第21話 夢からの目醒め

『帰る必要はないの』

 

 一人のピクシーがやって来る。

 

「君は……!」

 

 そのピクシーこそ、亜澄果が助けた衰弱していたピクシーだ。今では回復しているようだった。

 

『アスカはね、ずっとココにいるのよ』

「どうして、こんなことをするんだ!」 

『アスカはワタシと一緒にいるのよ!!帰さないんだから!!』

 

 ピクシーから強い意志を感じる。

 

(もしかして、悪戯いたずらで彼女を連れて来たわけじゃない……?)

 

 真帆は戸惑った。ピクシーは亜澄果のことが純粋に好きなのだ。妖精の気まぐれで起こしたのではない。

 

「彼女には、お母さんが待っているんだ。帰してあげようよ」

 

 真帆は説得を試みる。けれどピクシーは小さな頭を振った。

 

『嫌っ!アスカはずっと一緒だって言ったの!アスカは渡さない!!』

 

 まるで小さな子供の癇癪かんしゃくじゃないか。

 このピクシーは亜澄果に看病され、共に過ごしたことで彼女を好いたのだろう。また亜澄果もピクシーに無碍むげな扱いはしなかったのではないか。

 

(どうすればいい……?)

 

 視線を下げれば、亜澄果の穏やかな顔がそこにある。

 

「少女と母親の魔法を解け。それで終わる話だろう」

 

 鳥羽の声に真帆は顔を上げる。彼は立ち上がり、杖頭じょうとうをピクシーに向けていた。

 

──『妖精の魔法を解く方法は2つよ。魔法をかけた妖精に解いてもらうか、魔法をかけた妖精を殺すか』

 

 春鈴の言葉が真帆の脳内によぎる。

 

「駄目です!殺すのは!」 

「……まだ甘いことを言うのか。魔法を解く気がないのなら、殺すしかない」 

『……っ!!』

 

 ピクシーは苦渋の表情をする。

 

「春鈴さん、他に方法はないんですか!」 

「……言ったでしょう。妖精の魔法は、わたし達には解けないと」

 

 真帆は唇を噛み締め、鳥羽に顔をむけた。

 

「さて……どうするんだ。魔法を解くか、私に殺されるか」 

『ここはワタシたちの国よ!アンタみたいな魔法使いが、殺せるわけないじゃない!!』 

「……どうだろうな。試してみなければ、何もわからないだろう」

 

(駄目だ……鳥羽さんは本気だ!)

 

 もしピクシーを殺したら……彼女は起き、母親の魔法も解けだろう。けれど亜澄果は事実を知れば悲しむのではないか?

 真帆の中で葛藤が生まれる。

 

(考えろ……考えるんだ…)

 

『……殺されてたまるかッ!!』

 

 鳥羽の威圧に負けたピクシーは羽ばたいて飛んでいく。

 

「逃げられると思うなよ」

 

 鳥羽が杖を振り上げる──

 

「待ってくださいっ!!」

 

 真帆の声に、彼は振り上げた腕をゆっくりと下ろした。そうして少年の方へ視線を寄越すのだ。

 

「……なぜ止めた?」 

「殺すのは……やっぱり駄目です……」 

「では、どうするつもりだ。あのピクシーは魔法を解く気はないぞ」

 

 ピクシーはすでに飛び去ってしまっていた。

 わかっている。わかってはいるが、真帆の良心は“妖精を殺す”という選択を拒んだ。

 

 

 鳥羽の言葉を思い返す。

 

──君は何も理解していない。オズヴァルトの魂を持つことがどういう意味なのか。オズヴァルトがどれほどの影響力をもたらすのか。

 

 考えたくもなかった。理解したくなかった。魔法が低迷する現代において、自分の存在がどれほどの脅威になるのかを。

 

 

 

──オズの子であるおのれから逃げ、魔法使いになる気もない君が、私たち魔法使いと対等に肩を並べられると思っているのか?

 

 魔法使いになるということは、おのれに宿るオズヴァルトの魂を受け入れなければならない。それが怖い。

 “オズの子”としてさらに求められるのではないか?

 自分は進堂真帆というちっぽけな人間だ。過剰な期待を背負わされるのを拒んでいた。

 

 

 

──私たちにとっては保護対象だ。自立もままならない子どもでしかない。

 

 冷静で賢い鳥羽からすれば、妖精を殺すことに抵抗を感じる自分は子どもなのだろう。

 

 

 亜澄果を助けたい、亜澄果の母親も救いたい。亜澄果と一緒に居たいと言うピクシーを殺したくない。

 全部を助けたいなんて、とても我儘だと思う。

 

 

──『進堂くんには才能があると思う。だってオズヴァルトの生まれ変わりだよ。もし魔法使いになったら、きっと素敵な魔法使いになれる』

 

 亜澄果が真帆に言った言葉だ。彼女が思うような“素敵な魔法使い”にはなれないかもしれない。

 

 本当はまだ怖い……けれど──

 現在いま、自分が助けたいと願う全てのヒトのために、オズヴァルトの魂が役に立つとしたら。

 僕はその瞬間だけでも魔法使いになろう。

 

 

 真帆は亜澄果の背中に手を回し、そっと上半身を支えた。温かな体温を少しだけ感じる。そして彼女の手を優しく握った。

 眠る少女の顔は美しいほどに穏やかな笑みだ。幸せな夢の中で、彼女はどんな“美しい”ものを見ているのだろう。

 例え彼女が望んだ夢であろうとも。

 夢を見るのは眠り続けるためではなく、目覚めるためではならない。

 

「──起きて、亜澄果」

 

 二人を包むように淡い光の粒がふわりと漂い始めた。白い光は青い光へと変わっていく。

 その光は徐々に蝶へと形を成すのだ。そして二人を取り囲むように弧を描き、青く光る蝶の群生は舞い踊る。

 

 瞬く星々の様に輝く蝶に包まれながら、亜澄果のまつ毛が揺れる。

 そっと少女のまなこは開かれ、若草色の瞳が輝いた。

 

「おはよう、亜澄果」 

「……真帆?」

 

 少年は青碧せいへきの瞳を細める。

 亜澄果が真帆の手を握り返した。

 

「あたしが言った通りでしょう。真帆は素敵な魔法使いだよ」

 

 青い蝶々の群生は、二人を包み込みながら空へと羽ばたいていく。

 少女はそっと微笑んだ。

 

「おはよう、真帆」

「うん……会いたかった……」

 

 二人は目を伏せ、額を合わせる。互いの温かな体温が額から伝わるのだ。

 輝く美しい蝶は、夜明けに似た空へと消えていく──

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