第一章 黄金の聖女②

 事の発端は今より二週間ほど遡る。

 三月初め、大陸の歴史を大きく変えることとなる一通の書簡が西セルディア王室に届けられた。その書状を読み上げられた直後、西の王は一言、

「何を馬鹿な」

 とだけ吐き捨てた。

 それは東のヴァルクレウス第一王子アレクシスから、西セルディア王女アウレリアへの求婚の文書であった。もちろん甘い言葉を連ねた恋文などではなく、あくまで東西融和のための政略結婚の打診である。

 古来より王族同士が政略的な思惑で婚姻を結ぶことは珍しくもない。そのため、表面上は決して非常識な申し出ではなかったが、西王国にとっては一考にすら値しない暴挙でしかなかった。

「あの娘を国の外へ出すはずがないだろう。そんなことも東の王子はわからんのか」

 そもそもアウレリアは王家の血を一滴も受け継いでいない平民の出自である。神聖なる黄金の色を生まれ持ったがゆえに養女として迎え入れられたが、それは王家にその黄金の血を入れるため。ゆくゆくは王族の男子との間に子を産んでもらわねばならないのに、おいそれと他国へ嫁がせるはずがない。

 ヴァルクレウス王国は異国と言っても東西に分かれる前は同じ国と文化を持ち、信仰も基本的には同じセラ教を仰いでいる以上、聖女アウレリアの存在意義を知らないはずはない。それなのに、何ゆえアレクシス王子は横槍を入れてきたのだろうと西セルディア王は訝しんだ。

「陛下……それではいかがいたしますか」

 家臣の問いに、王はにべもなく告げた。

「断るに決まっている。世間知らずの王子に現実を突きつけてやれ」

 王の迅速な処断に、廷臣たちは安堵を浮かべた。

「これでヘリオス殿下の地位も安泰だな」

「ヘリオス殿下が聖女と結ばれればきっと神のご加護があるだろうからな」

 万が一にも王が東西融和のために東の王子の求婚を受け入れなかったことで、彼らは胸を撫で下ろした。特に王弟の遺児ヘリオスを擁する派閥にとっては死活問題だったのである。

 こうして東のアレクシス王子の求婚は失敗した。

 ――誰もがそう信じていた。



 西セルディア王の命により、あえて強い語気で拒絶を記した返答文書は、だがヴァルクレウス王国の王都ヴァルディスに届けられることはなかった。

 その書簡を持った使者は東西国境を守るルヴィナ城門を抜け、街道を進んだ先の谷合に位置するマルヴォス付近で足止めを食らうこととなった。峠を越えた向こうで彼らを待ち構えていたのは、完全武装した兵の集団だったのである。

「我々は西セルディア国王陛下からヴァルクレウス王室への正当な使者であるぞ! これは我が国への敵対行為と見なしてよいか!?」

 恐らく数千はいるであろう屈強な兵士たちに囲まれても、使者は強気に抗議した。すぐに殺されないのは、生かすだけの価値があるだろうと算段したのである。

 だが、そんな虚勢も長くは持たなかった。

 使者の前に現れた大柄な男は、冷たい声を投げ落としてきた。

「その書簡は誰宛だ?」

「無論、ヴァルクレウス第一王子アレクシス殿下に宛てたものである」

 使者の返答に、目の前の男は唇の端に薄く笑みを浮かべた。

「ならば問題なかろう。本人が開封するのだからな」

「は……?」

 使者は思わず言葉を失った。

 ――本人?

 ということは、この男がアレクシス王子その人だと言うのか?

 彼の目の前にいるのは、他の兵士たちより頭一つ分も抜きん出た長身を、深紅に裏打ちされた漆黒のマントに包んだ青年であった。その眼光の鋭さと、向き合っただけで威圧されそうな空気は確かに高貴な血筋だと言われても納得はできる。だが。

 ――なぜ、ここに?

 その問いが使者の脳内を駆け巡っていた。

 ここはヴァルクレウスの王都ヴァルディスより遠く離れた国境付近。そんなところに一国の王子が、なぜ滞在しているのだろう。しかも、大軍勢を従えてまで。

 求婚の返事が待ちきれずに王都を飛び出してきた――などという色恋に浮かれた情熱は、この青年からは欠片も感じられなかった。

 すると、書簡を読み終えた王子に、隣で控えていた将軍らしき男が声をかけた。

「閣下、いかがですか」

「聖女を嫁がせるなど言語道断だそうだ」

「それは何よりでしたな」

 拒絶されたことをまるで喜ぶような会話に、使者はますます混乱した。しかし、もはや使者の存在など視界から消えているかのように、王子は短く、強い声で将軍に命を下した。

「バルナス、狼煙を上げろ。――進軍を開始する」


 それはただの開戦の合図ではなかった。

 マルヴォスから上った狼煙は、西セルディア内各地に潜んでいた継手により次々に中継され、その日のうちに西の王都セラーナまで届けられた。直線にしておよそ600ミルタ(約600km)を数時間で駆け抜けたことになる。

 そうして最終地である王都で待機していた者は狼煙の情報を読み取ると、ただちに使者として西セルディア王宮へ一通の書簡を届けた。

 求婚が断られることを前提として複数用意されていた文書のうち、狼煙の形態によって指定されたものが送られたのである。

 これこそが、後の世に「破断宣戦文」と呼ばれる宣戦布告文であった。



 宣戦布告が届けられた西セルディア王宮は、しかしすぐには現実を認識しなかった。

 本来、王命を受けた正式な使者が替え馬を駆使して移動しても、西の王都セラーナから東の王都ヴァルディスまで最低二週間はかかる。求婚拒絶を記した書簡を届け、返書を使者が持ち帰るにも一月はかかるのが常識だったのだ。そのため、使者がセラーナを出発してから約一週間後というあまりにも早すぎる返答に、彼らは「偽書であろう」と見なした。それが事実であると知るのは、東軍に国境を突破されたという急報が舞い込んだ時であった。

