フェーズ2:地獄への入り口

先ほどまでの陽気な高原の空気は、バスが山道へ差し掛かると同時に一変しました。 鬱蒼とした杉林が太陽を遮り、車窓からの景色は急速に色を失っていきます。車内の気温が数度下がったかのような、肌にまとわりつく湿り気と冷気。


ガタガタ、ガタガタ……。 エンジンの不穏な振動が、玲央の細い身体にも伝わってきます。


「あれ? なんか変だな……」


運転手がわざとらしく声を荒げた直後、プスンッという情けない音と共に、ロケバスが完全に停止しました。 ボンネットから白い煙(ドライアイスの煙)が上がり、車内には演出用の焦げ臭い匂いが充満します。


「えっ、嘘でしょ!? ここ圏外ですよ!?」 「マジかよ、どうすんだよこれ!」


スタッフたちが怒号を上げ始めました。もちろん演技です。しかし、薄暗い山道での孤立というシチュエーションは、玲央の心に小さな棘を刺すには十分でした。


「……みなさん、大丈夫ですか?」


玲央は不安げな表情を一瞬見せましたが、すぐに気を取り直したように努めて明るい声を上げました。


「……あの、あっちにトンネルが見えます! 抜ければ、民家があるかもしれません」


玲央が指差した先。 古びたコンクリートが苔むし、まるで山の怪物が大きな口を開けているかのような、不気味な廃トンネルが鎮座していました。


「……あそこを行くのかよ。気味悪いなぁ」 「玲央ちゃん、先頭お願いしていい? 俺たち機材重くてさ」


大人の男性スタッフたちが、わざと玲央を盾にするように後ろへ下がります。14歳の少女を先頭に立たせるという、陰湿な演出。


「……はい。分かりました」


玲央はリュックの紐をギュッと握りしめました。 (暗い場所……狭い場所……) 脳裏に、あの体育館倉庫の記憶 がフラッシュバックし、心臓が早鐘を打ちます。足がすくみそうになる恐怖。

https://kakuyomu.jp/my/news/822139842179897083

その時でした。 「ひっ……! 怖い……」


玲央の隣にいた女性AD(仕掛け人)が、玲央の袖を掴んで震え始めました。 その震えが、玲央の腕に伝わった瞬間――玲央の瞳から「怯え」の色が消えました。


(……この人が、怖がってる。私が守らなきゃ)


かつて、ウサギたちを守るためにBB弾の前に立ちはだかった時と同じ 。 玲央は、震えるADの手を自分の手でしっかりと握り返しました。


「大丈夫です。私が前にいますから。……離れないでくださいね」

https://kakuyomu.jp/my/news/822139842179897712

玲央は、自ら暗闇へと足を踏み入れました。


トンネルの中は、外よりもさらに空気が淀んでいました。 ピチャッ、ピチャッ。 天井から滴り落ちる水音が、静寂を不気味に強調します。壁には得体の知れないスプレーの落書き。懐中電灯の頼りない光だけが命綱です。


「うわあああっ!!」


突然、スタッフが叫び声を上げました。 前方の闇の中に、白い着物を着た髪の長い女(お化け役の芸人)が、ゆらりと浮かび上がったのです。


「キャーーーーッ!! 無理無理無理!!」


ADが玲央にしがみつき、悲鳴を上げます。 大人たちがパニック(演技)になり、逃げ惑うフリをする中、玲央だけはその場から一歩も動きませんでした。


逃げれば、後ろにいるADが狙われるかもしれない。 玲央は、恐怖でガタガタと震える膝を必死に叱咤し、お化けとADの間に割って入りました。 そして、両手を広げて、凛とした声で叫んだのです。


「……ごめんなさい!!」


その声は、悲鳴ではありませんでした。


「私たち、道に迷ってしまっただけなんです! 悪意はありません! ……お願いです、通してください! この人が……私の友達が、怖がっているんです!!」

https://kakuyomu.jp/my/news/822139842179898082

お化けに向かって、頭を下げて懇願する少女。 恐怖に耐えながらも、背後の人間を守ろうとするその姿は、バラエティ番組の枠を超えた、痛々しいまでの「騎士(ナイト)」そのものでした。


お化け役の芸人は、白塗りの顔の下で冷や汗をかきました。 (……えっ、どうすればいいの? こんなに真っ直ぐお願いされたら、脅かせないじゃん……)


無線機から、モニタリングルームの指示が飛びます。 『おい、お化け! 何ひるんでんだ! もっと行け! 泣かせろ!』


しかし、玲央は一歩も引きません。その瞳は暗闇の中でも、星のように強く輝いていました。


「……お願いします。ここを通らせてください」


その気迫に押され、お化け役はズルズルと後ずさり、壁際へと道を譲ってしまいました。


「……行こう。今なら、通れるよ」

https://kakuyomu.jp/my/news/822139842179898364

玲央はADの手を引き、決してお化けから目を離さず(背中を見せず)、ゆっくりと、しかし確実にその場を切り抜けました。 トンネルを抜けた先には、さらなる地獄(泥沼)が待っているとも知らずに。

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