この が幸せでありますように

ねむい眠子

お題:日当たり良好

 その日はいつもと違って、暖かかった。最近はずっと、肌寒くて毛布をかぶっても冷えが追いかけてくる心地がしていた。

 だから、嬉しかった。

 眠気に勝てないまぶたをなんとか開けると、大人の気配がした。

 『クラリス』『クララ』

 本名と愛称を織り交ぜて、大人たちが言った。声音からして、男女が一人ずついるみたいだった。

 「いとしいクラリス」「わたしたちのクララ」

 うとうととするわたしの髪に、指が触れる。とっさに、わたしは身じろぎしてしまった。

 わたしの髪の毛は、機嫌を損ねた大人が掴むためにある。掴まれたら、痛いことが待っている。

 だけど、痛みはやってこなかった。優しい指先は、よれた髪をいている。

 『可愛いクラリスに、何の災いも起きませんように』

 歌うように、男が言った。

 『愛らしいクララが、幸せに暮らせますように』

 踊るように、女が言った。

 ……どうして、そんな優しい言葉をくれるのだろう。恐怖でおし黙るわたしに、二人の声が響く。

 『ぼくらのクラリスが、幸福で満ち足りますように』

 『わたしたちのクララが、誰からも愛されますように』

 もしかしたら、とわたしは思う。

 二人は、わたしのパパとママなのかもしれない。

 実のところ、わたしはパパたちの顔を知らない。物心ついたときには、教会の前に捨てられていた。

 その後の人生は、散々だった。

 教会にはどんどんこどもが捨てられるから、わたしは奴隷商に売られた。

 いろんな人の手にわたって、さまざまな仕事をさせられた。

 もう少し大きくなれば、娼館に売られるだろう。その方が少しはマシだと思う。

 一番いやなのは、金持ちのお家に売られることだ。そこでは、口にもしたくないような扱いを受けるらしい。

 『かわいそうなクラリスに、何の苦痛も訪れませんように』

 『いたわしいクララが、誰も恨みませんように』

 くわしいことはわからない。だけど、大人になるまで生きのびられるこどもは少ないと噂されている。

 『クラリス』『クララ』

 おだやかな二人の声に、ハッとする。

 もしもこれが、パパとママならば。生まれてはじめて、二人の顔が見られるかもしれない。

 薄目を開けて、必死に手を伸ばす。

 ……暖かくてまぶしい、白色しか見えない。あふれんばかりの光が、わたしの邪魔をする。おぼろげな人影しか、わからない。

 『パパ……、ママ……』

 たとえ、夢でもかまわない。今はただ、優しい温もりに包まれていたかった。

 


*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*



 「うへぇ。これでまだ半分もいってないって冗談でしょう?」

 穴を覗いて、男はごちる。彼の背後から、またひとつ死体が投げ入れられた。

 「カーチスよ、あまり口を開かないほうがいい。死者の夢を迎えて、病人の仲間入りがしたいなら止めないが」

 監督者からの忠告に、軽口好きなカーチスはおとなしく従った。

 彼らは、奴隷商専属の埋葬屋である。

 性病や不慮の事故で使い物にならなくなった死体を処理する因果な仕事に就いている。

 もっぱら、ここ二週間ほどは子どもの死体ばかりを埋めていた。

 一度かかれば高熱に至る病は、体力に乏しい子どもの間で流行している。

 「しかし、ひどいモンですねぇ」

 カーチスが漏らした一言に、同僚も上司も沈黙で返す。

 眼前にある墓穴には、死体の山が築かれている。その山から、伸びている腕がかすかに動いている。

 熱病は、一度かかれば死ぬしかない。他の商品に広まらないよう、奴隷商が処分をくだしたのだ。

 もっともカーチスも、穴を掘って埋める以外の能はない。一抹の憐憫れんびんはあっても、同情はしなかった。

 ――せいぜい幸せな夢を見れるように、と彼は雑な祈りを捧げた。

 


  この夢が幸せでありますように 了

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