第20話 妖精の国へ③
それから、どれくらい歩き続けただろうか。変わり映えしない景色に、三人は疲弊していた。
歩いているはずなのに、変わらない景色のせいで進んでいる気がしないのだ。しかも時間の感覚さえわからなくなってくる。
甘ったるい花の匂い、変わらない空の色と果てしなく続く花畑。最初こそは美しいと感じたが、今は狂気だと思う。
「……おかしくなりそうです……」
真帆は歩みを止め、膝を折り地面に手をついた。
「……そうね。これではキリがないわ」
春鈴と鳥羽も進む足を止めて真帆の傍へ寄る。
「とは言っても、私たちも長居はできないぞ。人では無くなる前に現世へ帰還しなくては……」
「あの……そこら辺にいる妖精に八尾さんの居場所を聞いては駄目ですか?」
ここにいるのは真帆たちだけではない。様々な妖精たちが地を這い、空を舞っている。しかし鳥羽は首を横へ振った。
「庭の妖精たちとは気質が違いすぎる」
「……というと?」
「庭に住む妖精は比較的、安全な子たちなの。わたし達が時間をかけて友好を築いてきたからね」
続けて鳥羽が説明する。
「ここに居る妖精たちは、私たちとは初対面だ。しかも妖精の国は彼女たちの領分。下手なことをすれば、何をされるかわからない。関わらない方が良い」
「なるほど……」
それではどうやって亜澄果を探し出せばいいのか。真帆は頭を悩ませた。
「くそっ……庭のピクシーたちは何処へ行ったんだ!」
珍しく鳥羽が余裕なさげに悪態をついた。彼もかなり焦っているらしい。
『あら、失礼しちゃう』
『オズの子、楽しんでる〜?』
『素敵な場所でしょ!』
やって来たのは、真帆たちを案内してくれた庭に住まうピクシーたちだ。
「何処へ行っていたんだ」
苛立ちを隠さず鳥羽が言う。
するとピクシーは鳥羽に小さな舌を出した。
『べ〜っ!』
『怒りん坊は嫌いよ!』
「はぁ……まったく……」
彼は頭を抱えていた。
その様子を見かねた真帆はピクシーたちに話しかける。
「ねぇ、“お隣さん”たちが人間を連れてきたときって、どこに呼ぶの?集まる場所とかあったりしない?」
ピクシーたちは顔を見合わせて考えだした。
『うーん、どうかしら?』
『赤子は“ゆりかご”?』
『男は“花園”?』
ピクシーたちは話し合いを始める。それから直ぐに、一人のピクシーが真帆の近くに寄ってきた。
『良い場所があるわ。とても素敵な場所!“大樹”よ』
『着いてきて!』とピクシーたちは飛んでいく。真帆たちは迷わず追いかけて行った。
──妖精の国、中心部。
真帆たちは目の前の光景に呆然と立ち尽くし、顔を見上げている。
「でっか……」
それは思わず声が出てしまうほど。
天まで届きそうな大樹。現世では樹齢何千年とされそうな大きな幹に、葉が生い茂っている。
その大樹を囲むようにして広い湖があった。湖はとても透き通っている。大樹は土ではなく、湖の底から根を生やして育っているようだ。
淡い光が無数に舞っており、幻想的な空間を作り上げている。
「もしかして、魔力の源なの?」
春鈴が言えば、ピクシーは手を叩く。
『そうよ!ここが中心部で、この大樹が魔力の源』
『オズの子でも、滅多に見られない場所なんだから!』
どうやら真帆に見せたくて、ここまで連れて来たらしい。
本来の聞きたかった意図とは違うが、美しい光景に心が奪われそうだった。
(いけない。本来の目的を見失ったら駄目だ)
頭を振って、頬を叩いた。
(しっかりしろ!八尾さんを探さないと)
真帆は周りを見渡す。大樹と湖がある以外は、他と変わらなかった。花畑があるのみで、変わったものは見当たらない。
「ここを見て周りましょう」
真帆は湖をぐるりと周るように、湖の縁に沿って歩く。鳥羽と春鈴も後に続いた。
「……随分と大きな湖だな」
鳥羽が湖を覗く。
「そうね。この水も魔力が宿っているのかしら」
『ワタシたちにとっては魔力だけど、ニンゲンにとってはタダの水よ』
真帆の肩に乗るピクシーがそう言った。
「飲めるんですかね、この水って」
「やめろ。それこそ現世に帰れなくなるぞ。妖精の国のものは食べるな」
背筋がゾッとする。
「……飲みません……」
歩みをとめ、何気なく湖を眺めた。
すると、一部だけ湖の色が違う気がしたのだ。
(……?)
よく目を凝らしてみる。それは大樹の幹でも根っこでもない。
(浮いてる……?)
茶色の糸の束のようなものが浮いて見えた。それが“なに”なのか鮮明に理解したとき、真帆の血の気が引く。
「……まさか!!」
真帆は湖の中へ足を踏み出した。
「おい、仔犬!?」
「真帆くん!?何してるのよ!」
背後から二人が困惑する声がする。それでも構わず進み続けた。
腰まで水に浸かる。だが不思議と冷たくなかった。温かくも熱くもない。水をかき分ける感覚はあっても、服が濡れて重くなる感覚は起きない。とても不思議だ。
そして“なに”かは近付くにつれ、輪郭がはっきりとしてくる。茶色の糸の束は“髪の毛”だ。赤栗色の毛。
そして水の中に沈むのは──
「八尾さん!!」
真帆は沈む彼女を抱き上げた。血色は良い。冷たくもない。息もしているようだ。
「……良かった……」
真帆は安堵する。
「見つけたのか!?」
「亜澄果ちゃん!」
鳥羽と春鈴も、湖に入って真帆を追いかけて来ていた。
「私が運ぼう」
亜澄果を鳥羽に託し、湖から出る。
花畑に横たわる亜澄果は起きない。
「八尾さん……」
彼女は楽しい夢を見ているかのように、微笑んだ表情で眠っていた。
「これも妖精の魔法ですか?」
真帆は二人に聞く。
「多分……そうじゃないかしら」
「見つけたはいいが、新たに課題が生まれたな」
三人はどうすべきか悩み沈黙する。
亜澄果の寝顔はとても穏やかで綺麗だった。真帆は目が離せず、じっと見つめる。
『夢を見ているのね』
ピクシーが言った。
『素敵な夢を見ているのよ』
『起こすのは可哀想』
「……どうして?」
真帆は問う。
『夢から覚めるなんて残酷だわ』
『夢に中なら、ずっと笑顔でいられる!』
『ここに居るのが幸せよ』
本当にそれが彼女の“幸せ”なのか──?
「違う!!」
真帆の大声に、ピクシーたちは体を強張らせる。
「……ごめん……でも、この子は帰らなきゃ行けないんだ」
──『……娘をお願い……』
母の切なる願い。妖精に魔法をかけられてもなお、“娘を愛したい”と願う母親の想いは本物だ。
返してあげたい。『お母さんは君を愛しているよ』と伝えたい。
母親が君を愛せなくなったのは、君のせいじゃない。だから悲しむ必要はないんだと。
亜澄果の幸せそうな寝顔は、きっと彼女が思い描く“幸せ”な世界を見ているからだろう。
でもそこには、本当の母親はいないのだ。今でも母は娘を想って待ち続けている。
「駄目だよ……帰らなきゃ……」
真帆の声は、眠り続ける彼女に届くことはない。
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