黄金のアウレリア

北峰

第一章 黄金の聖女①

「ねえ、ユリウス……ユリウスったら!」

 少女の呼び声に、彼はやや遅れて応じた。

「何でございましょう、アウレリア様」

「さっきから呼んでるのにちっとも聞いてないじゃない。寝不足? 夜更かしでもしたの?」

「……申し訳ございません」

 ユリウスは絞り出すような声で謝罪を述べたが、主の質問には意図的に答えなかった。そんないつもと違う彼の態度に、アウレリアはいっそう不満げな顔をする。

「ここ最近、先生の授業もお休みだし、侍女たちも減っちゃったし、すっごい暇なんだけど。何かあったの?」

「それは――……」

 ユリウスはここで正直に話すべきか迷った。

 アウレリアが不審に思うのも無理はない。実際、侍女のほとんどが姿を消してしまい、今もユリウスが本職は護衛でありながらアウレリアの給仕も兼ねているのだ。

 彼らがいるのは、西セルディアの王宮内でも最も西外れに位置する離宮の一角。建物の内部に設えられた吹き抜け構造の中庭の東屋で、本宮の厨房から軽食を護衛騎士であるユリウスが運んできている有様なのだ。本来は調理も給仕も最低限の使用人が離宮で行うのだが、それすらも今は消えてしまっている。いくら世情に疎いアウレリアでも異変に気づかないはずがない。

 それでも自分の口から真実を告げてよいものか、彼はまだためらっていた。

 主従の間に重い空気が流れかけたその時、不意に中庭を照らすように明るい声が上がった。

「やあ、アウレリア姉様。元気にしてる?」

「あらヘリオス、どうしたの? あなたも暇なの?」

 唐突な来訪者は、アウレリアの義理の従弟であるヘリオスだった。まだ十二歳になったばかりの彼は、幼さの残る顔におどけたような微笑を浮かべた。

「周りのおじさんたちが口うるさいからね。ちょっと姉様のところに避難してきたんだ」

 そう言って口を尖らせると、ヘリオスは東屋の脇の花壇にひょいと腰を下ろした。

「口うるさい? どうして?」

「うーん、戦争前だからピリピリしてるんじゃないかなあ。王都も包囲されつつあるらしいしね」

 ヘリオスは何気ない口ぶりで、とんでもない一語をその場に放った。黙して控えていたユリウスは思わず声を上げそうになり、アウレリアは飲んでいた果実水を取り落としかけた。

「…………戦争?」

「あれ? 姉様知らないの? 今、東がうちに攻め込んできてるんだってよ?」

 声を震わす従姉に、ヘリオスは意外そうな視線を向ける。まだ幼い彼は事の重大さを理解していないのか、花壇に腰掛けた両足を宙でぷらぷらと揺らしており、まるで緊張感の欠片もなかった。

「どういうこと……?」

 アウレリアが黄金の瞳に不安と猜疑をたたえながら尋ねたのは、発言主のヘリオスではなく、隣に控えるユリウスである。咎めるようなその視線に、彼は苦渋に満ちた表情で頭を下げた。

「…………申し訳ございません」

 それ以上、彼は言葉を紡ぐことができなかった。何を言ったところで主人に重大な隠し事をしていた事実は翻らない。

 二人の間に重い沈黙が流れる。

 セルディアの三月下旬の昼下がり、例年なら暖かな日差しに包まれる時期であるはずが、今は吹き込むそよ風すら冷たく感じられた。

「うーん、なんかおやつもなさそうだし、つまんないから僕帰るね」

 さすがに二人の不穏な空気を感じ取ったのか、長居は無用とばかりにヘリオスは無邪気に笑ってそそくさと退出した。

 それを横目で見送ると、アウレリアはさらに語気を強めて詰め寄った。

「どうして教えてくれなかったのよ! そんな大事なこと!」

「……アウレリア様を心配させぬよう、戦争に関して話すなと命じられておりまして」

 言葉を絞り出しながら答えるユリウスを、黄金の瞳がじっと見つめる。居心地の悪さに恐縮しきる彼の様子を見やりながら、アウレリアは溜息混じりに告げた。

「嘘が下手ね、ユリウス」

 一刀で断じられ、彼は返す言葉もない。沈黙を肯定と見なし、アウレリアはさらに追い討ちをかける。

「『神の瞳』なんかなくたってわかるわよ。どうせあの人たちは、私に何も教える気なんかないんでしょう?」

 彼女の瞳は嘘を見抜く。それを知っていても、ユリウスは真実を告げるわけにはいかなかったのだ。だが、もはやここまで来たらすべてを明かすしかないだろう。腹を決めて口を開こうとしたその時、

