第2話 汚物と隙間風の屋根裏で、わたくし、真珠の美肌を誓いますの
意識の奥底では、常に五つの黄金の輪っかが、今はまだ弱々しい光を放ちながら、ギュンギュンと回り続けていますの。
0歳児、セレスティーナ。
泥船屋敷の屋根裏。ここから始まる、孤独で強欲な、将来のための「価値ある積み立て」が、今ここに幕を開けましたわ。
――それから、どれほどの時間が経ったのかしら。
新生児という生き物は、時間感覚すらも絶望的に、こう、なんというか、バラバラですわね。
意識を無理やり引っ張り出して、力を込めてスロットを回しただけで、わたくしの小さな頭はパンク寸前。
深い眠りという名の「強制的なお休み」に、ずるずると引きずり込まれてしまいました。
(……ふ、ふぇっ……!?)
不意に、意識が水面に浮かぶみたいに浮上しましたの。
瞼の裏側で感じるのは、すすで汚れた天井から差し込む、冬の冷たくて、でもナイフみたいに鋭い午後の光。
そして、それ以上に不快な……そう、心臓に悪い「揺れ」と「音」が、わたくしの耳を、デリカシーの欠片もないやり方で叩きました。
バタンッ!
粗末な木の扉が、悲鳴を上げて蹴り飛ばされました。
あらあら、まあまあ。
淑女の……いえ、仮にもこの家の娘の部屋に入る作法としては、零点。
いえ、マイナス一億点ですわね。
前世のプランクトンですら、もっと優雅に海を漂っているというのに……この、無作法者はどこのどなたかしら?
「……ちっ、まだ生きてんのかよ。しぶといガキだねぇ」
部屋にズカズカ踏み込んできたのは、赤ら顔をさらに醜く歪ませた、肉の塊みたいな女でした。
鼻を突くのは、安酒のツンとした嫌な刺激。
それから、何日も身体を洗っていないような、酸っぱい、あの……こう、鼻の奥がひきつるような生活臭。
最悪の組み合わせ、混ぜるな危険ですわ!
わたくしは、反射的に【見習いシーフ】力を意識しました。
一番低い、レベル一の『見極め』。
情報の精度なんてお察しでしょうけれど、この「酒樽」の正体を見るには十分ですわ。
『見極め対象:人間(女)』
『役割:乳を飲ませる女』
『今の様子:お酒でふらふら、なまけもの、不潔』
(……あらあら、まあまあ。期待していた値が、地の底を突き抜けて地球の裏側まで行ってますわね。前世はナマコ……いえ、知性のない単細胞生物でしたの?)
乳母とやらは、千鳥足でわたくしの寝床――と言っても、ただの古い木箱ですわよ!――に近づくと、その爪の間に泥の詰まった汚れた手で、わたくしを乱暴に引っ張り上げました。
不快。
不快ですわ!
その指先に付着した、得体の知れない汚れが、わたくしの……将来は陶器のようになめらかになるはずの、真っ白な肌を汚していく。
感覚でわかるんですのよ、ゾワゾワと。
前世のわたくしなら、即座に除菌スプレーを一缶使い切るレベルの非常事態ですわ!
「布が汚れてんね。さっさと替えちまわないと、奥様にまたガミガミ怒鳴られるよ。まったく、愛人のガキなんて、そのへんに転がしておきゃあいいものを……」
女は毒づきながら、わたくしを冷たい床の上にゴロンと転がしました。
布が乱暴に剥がされ、冬の乾いた冷気が直接、わたくしの柔肌を突き刺します。
(ひ、冷たっ……!? ちょっと、殺す気ですの!?)
そして――。
下半身を襲う、言葉にするのも汚らわしい不快な感触。
出したものの湿り気と、質の悪い布が擦れる痛み。
赤ん坊という生き物は、自分できれいにすることすらできない。
わたくしも、まさかこれほど「弱りきった宝物(自分)」を抱えて生活することになるとは、計算が甘かったですわ。
「ほらよ。冷たくても我慢しな。あんたに温かいお湯なんて、もったいないんだからさ」
女は、どこから持ってきたのかも怪しい、氷のように冷たい布で、わたくしの肌を雑に、ゴシゴシと拭き始めました。
「い……っ、あ、うぅ……っ!」
痛み。
そして、芯まで凍えるような寒さ。
生まれたてのひよこみたいな体にとって、これはもう「いじめ」ですわ。
普通の赤ん坊なら、ここで喉が張り裂けるほど泣き叫び、全身で嫌だと暴れるのでしょう。
ですが。
(……泣くなんて、力の無駄遣いですわ。それよりも……そう。この不快感を、全部わたくしの『成長の糧』にさせていただきますわよ!)