 ――ルヴィナ城門、陥落。

 それはセルディアが東西に分裂してから三百年の歴史で初めてのことだった。

 国は分かれても兄弟国――意識の奥にそうした根拠のない信頼と気の緩みがあったことは否めない。王子の求婚を断ったくらいで本気で攻め込んでくるはずなどないと慢心していたのである。

 無論、その油断を東は最大限利用した。


 ルヴィナ陥落当日――

「か、開門を願う……!」

 どこか弱々しいその声は、朝のうちに城門を通過したはずの西王国使者のものだった。ルヴィナの守備兵たちは、通ったばかりの使者がまた戻ってきたことに首を傾げたが、正式な証明書と先ほど見たばかりの顔は紛れもなく本人である以上、再び城門を開けないわけにはいかなかった。

 そして門扉を開いた瞬間――使者の両脇に控えていた護衛兵が門番を倒し、同時に後方の岩陰に隠れていた騎兵たちが一気に城門になだれ込んだ。

 東軍はマルヴォスで捕らえた西の使者を脅して通行証代わりとし、護衛兵に化けさせた自軍の兵を先鋒として門を通過させたのだった。あまりの素早さに西の守備兵たちはまともな対応もできず、危急を知らせる狼煙も上げる前に全員制圧されてしまった。

 西セルディアは最盛期に比べて人口も兵士の質も大いに低下していたが、その中でもまともに戦える者はほとんど辺境の蛮族との交戦地に配属されていた。東は攻めてこないという前提から、東西国境のルヴィナ城門には抵抗できるだけの兵が初めから存在しなかったのである。


 こうして難なく国境を抜けた東軍の存在が西王宮に把握されたのは、ルヴィナを抜けて数日経ってからのことだった。

「敵兵が中央街道を通過しているだと!? どこの兵だ!?」

「東軍……? そんな、馬鹿な! 国境にはアルティス山脈があるのだぞ! 奴らはいつどうやって越えたと言うのだ!?」

 王宮は慌てふためいたが、もはやすべてが遅かった。

 東西セルディアには、統一王国時代に血管のように張り巡らされた街道が今でも無数に残っており、そのうち最も広い中央街道を東軍は千の騎兵をもって駆け抜けていた。かつての豊かな王国時代は国内輸送を円滑に行うために使われた街道が、今は敵兵の高速移動を支援する形となったのである。

 さらに、東西を隔てるアルティス山脈の存在もいっそう慢心を助長する原因となっていた。標高2800レント(約2800m)を誇る峻険な山脈は、天然の要害として彼らに絶対的な自信を与えていたのだ。春とはいえ、峠の山道にまだ多く雪の残るアルティスを、東軍の騎兵たちはわずか三日で踏破した。

 王都セラーナを急襲するため、先行した千の騎兵が馬蹄を鳴らして迫ってくる。次々に落とされた砦からの急報が波濤のように押し寄せ、西王宮は完全に機能を停止していた。



 王都が敵軍に包囲されたとの報は、西セルディア王の思考を大いに狂わせた。

「そんな……そんなはずは……」

 王都から最も近い砦が陥落して以降、王はまともな言葉を発することができずにいた。危機を察した廷臣たちが少しずつ減っていることすらもはや意識していない。その消えた家臣の中に、聖女の元護衛騎士マクシムが含まれていることなど、気づきようはずもなかった。

「陛下、いかがなさいますか。早いうちに降伏なさった方が傷は浅く済みますぞ」

 残った家臣の一人に判断を仰がれ、王は虚ろな目を向けた。

「降伏だと……?」

「さようにございます。どのみち王都の守備兵はすべて掻き集めても三百もおりませぬ。敵の大軍に対抗できるだけの力がもはやございません」

 千年の歴史を誇る王都セラーナ。最盛期には百万の人口を抱えた大都市も、国力の衰退、疫病の蔓延などにより今や三万程度まで落ち込んでいる。そのうち、兵士に数えられるのがおよそ三百。それも引退した老兵や実戦経験のない素人同然が多くを占めているのだ。東の鍛え抜かれた精鋭軍千騎に対抗できるはずもなかった。

「何をふざけたことを! 降伏などしたら私はどうなると言うのだ!?」

 ここ数日の凶報ですっかり血色の衰えた顔を怒りに燃やし、王は叫んだ。その怒声に、家臣たちは互いに顔を見合わせた。

 いつもの半数ほどまで参加者の減った廷臣会議。謁見室の玉座に落ち着きなく座る王に対し、彼らの代表が恭しく頭を下げた。

「陛下、今こそ歴史に名を遺す好機にございます」

「そ、そうだ、私も剣を持って戦うぞ。後世に語り継がれる王としてな」

 剣など何十年も振るっていないことすら忘れて、王はうわ言を口にした。彼の脳裏には大軍を率いて敵を迎え撃つ英雄王の幻影が映し出されていたのである。だが、その幻想が実現することはなかった。

「いいえ、陛下にはよりふさわしい仕事がございます」

 廷臣たちはいっせいに距離を詰め、玉座の王を取り囲んだ。

「その首一つで聖都セラーナを救った賢明なる王として――どうぞご覚悟を」

 王が最後に見たのは敵を討つ英雄の幻影ではなく、己の首に振りかざされた刃の鈍い煌めきであった。

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