それで、お前は何になった?
アクセル・リーデンブロック
第1話 キャベツとバッジ
街道沿いの林道は、朝の湿気で土が重い。
獣の鼻には、匂いがまとわりつく。
乾いた荷縄。
汗。
鉄。
それから――
キャベツ。
(……なんでだよ)
腹が鳴る。
悔しい。
今はそれどころじゃないのに、匂いだけで唾が出る。
銀髪をかき上げ、リコは枝の上で身を伏せた。
狼獣人の耳が、かすかな音を拾う。
車輪の軋み。草を踏む足。息の数。
三人。
荷馬車一台。
護衛。
(……選ばれしものだ)
そう決めつけるのは簡単だった。
人間が、この荒れた街道で、こんな落ち着いた足取りをしている。
それだけで、もう「上」だ。
協会の胸章。
ランキングの証。
あれさえ奪えれば――
(いや、奪うんじゃねえ)
(“狩る”んだ)
そういう言い方をしないと、胸が保てない。
---
昔。
村が燃えた日のことを思い出す。
魔物が来て、誰も動けなくなって、泣き声しか残らなかった時。
森を通りがかった、泥だらけの剣士が、一撃で全部終わらせた。
眩しい剣だった。
形のある強さだった。
あの時、思った。
(アタイも、あれになりたい)
でも、協会の門は冷たかった。
魔力測定器は沈黙した。
職員は困った顔で、言った。
「人間ではないので」
それだけ。
それだけで、夢は「不具合」になった。
だったら。
だったらもう、こっちで生きるしかない。
スラムで、舌を尖らせて、牙を見せて。
“怖がられる側”で、自分を守るしか。
---
枝が揺れる。
リコは息を止めた。
今だ。
銀色の影が、落ちる。
土煙。
二本の短剣。
「待ちなッ!!」
声が、自分の耳に刺さるほど大きい。
威勢がいいほど、震えが隠れる。
「アタイは義賊のリコ!
お前ら、選ばれしものだろ!?
その汚いバッジと、金目の物を置いて失せな!」
言い切った。
完璧だ。
これで相手が怯めば――
三人は、リコを見て。
それから、顔を見合わせた。
「……だってさ」
「誰?」
「バッジなんかねえよな」
「ないね」
「キャベツならあるけど」
……は?
リコの頬が引きつった。
(なんだこいつら)
(怖がれよ)
(逃げろよ)
(協会の人間は、そういう反応をするんじゃねえのか)
---
「はあ!? とぼけんな!」
言葉が荒くなる。
荒くしないと、崩れそうになる。
「魔物の気配がしたから来てみれば、
魔獣を瞬殺してたじゃねえか!
あんな手際、ランカーに決まってる!」
一番背の高い男――無表情で、目だけがやけに落ち着いている。
そいつが頭をかいた。
「いや、俺ら無許可だし」
「無許可?」
そんなの、嘘だ。
世界のルールに反する。
強い人間は、選ばれる。
選ばれないのは、アタイらケモノだけだ。
だから、強いのに「選ばれてない」なんて――
(……ありえない)
ありえないから、腹が立つ。
腹が立つから、足が動く。
「わかった!」
「隠すなら、力づくで奪ってやる!」
地面を蹴る。
速い。
風が遅れる。
短剣の刃先が、男の喉元に――
「……速いな」
半歩。
たった半歩下がられた。
刃が空を切る。
「逃がすか!」
追撃。
踏み込み――
つるっ。
足元が、ありえないほど滑った。
油の匂いが鼻に刺さる。
いつの間に撒いた。
誰が。
(くそっ)
体勢が崩れた瞬間、横から声が飛ぶ。
「はい!」
女――明るい声。
差し出される何か。
反射で受け取ってしまった。
キャベツだった。
「……重っ!」
重心が持っていかれて、尻餅をついた。
短剣が、情けない音を立てて落ちる。
戦闘終了。
---
「……なんなんだよ、お前ら」
砂を払う手が震える。
怒りなのか、悔しさなのか、自分でも分からない。
「強いのに、バッジがない」
「選ばれしものじゃない」
「……馬鹿にしてんのか?」
自分の声が、林道に吸い込まれる。
どこにも届かない感じがして、余計に腹が立つ。
「アタイなんか、どんなに頑張っても試験すら受けさせてもらえない!」
「ケモノだからって門前払いだ!」
「なのにお前らは、人間なのに……なんでそんな、ヘラヘラしてられるんだよ!」
叫んだ。
ずっと胸につかえていたものが、勝手に出た。
盗賊をやりたかったわけじゃない。
恐れられたかったわけでもない。
ただ――
力を証明する場所が、そこしかなかった。
---
沈黙が落ちる。
軽口を叩いていた男(口の悪い方)が、気まずそうに頭をかいた。
「まあ、俺らも似たようなもんだよ」
「は?」
「俺はクビになったし」
「こいつは年齢制限で弾かれた」
年齢制限。
そんな、くだらない紙の線で。
この強さが、無かったことにされるのか。
リコは、唇を噛んだ。
自分だけが理不尽なんじゃない。
そう分かった瞬間、悔しさが別の形に変わる。
羨ましさが混じる。
一番落ち着いた男が、しゃがみ込んだ。
目線が、同じ高さになる。
「お前、いい動きだったぞ」
「……あ?」
「踏み込みが深い」
「教わってない割に、重心が安定してる」
「……協会じゃ評価されないだろうけどな」
胸が、ぎくっとした。
「ケモノだからダメ」じゃない。
「盗賊だから悪」でもない。
ただ、
戦うやつに向ける言葉だった。
---
男は立ち上がって、荷馬車を指した。
「キャベツ、一玉くらいならいいだろ」
「は?」
「……持ってけ」
投げてよこされたキャベツを、また反射で受け取ってしまう。
ずしりと重い。
温かいわけじゃない。
でも、変に手放せない。
三人は、何事もなかったみたいに歩き出した。
林道の先へ、淡々と。
リコは座ったまま、背中を見送った。
(意味わかんない)
選ばれてないのに、強い。
強いのに、偉ぶらない。
偉ぶらないのに、誰かを助けてるみたいな歩き方をする。
(……なんなんだよ)
キャベツを抱えたまま、呟く。
「……ポトフって、なんだよ」
お腹が鳴った。
悔しいのに。
悔しいから。
リコは立ち上がって、三人の後ろを見た。
足音を消す。
気配を薄くする。
獣の生体魔力を、静かに練る。
(偵察だ)
(復讐じゃない)
(……偵察)
自分に言い聞かせて、追いかけた。
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