「――ユリウス! ユリウスはいるか!?」

 本日二人目の乱入者が中庭に飛び込んできた。その切迫した声音に、ユリウスも思わず慌てた。

「父上!? いかがなさったんですか、今は会議中では」

 大声でその場に駆け込んできたのは、ユリウスの父マクシムだった。昼間のこの時間帯は宮廷で勤務中のはずなのに、よほど焦ってきたのか額には薄く汗がにじんでいる。

 マクシムは呼吸を整える暇すら惜しんで、息せきながら息子に命を下した。

「そんな場合ではない。すぐに支度をしろ」

「……すでに東軍が?」

「とんでもない速さだ。ここもじきに陥ちるだろう――やはり内通者がいる」

 その言葉にユリウスは唇を強く噛みしめた。

 父はただの憶測だけで不安を煽るような人間ではない。そのことをよく知っているからこそ、彼は来るべき時が来たと覚悟した。

「アウレリア様。詳しくご説明している時間もなく申し訳ございませんが、すぐ出立のご準備を」

 もはや一刻の猶予もない。何も知らない主を守るには、ここで足踏みをしている場合ではなかった。

「出立って、どこへ……?」

 不安げに見上げる聖女に、ユリウスは静かに告げた。

「王都の外へ――ここはもうじき敵の手に落ちます」



 今より約千年前、中央大陸に起こった国の名をセルディア王国と呼ぶ。しかし建国より七百年ほど経った頃、王位継承で揉めた末に国は東西に分割された。これが東西セルディア王国である。とはいえ元は一つの国でもあり、両者の間で直接剣を交えることのないまま三百年の時が流れていた。しかし今年の春まだ浅い頃、一通の書状がその長い均衡を破った。

 東セルディア王国――分裂してからヴァルクレウス王国と国号を改めた国の第一王子が、西セルディア王国に突如として攻め入ってきたのである。それも、西の王女への求婚を断られたという理由をもって。

 王女の名はアウレリア・ヴィオレーナ・セルディウス。黄金の髪と瞳を持つ彼女は、世の人々から「聖女アウレリア」と呼ばれている。

 セルディアの国教セラ教では、黄金は神の象徴とされ、世が苦難に満ちる時、天から黄金の髪と瞳の聖女が遣わされると信じられてきた。そして十一年前、その伝説の聖女と同じしるしを持つ少女が市井で発見され、養女として王宮に召し上げられた。

 こうして平民から王族となったアウレリアは今月ついに十六歳の成人を迎えたが、突如起こった戦争により成人の儀どころではなく、王宮の人間は慌てふためいていた。――ただ、マクシムを除いては。

 ユリウスの父マクシムは、八年間アウレリアの専属護衛を勤めていた騎士である。三年前に配置異動となり、同年成人したての息子が聖女護衛の任を引き継いだが、その後もマクシムは聖女の身辺に気を付けていた。そのため、いち早く国内の不穏な動きを察知し、最悪の事態に備えて密かに逃亡の手立てを準備していたのである。

「マクシムは……知っていたの……?」

 黄金の瞳を不安に揺らしながらアウレリアは尋ねる。その問いに、元護衛騎士は小さく首を振った。

「……そうならねば良いと願っておりました」

 それは明言を避けただけの肯定だと、人生経験に乏しいアウレリアでさえも理解できた。

 本来ならばもっと問い質したいところをこらえ、口をつぐんだのは、マクシムへの気遣いだけではない。すでに時が迫っていたのだ。

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