第4話 非情なる改革
明花大学医学部付属病院の本院から、一台の高級セダンが第三分院に乗り付けた。 降りてきたのは、事務方トップの冷徹な男、総務部長の脇坂 達夫(わきさか たつお)だった。
脇坂は院長室の久保田 誠一(くぼた せいいち)に対し、一枚の通達書を叩きつけた。
「本日付で、第三分院を『高度先端医療研究センター』に改編する。これは天野病院長直々の改革案だ」
「研究センター……? それでは、今いる一般の患者さんはどうなるんですか!」
久保田が震える声で問い返すと、脇坂は冷酷に言い放った。
「不採算部門は切り捨てる。今後、この病院では本院の指定する難病研究以外のオペは一切禁ずる」
この「改革」の真の狙いは、零から手術の機会を奪い、事実上の飼い殺しにすることだった。 廊下でその話を聞いていた真壁 俊介(まかべ しゅんすけ)は、拳を固く握りしめた。
「そんなの改革じゃない、ただの虐殺だ……!」
その時、救急搬送のサイレンが鳴り響いた。 運び込まれたのは、重度の広範位外傷(こうはんいがいしょう)を負った身元不明の老人だった。
「患者名、不明。推定七十代。腹部大動脈損傷による失血性ショック!」
看護師長の鬼頭 雅子(きとう まさこ)の声が、緊張に包まれた救急外来に響く。
脇坂が救急の入り口に立ちはだかった。
「待て。先ほども言ったはずだ。指定外の患者の受け入れは認められない。すぐに本院へ転送しろ」
「本院まで十五分。この患者は一分も持たないわ」
スクラブ姿の冴島 零(さえじま れい)が、脇坂を突き飛ばすようにしてストレッチャーに取り付いた。
「零! 命令違反は即刻解雇だぞ!」
「死にたい奴は、私の邪魔をしてなさい」
零の冷徹な一言に、脇坂は気圧されて沈黙した。
「術名、大動脈遮断、および損傷部直接縫合止血」
零は即座にオペ室への入室を指示した。
オペ室では、浅野 瞳(あさの ひとみ)が必死に輸血のラインを確保していた。 「零、血圧が計測不能よ。心停止までカウントダウン状態!」
「真壁、開胸器! 心臓直上で大動脈を遮断するわよ!」
零の手が、老人の胸部を瞬時に切り開いた。
彼女は迷いなく心臓の奥に手を突っ込み、拍動を続ける大動脈を直接手で掴んで血流を止めた。
「今よ! 腹部を開けて、損傷部位を特定する!」
真壁は零の意図を瞬時に察し、腹部を大きく開創した。 そこには、粉砕された椎体によって引き裂かれた大動脈が、無残な姿を晒していた。
「……これほど広範囲の損傷、人工血管を入れる時間さえないわ」
「いいえ。血管壁を寄せて、パッチで補強する。真壁、人工血管のハギレを用意して!」
零の指先が、怒涛の勢いで針を動かし始めた。
脇坂はオペ室のモニターを見上げ、忌々しそうに舌打ちした。
「勝手にしろ。救えたところで、君たちの席はもうこの病院にはない」
だが、零の耳にはその言葉すら届いていない。 彼女は、自身の指先に伝わる老人の微かな脈動だけに全神経を集中させていた。
「……繋がった。遮断解除。瞳、心臓を叩いて!」
「お願い、動いて……!」
瞳の祈りと共に、モニターに規則正しい心電図の波形が戻った。
「バイタル回復。血圧、九十……百一。零、繋がったわ!」
手術を終え、廊下に出た零の前に、再び脇坂が立ちふさがった。 「これで終わりだ。冴島零、君を懲戒解雇処分とする」
しかし、そこへ久保田院長が息を切らして駆け込んできた。
「待ちたまえ! 今しがた身元が判明した。この患者は、明花大学の筆頭理事、徳川(とくがわ)氏だ!」
脇坂の顔から、一気に血の気が引いた。 天野病院長でさえ頭の上がらない、グループの真の支配者を、零は救ったのだ。
「改革って、誰のためにあるのかしらね」
零は脇坂の横を通り過ぎる際、耳元で静かに囁いた。
本院が仕掛けた「改革」という名の牙は、零の手によって、逆に彼らの喉元へと突き返された。
腹部大動脈損傷とダメージコントロール手術の解説
1.
人体で最も太い血管である
2.
出血を止めるために、損傷部位よりも心臓に近い側で大動脈を一時的に閉じる手技です。 劇中で零が行ったように、胸を開いて心臓のすぐ近くで遮断することで、脳や心臓への血流を維持しつつ、腹部の出血をコントロールします。 これは「ダメージコントロール手術」と呼ばれる、救命を最優先にするための緊急処置です。
3. 血管パッチ法
血管の壁が大きく欠損している場合、血管同士を直接縫い合わせると、血管が細くなりすぎて血が流れなくなってしまいます。 そこで、人工血管の布片(ハギレ)を当て布のようにして縫い付けるのがパッチ法です。 非常に速く、かつ漏れのない正確な縫合が必要とされる、難易度の高い応急処置です。
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