残った布切れ――沈黙の余韻

第1話

沈黙は、音が消えることじゃない。

言葉が、本当はそこにあったはずなのに、置き去りにされることだ。

教室は静かだった。

黒板も机も、椅子も、もう一日の役目を終えた顔をしている。

春に向かうはずの季節なのに、空気だけが取り残されていた。

僕は、そこに立っていた。

何をするでもなく、何かを待つでもなく、ただ——残っていた。

視線を落とすと、椅子の背に掛けられた布切れが目に入る。

それは誰かの忘れ物で、誰かの温度をまだ残している。

触れていないのに、触れてはいけない気がした。

ああ、そうだ。

これは、彼女のものだった。

名前を呼べばよかった。

声をかければよかった。

そう思えるほどには、もう遅かった。

怖さを知っていたから、近づかなかった。

孤独を理解していたから、誰とも触れなかった。

それが正しいと、ずっと信じていた。

でも——

この静けさの中で、ようやく気づいてしまった。

失ったのは、言葉じゃない。

距離でもない。

ただ、そこに「在る」ことをやめてしまった自分だった。

布切れは、何も語らない。

それでも、確かにそこにあった余韻だけが、

僕の胸を静かに締めつけていた。

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