別ルート(IF) 「龍として覚醒する日」
後宮の夜は、静寂を纏っていた。
だが、その静けさは、蓮の胸の中の激流を隠すことはできない。
(……これが、私の運命なのか)
地鳴りのような胸の奥の鼓動。
龍の血が暴れ出す感覚に、蓮は背筋を震わせる。
視界の端で、蜃気楼のように金色の瞳が輝く。
それは、自分自身の中に眠る龍の影。
これまで抑えてきた力が、今まさに目覚めようとしていた。
「蓮……」
背後から、景耀の声。
だが、彼の声は遠く、届かない。
もはや、理性の声さえ、龍の鼓動にかき消されていく。
(……止められない)
蓮は、拳を握り締める。
抑えようとすればするほど、龍の力は心を侵食する。
胸の奥に、冷たい熱が満ちる。
「……私は、誰のものでもない」
吐き捨てるように言うと、光が迸った。
後宮の石造りの床が、爆ぜるように揺れ、壁の彫刻が輝き出す。
数時間前。
蓮は決断していた。
人として生きることを諦め、龍としての覚醒を受け入れる。
寿命も、感情の穏やかさも、帝国の秩序も、すべてを超越する力を手に入れる――
それが、彼女の選んだ道だった。
景耀は、必死に止めようとした。
「蓮!待て!力を使えば、あなた自身が消えてしまう!」
しかし、蓮は振り返らない。
その眼差しは、恐怖ではなく決意に満ちていた。
「……消える? 私はもう、人としての私でいる必要はない」
龍の力が胸から溢れ出す。
金色の鱗のような光が、全身を包み込む。
風が巻き起こり、夜空を裂くような轟音が宮殿を揺らす。
景耀は膝をつき、呆然とその光景を見つめていた。
蓮はもはや、人の姿をしていない。
その背に広がる翼の影は、夜空を裂き、星々をも圧倒する。
「蓮……!」
叫びながらも、手を伸ばせない。
理性も、皇帝としての権威も、力の前では無力だった。
蓮は空高く舞い上がる。
龍の咆哮が後宮を震わせ、石造りの庭園が崩れ、風が都を吹き抜ける。
人々の恐怖の声、泣き叫ぶ声が遠くに響く。
しかし、蓮の心には不安はなかった。
力を得た瞬間、世界が鮮明に見え、空の高さも、地の深さも、すべて手中にある感覚だった。
龍として覚醒した蓮の思考は、人の感情を超越していた。
(……私は自由だ)
人としての迷いも、孤独も、弱さも、すべてを断ち切った。
帝国の未来も、景耀の運命も、今はもう私の掌中にある。
その瞬間、心にひとつの思いが湧く。
(……でも、景耀だけは)
龍の力で世界を見下ろすと、遠くに膝をつく人影が見えた。
その小さな影が、彼だ。
かつて手を握った者、信頼した者、愛した者。
蓮は、一瞬だけ迷った。
人としての感情が、かすかに胸に戻る。
「……無事でいてほしい」
それだけを、心に留めて空へと舞い上がる。
龍の鳴き声が夜空に響き渡り、帝国の塔や宮殿を照らす光の柱となった。
都では、民が恐怖に震えていた。
建物は倒壊し、空は金色に染まり、龍の影が大地を覆う。
だが、その混沌の中で、何人かの民は気づく。
この力は破壊のためだけではないと。
空に咲く光の柱は、夜明けの光と同じ色をしていた。
(……守るための力だ)
それを理解できる者は、ほんのわずかだったが、確かに存在した。
その後。
蓮は完全に龍として覚醒した。
人の姿を取り戻すことはなく、帝国の空を自由に翔ける存在となる。
民は恐怖と畏敬をもってその姿を見上げる。
しかし、破壊だけではなく、災害の防止や龍脈の安定、自然災害の回避など、人々を守る役目を果たすこともできる。
景耀は、後宮の高殿からその光景を見つめる。
皇帝としての任務と、人としての感情の狭間で、彼は苦悩する。
蓮の選択は帝国を救ったが、同時に永遠の距離を生んだ。
「蓮……」
低く呟く。
その声は届かない。
龍の覚醒は、人と人の関係を超越してしまったのだから。
それでも、景耀の心には希望が残る。
(いつか……戻るのだろうか)
それは願いではなく、決意でもある。
蓮が人として生きる道を選ばなかったとしても、俺は帝として、彼女と共に歩む未来を模索し続ける。
龍としての蓮は、もはや手の届かぬ存在。
だが、その力の奥底に眠る人としての意志は、まだ消えてはいない。
それを信じることが、皇帝としての俺の役目だ。
後日、都の上空で、龍となった蓮が翼を広げる。
その背に輝く金色の光は、夜空を裂き、星々を照らす。
民は恐れながらも、確かに救われたことを知る。
そして、地上で見上げる景耀は、静かに決意を胸に抱く。
「俺は……待つ。
人として戻る日が来るまで」
龍として覚醒した蓮――帝国の空を翔ける存在は、力と孤独、自由と責任を抱えながらも、永遠に帝国の守護者として存在し続ける。
その瞳の奥には、人として生きた日々の記憶と、誰かを思う感情が微かに輝いていた。
IFルート完結
龍の血を引く妃 ― 守るべき帝国と選ばれし力 春馬 @haruma888340
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