第10話 魔法使いの素質


──街中。梅ノ通り。


「知らなかった。八尾さんは妖精が見える人だったんだね」


 バスケットを抱える少女に真帆は言う。二人は横に並んで歩いているところだ。


「あたしもびっくりしたよ。進堂くんがあのお店にいるんだから」

「父さんが海外赴任でいないんだ。だから父さんが帰ってくるまでは、あの人たちにお世話になってる」

「お母さんはどうしたの?」

「僕が3歳の頃に死んでる。だから父さんと二人暮らし」


 亜澄果は顔を逸らすと俯いた。


「ごめん……あたし知らなくて……」

「いいよ、謝らなくても。知らなくて当然だし。気にしないで」

「ごめん……」


 蝉の鳴く声が響いている。二人を照らす太陽はじりじりと肌を焦がしていた。真帆は顔を上げ、眩しい陽の光に目を細める。


「暑いね。いくら距離が遠くなくても、歩くと暑いよ」


 建物の日陰でも涼しさはなく、蒸し暑さは変わらなかった。

 二人が歩く向かい側から浴衣を着たカップルが歩いてくる。談笑しているカップルに対して、互いに息を殺すように沈黙し二人はすれ違う。

 真帆はなんとなく隣の亜澄果に目だけを向けた。学校では制服や体操服の姿しか見たことがない。私服姿は新鮮だった。黄色の生地に小花が散りばめられた可愛らしいワンピース。

 亜澄果は活発な生徒だ。いつも友達が周りにて、教師とは親しげにコミュニケーションをとる。授業での発言も積極的で、勉強も運動もできた。笑顔が絶えず、いつもニコニコしている。

 しかし自分の隣にいる少女は学校での姿とは印象が異なり、しおらしい少女だ。


「体調でも悪い?」


 真帆が聞けば、少女は怪訝な顔をした。


「そんなことないけど。どうして?」

「八尾さん、学校にいる時より少し元気がないかなって思って。暑いからかな。僕、お金持ってきるし、どこかで水でも買いに行く?」


 二人は梅錦橋の手前まで辿り着いたところだ。この先を行けばコンビニなどはない。買うなら少し道を戻ったところにあるコンビニか自動販売機で買うしかなかった。


「平気。それにもう家が近いから、いいよ」


 彼女の返事は素っ気ない。真帆は自分が距離を置かれているのではないかと思い始めてしまう。

 思えば、亜澄果と同じクラスだがまともに話したのは今日が初めてだ。クラスにいても必要な会話しかしない。話しても一言、二言のやりとりのみ。

 彼女は常に仲のいい女子と一緒にいて、昼休みはクラスにいない。おそらく別クラスで昼食をとっているのだろう。今は並んで歩いているのが不思議なものだ。


 梅錦橋を渡る。陽に当たる川はきらきらと輝いていた。風は吹けども熱気で涼しくない。けれども川の流れを見ていると気持ちだけ涼しさは感じるだろう。


「ピクシーは暑くないのかな」


 真帆がバケットに目を向ければ、亜澄果は蓋を開ける。ピクシーはいつの間にか鉱石を抱き抱えて眠っていた。


「妖精に暑さや寒さは関係ないんだと思う」


 そう言って蓋を閉める亜澄果。


「詳しいんだ」

「少しだけね」


 彼女の額から汗が流れ、手の甲で拭う。

 ポニーテールを肩から前に流してある。晒されたうなじが目に入り、少しだけドギマギした。


「八尾さんの家、もう少しかな」

「うん。橋を渡った先の……あの電信柱を曲がった道のところ」


 亜澄果が立ち止まった家は、新築のように綺麗だった。白を基調とした外観、広い駐車場スペース。真帆は『お金持ちなんだな』と心の中で呟く。


「僕は帰るね。ピクシーのことで何かあれば魔香堂にくればいいよ。二人なら力になってくれると思う」

「進堂くんは一緒に働いてるわけじゃないの?」


 真帆は首を振る。


「僕は同居してるだけだから」

「そう……」


 亜澄果は残念そうに眉を下げた。なにか期待を裏切ってしまったのだろうか。


「また夏休み明けの学校でね」


 来た道を戻ろうと真帆は亜澄果に背を向ける。


「待って!」


 服の裾を引っ張られ、真帆は足をとめた。


「えっ?」


 振り返れば亜澄果は裾から手を離し、垂れた髪のひと束を耳にかける。


「お茶、飲んでく?」


 彼女の口から出た一言に真帆の思考は数秒停止するのだった。



 ルームフレグランスの花の匂い。動物のぬいぐるみやハート型クッションが飾られた亜澄果の部屋。

 真帆は肉球型のクッションに座っている。女の子の部屋は、どうも落ち着かない。


「暑かったでしょう。休んで行きなよ」


 亜澄果は氷が入ったグラスに冷えた麦茶を注ぐ。そのグラスは真帆の前に置かれる。


「あ、ありがとう」


 テーブルに置かれたグラスをぎこちなく持ち上げ、冷たい麦茶を口にした。しかし緊張で味はしない。冷たさだけ感じた。

 緊張からか喉だけは乾くので、味のない麦茶で潤す。


「飲んだら直ぐに帰るから」


「えっ?」と亜澄果から漏れる声。余計に真帆は困惑する。


「春鈴さんに言われて送っただけだから悪いよ!」

「違うの。あたしが進堂くんと話してみたかっただけなの」


 真帆の体が硬まる。今までの経験にないことが起こっていて、彼の脳内が混乱した。次に言う言葉が出て来ない。

 真帆が言うより先に彼女が口を開いた。


「オズの子ってなに?」


 亜澄果の一言に空気が一瞬にして張り詰める。


「お店の二人は進堂くんをそう呼んでた。どういう意味?あなたも妖精が見えることと関係があるの?」


 真帆は先ほどとは別の緊張が走る。グラスを置き、亜澄果と目を合わせた。


「それを知ってどうするの」


 真帆の眼光が亜澄果を貫き、彼女はピクリと体を震わせる。


「あたしに話せないこと?」

「あまり人に話すことじゃないとは言われてる。それに言っても信じてもらえないと思う」


「オズヴァルトと関係があるんでしょう。男の人が言ってた。進堂くんはオズヴァルトと同等の魔力があるって。あたしたちの世代でそんなに魔力を持った人間がいるなんて、聞いたことないよ」


 真帆は口を閉ざす。父親からは『人に言ってはいけないよ』と幼い頃から言われてきたのだ。言ったところで信じるわけない。せいぜい頭のおかしい奴だと思われるだけだ。なので誰かに言うつもりもなかった。


 ふと亜澄果の背後にある本棚へ目線を移す。魔法歴史書や妖精学の本がいくつか並んでいる。亜澄果は自分よりも魔法に興味があるのだと悟った。ピクシーを引き取ると言い出したのも、その思いがあったからだろう。

 彼女に話したところで、何かが変わるのだろうか。口外することを口止めさえすれば問題はないかもしれない。それ以前に話したところで馬鹿にされ終わるだろう。


「いいよ。教えてあげる」


 彼女はパッと表情を明るくした。

 真帆は咳払いをし、口を開く。


「僕はオズヴァルトの生まれ変わりなんだ」

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