第4話 筋肉痛と新入部員。そして、元カレの隣には「キラキラ女子」が笑っていた

昼休み。私は教室の机に突っ伏していた……と言いたいところだが、腹筋が痙攣して前屈すらできないため、背筋を伸ばしたまま彫像のように固まっていた。


「ねーねー凛ちゃん、パン買いに行こーよー」 「……無理。一ミリも動けない」 「えー、サボり?」 「全身の筋繊維が断裂してるの……」


 ミナちゃんの誘いを断り、私は震える手でスマホを取り出す。  箸を持つのも辛い手だ。当然、操作も覚束ない。  気晴らしにインスタでも見よう。そう思ったのが運の尽きだった。


 タイムラインの一番上に、見覚えのあるアイコンが表示されていた。  颯人(はやと)だ。  フォローを外す勇気もなかった私は、無防備にその投稿を見てしまった。


『高校デビュー! 新しい彼女とタピオカなう(笑)』


 心臓が、筋肉痛とは別の痛みで収縮した。  写真の中で、颯人はデレデレと笑っていた。そしてその隣には、私とは正反対の女の子が映っている。    ふわふわの茶髪ロング。白ピンクのカーディガン。  大きな瞳に、小動物のような華奢な体つき。  ハッシュタグには『#可愛い』『#守ってあげたい』の文字。


(……は?)


 血液が沸騰する音がした。  嘘つき。  かっこいい女の子が好きなんじゃなかったの?  結局、選んだのはこういう「THE・守られ女子」じゃない。    画面の中の彼女は、風が吹けば飛んでいきそうなほど儚げで、キラキラしていた。  今の私には絶対に手の届かない「可愛さ」の権化。   (負けない……)


 悔し涙が滲む。  でも、不思議と指先には力が戻っていた。怒りはアドレナリンだ。筋肉痛の痛みを、どす黒い嫉妬が凌駕していく。   (見てなさいよ。その「可愛い彼女」ごとき、私が空手で培った「本物の強さ」で……いや、今はまだ筋肉痛で歩けないけど!)


 とにかく、私は全国制覇しなきゃいけないのだ。  あんなチャラついた写真を見せつけられて、立ち止まっている暇はない。  私は画面を閉じ、歯を食いしばって立ち上がった。


 ***


 放課後。  ゾンビのような歩き方で道場にたどり着くと、そこには意外な光景が広がっていた。


「オス! 君も今日から入部?」


 声をかけてきたのは、ショートカットの活発そうな女子だった。  ジャージの上からでもわかる、引き締まったふくらはぎ。動きに無駄がない。


「私は高城(たかしろ)エリカ。中学で少しやってたんだ。よろしくね」 「あ、よろしく……一ノ瀬凛です」


 経験者だ。構えなくてもわかる「動ける人」のオーラがある。  そして、もう一人。


「あ、あのぅ……よ、よろしくお願いしますぅ……」


 柱の陰からおずおずと出てきたのは、眼鏡をかけた小柄な女子、小日向(こひなた)文(あや)。  文化系そのものの見た目で、ジャージのサイズが合っていない。   「わ、私、自分を変えたくて……体力ないんですけど、大丈夫でしょうか」 「大丈夫よ! 私も昨日ゲロ吐いたばっかりだし!」


 私が変な励ましをしていると、道場の奥から重量感のある足音が近づいてきた。  現れたのは、冴島先輩ではない。


 たっぷりと蓄えられたお腹。  柔和なタレ目。  手にはなぜか、かじりかけのどら焼き。  どう見ても、近所の優しそうなおじさんだ。


「ほっほっほ。今年は女子が三人も入ったかね。賑やかでいいですなぁ」


 縁側でお茶を啜っていそうな雰囲気に、私は思わずポカンとする。  この人が、あの鬼のような冴島先輩の指導者?


「……先生。食べ歩きは行儀が悪いです」 「おっと、すまんすまん冴島くん」


 奥から出てきた冴島先輩が、呆れたように溜息をつく。  先輩は私たちに向き直り、ビシッと背筋を伸ばして紹介した。


「紹介する。空手道部顧問、**大山(おおやま) 巌(いわお)**先生だ」 「よろしくねぇ。私はただの飾りみたいなものだから、君たちは冴島くんのシゴキに耐えてくれればいいよ」


 大山先生はニコニコと笑いながら、私の目の前に立った。


「一ノ瀬くん、と言ったかね」 「は、はい!」 「昨日のサーキット、最後までやり切ったそうだね。根性がある」


 先生の大きく分厚い手が、私の肩にポンと置かれる。  その瞬間だった。


 ズンッ。


 ただ手を置かれただけなのに、まるで巨大な岩石に乗っかられたような重圧を感じた。  足腰の力が抜けそうになるのを、本能的な恐怖で踏ん張る。  え? 何今の。


「……いい『骨格』をしている。空手向きだ」


 先生は一瞬だけ、その糸のように細い目を開けた気がした。  その奥に見えたのは、底なしの深淵。  優しいおじさんの仮面の下に、とてつもない怪物が眠っているような気配。  私の肌が粟立つ。冴島先輩の殺気とはまた違う、圧倒的な「質量の差」を感じさせるプレッシャー。


「ま、怪我しないように頑張りたまえよ」


 次の瞬間には、先生はまた元の「どら焼きおじさん」に戻っていた。  パイプ椅子に座り、のんびりとあくびをしている。


「……え、今の何?」 「先生は昔、世界大会の無差別級で優勝したことがある」


 冴島先輩がボソッと言った言葉に、私たち三人は声を揃えて叫んだ。


「「「せ、世界一ぃぃぃぃ!?」」」


「過去の話だ。今はただのデブだよ」


 先生は笑って否定しなかった。  なんだこの部活。  鬼のような先輩に、仏のような顔をした世界最強の顧問。  そして、経験者のエリカに、気弱そうな文ちゃん。


 キャラが濃い。  私の「見返してやる」計画は、思った以上にカオスな環境で進むことになりそうだ。


「よし、お喋りは終わりだ。今日は『正拳突き』を教える」


 冴島先輩の声で、空気が一変する。  私は痛む筋肉に鞭を打ち、拳を握りしめた。  脳裏に浮かぶのは、さっき見た写真。  颯人の隣で笑っていた、あの「か弱い彼女」の笑顔。


(あんなのが好きなら、一生守ってればいい)


 私は拳の中に空気を閉じ込めるように、小指から順に指を折りたたむ。  硬く、強く。  私のこの拳は、誰かに守られるためのものじゃない。  自分の運命を、自分で殴り開けるための拳だ。


「セイッ!」


 私の気合いの声が、道場に響き渡った。

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