第22話 世界の狭間

 空へ舞い羽ばたいていく青く光る蝶の群れ。輝く星々にも似た美しい光景が広がっている。

 二人はその様子を静かに眺めていた。


「邪魔して悪いが、悠長にしている場合ではなさそうだ」


 鳥羽はレザーの黒手袋を外し、真帆に手を差し出してくる。彼の手の甲には小さな羽毛のようなものが生えている。


「鳥羽さん……これって!」

「始まったようだな……私たちはヒトでは無くなるぞ」


 この状況でも鳥羽の声色は冷静沈着だった。そのおかげか真帆も混乱せずにいられる。


(現世に帰らないといけない。でも……)


 真帆が懸念しているのはひとつ。周りを飛ぶピクシーへ目をむけた。


「……帰るには、どうしても“眼”じゃないと駄目かな……」


 ピクシーたちは顔を合わせる。そして真帆を見下ろした。


『オズの子のお願いでも聞けないわ』

『四人もいるものねぇ……』

『“片道だけ”って言ったでしょう?』


 真帆とピクシーの会話を聞いた亜澄果が不安げな顔をする。


「……どういうこと?」

「僕たちは、ここへ来るために“彼女たち”に案内してもらったんだよ。その対価として、僕の魔力がこもった魔鉱石を渡したんだ」


「それって……」


 真帆は頷く。


「亜澄果が持っていた魔鉱石だよ。衰弱していたピクシーにあげた時のね」

「それで、帰るには誰かの“眼”が対価ってこと……?」

「そういうことなんだけど……渡すわけにもいかないし……」


 四人は沈黙した。他に最善の案はないか考えを巡らせる。


(……僕の片眼を対価にするしかないか?鳥羽さんや春鈴さんの眼を失わせるわけにはいかない)


 真帆は目だけ亜澄果にむける。


(亜澄果もいることで、もっと対価を要求されるかもしれない。鳥羽さんや春鈴さんだけではなく、亜澄果の眼も欲しいと言われたら……)


 危険を犯してまで妖精の国に来たのは承知の上でだ。しかし誰かが犠牲になるのは避けたい。

 最後の課題である“現世へ帰る”こと。無事に亜澄果を母親のもとに帰さなくては──


 考えていると、ふと疑問に思う。

 鳥羽は“神隠し”を“人間が妖精の国へ連れて行かれること”だという。

 その“神隠し”は真帆も一度体験したことがある。しかし、真帆が見た光景は、妖精の国のような美しいものとはかけ離れていたのだ。


(それなら、あの時の僕は“どこ”に居たんだ……?)


 真帆は誰かの手に引かれ、現世に帰って来れた。あの場所も現世に繋がる世界なのでは?


『そう、思い出して、オズの子よ──』


 耳元で知らぬ女性の声が囁かれた。


「──!!」


 反射的に後ろを振り返る。


「──なっ!?」


 目の前の光景に息が詰まった。。自分が立っているのは、霧深い森の中なのだ。鳥の囀りや木々が風に揺れる音さえしない。静寂に包まれた森。


「これは……」


 真帆が神隠しにあった時と同じ森だ。そして周りには自分しかいないことに気がつく。


「鳥羽さん!春鈴さん!亜澄果!!」


 霧が濃すぎて何も見えない。


「どうなってるんだ……」


 真帆は周囲を警戒した。


『怖がらないで。見かねて助けに来たのだから』


 霧の奥から、大きな影がこちらに近付いてくる。やがて、影の正体が露わになった。


「……あなたは?」


 姿を見せたのは背の高い女性だ。真っ白な肌、豊満な胸。すらりと伸びた手足。整った顔立ちに美しい金髪。

 母性を感じる柔らかな微笑みでありながら、肌がひりつくような不気味さを感じた。それは目の前の女性が人間ではない。と真帆の本能が訴えているようだ。


「妾はティターニア。覚えているかしら」

「まさか……」


 思い出した。彼女は森に迷い込んだ真帆の手を握ってくれた女性だった。


「他のみんなは?!」

「安心するといい。すでに現世へ送った」


 真帆は胸を撫で下ろす。


「それにしてもオズの子、随分と無茶をしたものだねぇ」


 ティターニアは薄く笑いながら、こちらへ歩み寄ってくる。


「自分の眼を“ピクシー子どもたち”に差し出すつもりだった……?」


 彼女の指が真帆の顎に添えられ、くいっと持ち上げられた。


「いけないわよ。その眼は大切にしなきゃ」


 彼女は瞳を細める。


「あなたは……味方?」


 ティターニアは口角を上げて微笑んだ。


「この妖精の女王に、敵か味方か、なんて聞くのは愚鈍ね」


 真帆は目を大きく見開く。


「妖精の女王……!?」


 ティターニアの指が顎から離れた。


「いいこと?今回は助けたけれど、次に無茶な入り方をすれば……帰りはないよ」

「……どうして助けてくれたんですか」


 彼女は笑顔で真帆の額を突いてくる。


「なんでも答えを聞くものじゃない」


 真帆は突かれた額をさすった。


 白い手が真帆の頬に添えられる。それは冷たく、体温を感じない。ティターニアの顔が近づく。


『さぁ、帰りなさい』


 耳元で囁かれた声は脳内にまで反響する。真帆の瞼は次第に重くなった。


(眠ってしまう……)


 ティターニアの姿がぼやけ、意識は遠のいていく。体の力は抜け落ち、景色が揺れた。狭まる視界は暗転する──

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