わたくしは唇をぎゅっと噛み締め――まだ歯はございませんが――意識を五つのスロットへ、これでもかと集中させました。
今のわたくしにできる、全力の守り。
そして、自分を磨き上げるための、最初の手入れ。
(……【見習い聖職者】、お願い。痛みを精神から切り離しなさい。集中力を研ぎ澄ませるのよ。……次に、【見習いモンク】。力を皮膚の下に、薄ーく、膜を張るみたいに巡らせて。……冷たさで熱を逃がさないように、内側から細胞を叩き起こすのよ!)
身体の内側で、細い、本当に細い糸のような熱が流れ始めました。
レベル一の力はあまりにも弱々しくて、気を抜けばすぐに消えてしまいそうです。
ですが、わたくしは前世で、狂ったような仕事量をこなしてきた元・社畜。
意識のほんの少しも逃さず、力の流れを操り続けます。
(……さらに、ここからが本番ですわ。【見習い魔導士】。……肌の上にある余分な湿り気を、わたくしの熱で飛ばしなさい! 不純物を、ぜーんぶ弾き飛ばすのよ! ……身ぎれいにすることこそが、わたくしの誇りですの!)
じりじりと、頭の芯が熱くなるような感覚。
赤ん坊の未発達な頭が、力の循環に「もう無理ー!」って悲鳴を上げています。
ですが、わたくしは折れませんわよ。
乳母の汚れた手が触れるたびに、わたくしは魔力の膜でその接触を「チャラ」にし、お肌をきれいに保ち続けました。
女は、不思議そうにわたくしの顔を覗き込んできました。
「……なんだい、このガキ。声一つ上げやしない。不気味な瞳で見つめ返してきやがって……。まるで、中身に大人の化け物でも入ってるみたいだねぇ」
(あら、失礼ですわね。化け物ではなく、効率を何よりも愛する淑女とお呼びになって。……それより、あなたのその汚い手。わたくしの肌に触れるたびに、将来の美しさの値打ちが目減りしているのが、お分かりになって?)
女は気味悪そうに、わたくしを新しい――けれどやっぱり、カチカチでゴワゴワの――おくるみに包み直すと、放り投げるように木箱へ戻しました。
「さっさと死んじまいな。そうすれば、あたしもこんな仕事からおさらばできるんだからさ」
吐き捨てるように言い残し、女は酒の瓶を握りしめたまま、フラフラと部屋を出ていきました。
ガチャリ、と重い音がして扉が閉まり、再び静寂が訪れます。
(……ふぅ。……勝利、ですわね。完全勝利ですわ)
わたくしは、今にも消えそうな意識の中で、自分の肌の状態を確かめました。
魔力による「自分磨き」。
そして、モンクの呼吸によるバリア。
おかげで、あのような劣悪な扱いを受けたにもかかわらず、わたくしの肌は赤くなることもなく、真珠みたいな輝きを保っています。
不快感は消え、代わりに魔力の余韻による、心地よいポカポカした温かさが全身を包んでいました。
『ピコーン!』
【がんばった結果:『力の扱い(細かい操作)』のコツを掴みました】
【がんばった結果:『お肌の強さ(ちょっとだけ)』を手に入れました】
(オホホ……。いいですわ、非常にいいですわよ。……このひどい環境。そして、あのような無能。……これらすべてが、わたくしを磨き上げるための『砥石』に過ぎませんわ)
屋根裏の冬。
吹き込む風は冷たくて、布は硬くて痛いけれど。
今のわたくしには、この場所が最高の「秘密の特訓場」に見えます。
誰にも邪魔されず、ただ自分の価値を、ステータスを、ひたすら磨き上げるためだけに時間を使える。
前世で、無駄な会議とメールの波に溺れ死にそうになっていたわたくしからすれば、これほど贅沢な時間はございませんわ。
(……神様。……本日の第一のお仕事、無事に成功。レベルアップを確定させましたわよ)
わたくしは、心地よい疲れ……力がすっからかんになる寸前の、脳が痺れるような感覚の中で、そっと意識を手放しました。
眠り。
それは細胞を組み直し、がんばった成果を肉体に刻み込むための「大事な決算作業」ですの。
明日、目が覚めたときのわたくしは、今日よりもさらに美しく、さらに価値のある存在になっていることでしょう。
泥船屋敷の屋根裏。
カビと埃にまみれたこの場所で、わたくしの「究極の美肌への投資」は、一秒の休みもなく、しぶとく続けられていくのです。
(……それにしても、次こそは……もっと、こう、マシなお湯を持ってくるように、どうにかして伝えたいものですわ……。あの冷たさは、本当に、心臓に、よくないですのよ……。ふあぁ……おやすみなさいませ……)
わたくしは、微かな寝息を立てながら、次の「戦い」のための深い眠りへと落ちていきました。
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