後日談(短編) 「龍と人の間の静かな日々」

帝国の都は、すっかり平穏を取り戻していた。

幾度もの政変や反乱を経た後、民衆の生活は少しずつ安定していく。

蓮は、その中で初めて、心から「静かな日常」というものを体験していた。


後宮の庭園には、春の花が咲き乱れ、柔らかな風が通り抜ける。

蓮は縁側に腰掛け、手元の書物に目を落としていた。

文字を追いながらも、心の半分は外の光景に向いている。


「蓮様」


呼ばれ、顔を上げると、そこには魏凌が立っていた。

手には小さな紙束が握られている。


「また、後宮の民草の訴えですか?」


「はい。最近は帝国の各地から、手紙や書簡が増えておりまして……」


蓮は、書物を閉じる。

「そうですか。読みましょう」


魏凌が紙束を差し出すと、蓮は一枚ずつ目を通していく。

農民からの収穫報告や、子供たちへの学校設立の願い。

そして、遠方の領地からは、竜脈の影響に関する報告も届いていた。


「ふむ……」


蓮は、静かに息を吐く。

「帝国は、まだまだ課題が山積みですね」


魏凌はうなずく。

「はい。しかし、蓮様が決断されて以来、民の信頼も大きく回復しております」


「……そうですか」


蓮は書簡を胸の前に抱え、庭を見渡す。

咲き誇る花々の香りと、遠くから聞こえる市場の活気。

これまで幾度も背負ってきた重圧の合間に、かすかな安らぎを感じる。


その時、遠くから声が聞こえる。

「蓮!」


振り返ると、庭の門を駆け抜ける人影。

それは景耀だった。

黒の外套を脱ぎ、軽やかな歩調でこちらに向かってくる。


「陛下、今日は随分と早いお出ましですね」


「いや、我慢できなかったのだ」


景耀は息を切らしながらも、にこりと笑った。

「蓮、外の空気を吸いに行かないか?」


蓮は微笑み、立ち上がる。

「ええ、少し散歩しましょう」


二人は庭を抜け、都の市街地へと向かう。

人々が行き交い、子供たちが笑い声をあげる。

かつて後宮に籠もり、孤独に震えていた蓮にとって、この光景はまるで別世界のようだった。


「こうして歩くと、帝国を守ることの意味を、より実感しますね」


蓮は景耀の横で小さくつぶやいた。

「民の生活、喜び、悲しみ……それを間近で感じられることが、どれほど大切か」


景耀は、彼女の手をそっと取る。

「お前の決断が、帝国を変えたのだ」


「決断……」


蓮は少し俯く。

「一度だけの力の行使、そしてその代償……今でも痛みは残っています」


景耀は、強く手を握る。

「痛みがあるからこそ、我々は生きている。そして、共に歩む価値がある」


蓮はその言葉に、胸の奥が熱くなる。

(……支えられている。誰かに頼れる自分が、ここにいる)


歩みを進めると、市場の一角で小さな子供たちが遊んでいた。

その中の一人が、蓮を見つけて駆け寄る。


「お姫様!」


子供たちに手を振り、蓮は微笑む。

「こんにちは、元気にしてた?」


「はい!」


笑顔に触れると、蓮の胸に温かさが広がる。

かつて孤児として泣き続けた少女が、今は人々の希望の象徴になっているのだ。


景耀が横で微笑む。

「我が帝国の未来は、こうした笑顔のためにある」


蓮は小さく頷き、彼の手を握り返す。

「はい、共に守っていきましょう」


日が高く昇り、光が二人の背中を照らす。

龍の力はすでに完全には顕現していない。

だが、蓮の胸の中にある決意は、あの時と同じく、揺るぎないものだった。


「陛下」


蓮が声をかける。

「私たちの道は、まだまだ続きますね」


「もちろん」


景耀は笑い、蓮をそっと抱き寄せる。

「龍の力を持ちながらも、人として生きる――その道の先に、何が待っているのか」


「それは……私たちが、歩きながら見つけます」


 光と影、歓喜と痛み。

 そのすべてを抱きしめながら、蓮と景耀は静かに歩き出す。


 帝国の未来はまだ、完全には描かれていない。

 だが、二人は確かに手を取り合い、歩み続ける。


 ――龍と人、過去と未来、力と愛。

 そのすべてを越えた、静かで、力強い日々が始まっていた。

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