


 お父様が肩を軽く叩く。



「昔のアイラに戻った、と話したらきっと喜ぶぞ」


「ええ、頑固なヴァージルはともかく、ティアナは大喜びよ」



 痛むこめかみを抑えた。


 記憶がない。だから許してほしい。そんな都合のいい話あるかしら?


 だって、お母様はさっき、いろいろあった、そうおっしゃったわ。“いろいろ”怖いわ。




「お母様、大丈夫?」


 不安を滲ませた小さな声がして、下へと顔を向ける。




「ええ、大丈夫よ」


 そっとしゃがみ込んでラルを抱きしめると、華奢な身体なのに、なんでも包み込んでくれるような温もり。子供の体温って高いのね。



 ああ……癒やしって、きっとこういうことを言うのだわ。


 その光景を見つめていた両親は、優しく微笑んだ。




「じゃあ、そろそろ行くわね」


「無理をするんじゃないぞ。何かあったら、すぐ知らせてくれ」


「分かりましたわ。お二人も、どうかお気をつけて……」


 見送る馬車は次第に小さくなり、やがて視界から消えていく。私はしばらくその後ろ姿を追い続け、それから長く息を吐いた。


 ――昨日から今日にかけて、起こったことが多すぎる。


 頭がぐるぐるしていて、とてもじゃないけれど日記を開く気にはなれなかった。


 ……ええ、後でいい。絶対に。




「アイラ、無理をせず部屋で休むといい」


 そっと寄り添うようにレオナール様が声をかけてくる。


 だがーー


「お気遣いなく。部屋にこもっていたら、かえって気が滅入ってしまいますもの。少し邸を見て回ろうと思いますわ」


「お母様! だったら、僕が案内するよ。お母様に、僕のお気に入りの場所を教えてあげる!」


 ラルがぱっと顔を明るくして言った。



「ふふ、そう? じゃあお願いしようかしら」


「やったぁ!」


 ぐいっと勢いよく手を握られ、私は思わず笑ってしまう。その小さくて温かな手をしっかり握り返した。



「ゆっくり歩こうね。転ばないように」


 柔らかく声が出た自分に驚く。



「お母様、こっちだよ!」


「どんな場所かしら? 楽しみだわ」



 ぐいぐいと引かれて、私は歩き出す。



 少し離れた場所で、一緒に来たそうな雰囲気を漂わせているレオナール様を、置き去りにしたまま。




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