第9話 練習試合の相手が「全国4位」ってバグですか? あと2年生どこ行った
「というわけで、明日は練習試合に行くぞ」
金曜日の部活終わり。 大山先生が、あんパンの袋を開けながら爆弾発言をした。 まるで「明日は雨だぞ」くらいの軽いトーンだった。
「練習試合……ですか?」
私はテーピングだらけの手で雑巾を絞りながら聞き返す。 入部してまだ一ヶ月弱。基礎練習しかしていない私たちに、いきなり対外試合?
「相手はどこですか? 近くの市民体育館とか?」 「いや、私立志布志穂(しぶしほ)高校だ」
その名前が出た瞬間、隣にいたエリカが「ブッ!」と盛大にスポーツドリンクを吹き出した。 文ちゃんも眼鏡をずり落としている。 「ちょ、ちょっと待ってください先生! 志布志穂って……あの志布志穂ですか!?」 「え、何? 有名なの?」
私がきょとんとしていると、エリカが信じられないものを見る目で私を見た。
「凛、マジで言ってんの? 去年のインターハイ団体4位、個人戦でもベスト8に何人も入ってる、超がつくほどの強豪校だよ!?」 「ぜ、全国4位ぃ!?」
私の叫び声が道場にこだまする。 全国4位。雲の上の存在だ。 そんな格上の学校が、なんでまた私たちのような無名校(部員数名)と練習試合を?
「先生……いくらなんでも無謀です。私たちが言っても、サンドバッグにされるだけじゃ……」 「ほっほっほ。心配ない。向こうの監督とは古い付き合いでね。『いい新人が入ったから揉んでやってくれ』と頼んだのだよ」
大山先生は呑気に笑っている。 この人、世界王者だった過去があるらしいけど、今はただのあんパン好きのおじさんにしか見えない。その「古い付き合い」だけで、全国レベルの高校が動くものだろうか?
「それに、うちは少数精鋭だからな。冴島くんがいれば、向こうも文句はないはずだ」 「……オス。ご配慮感謝します」
冴島先輩が静かに頭を下げる。 その表情はいつも通りクールだけど、どこか闘志のような鋭い光が宿っているように見えた。
***
そういえば、と私はふと気になっていたことを尋ねた。
「あの、前から思ってたんですけど……うちの部活って、1年生と3年生しかいませんよね? 2年生の先輩たちはどうしたんですか?」
私がそう聞いた瞬間、冴島先輩の顔が「無」になった。 大山先生は苦笑いし、エリカは「あー……」と気まずそうに天井を見上げた。
「……全滅だ」 「えっ、全滅!? 死んだんですか!?」 「死んではいない。だが、生物としては死んでいるも同然だ」
先輩は忌々しそうに吐き捨てた。
「先週、2年生だけで『決起集会』と称して焼肉食べ放題に行き、そこで集団食中毒とインフルエンザの併発パンデミックを起こした。現在、全員が自宅で高熱と下痢に苦しんでいる」
「……」
なにその地獄絵図。 しかもインフルと食中毒のダブルパンチって、どんな確率だよ。
「あいつらは馬鹿だ。空手の実力はあるが、危機管理能力が皆無だ。……というわけで、明日の遠征は我々だけで行く。いいな」 「は、はい……」
空手部は、思った以上に人材難(主に知能面で)なのかもしれない。 私は一抹の不安を抱えながら、明日の準備に取り掛かった。
***
翌日。私たちは電車を乗り継ぎ、他県の山奥にある志布志穂高校へと向かった。 校門をくぐった瞬間から、空気が違った。
「セイッ! セイッ! セイッ!」
遠くの体育館から、地鳴りのような気合と、床を踏み鳴らす振動が響いてくる。 私たちが借りているボロい道場とはわけが違う。専用の空手道場があり、そこから溢れ出る熱気が半端ではない。
「……うわぁ、強そう」
文ちゃんが私のジャージの裾を掴んで震えている。私も同感だ。 道場に入ると、そこには50人近い部員が整列し、一糸乱れぬ基本稽古を行っていた。 全員の動きが揃っている。突きの音が、一つの巨大な大砲のように重なって響く。
(空気が……濃い)
酸素が薄いんじゃないかと思うほどのプレッシャー。 私たちが入り口で立ち尽くしていると、奥から鬼のような形相をした大柄な男性――監督らしき人が歩いてきた。 怒られる! そう思って身構えた瞬間。
「おお! 大山先生! よくぞお越しくださいました!」
その鬼監督が、満面の笑みで大山先生の手を両手で握りしめた。 最敬礼だ。直角にお辞儀をしている。
「ご無沙汰しております! 先生にお会いできるとは、光栄の極みです!」 「やあやあ、高田くん。元気そうで何より。急な申し出ですまなかったねぇ」 「とんでもない! 先生の教え子と手合わせできるなら、全スケジュールを変更してでも歓迎します!」
……大山先生、マジで何者? 全国4位の監督をここまで恐縮させるって、ただの世界王者ってだけじゃ説明がつかなくない?
そして、部員たちの視線が一斉に私たち――正確には、私の一歩前に立つ冴島先輩に注がれた。
「おい、あれって……」 「ああ、間違いない。『氷の女帝』だ」 「マジかよ、本物だ……」 「オリンピック候補がなんでこんなとこに……」
ざわめきが広がる。 氷の女帝? オリンピック候補? 私は思わず先輩の顔を見た。先輩は眉一つ動かさず、ただ静かに前を見据えている。
「え、凜。あんた知らなかったの?」
エリカが信じられないという顔で耳打ちしてきた。
「冴島先輩はね、去年の全日本選手権で、高校生ながら実業団の選手を倒して3位に入った怪物だよ。今の高校空手界で、彼女を知らない奴はモグリだって言われてる」
「ええええええ!?」
私の驚愕の声が、静まり返った道場に響いてしまった。 先輩がこちらを振り返り、無言でデコピンの構えをする。 ごめんなさい、静かにします。
「それに」 エリカは声を潜めて続けた。
「先輩は、次のオリンピックの強化指定選手(ナショナルチーム)に選ばれてるんだよ。つまり、日本の宝」
私は開いた口が塞がらなかった。 日本の宝。 そんな人が、どうしてあんなボロ道場で、私みたいな初心者に「雑巾がけが甘い!」とか怒鳴っていたのか。
「……整列!」
志布志穂の主将の号令で、全員がビシッと並ぶ。 私たちも慌ててその対面に並んだ。 50人対4人(先生含む)。多勢に無勢なんてレベルじゃない。
「正面に、礼!」 「オッスお願いしますッ!!」
鼓膜が破れそうな大音量の挨拶。 これから始まるのは、ただの練習試合じゃない。 全国レベルの「殺気」と「技術」の嵐の中に、私たちひよっこが放り込まれるのだ。
私の心臓は、恐怖と、ほんの少しの興奮で早鐘を打っていた。 これが、全国。 私が目指す場所の、本当の空気。
「一ノ瀬、高城、小日向」
冴島先輩が、ボソリと呟いた。
「ビビるなよ。お前たちが教わっているのは、世界一の空手だ。胸を張れ」
その言葉だけで、震えていた足がピタリと止まった。 そうだ。私たちの後ろには、最強の先生と、最強の先輩がいる。
「オスッ!」
私は腹の底から声を絞り出した。 さあ、地獄の出稽古の始まりだ。 私の拙い「突き」が、全国の猛者たちにどこまで通用するのか――あるいは、手も足も出ないのか。 試してやる。
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