第7章 力の代償(後編)
蓮が目を覚ました時、世界はひどく静かだった。
音がない。
風の音も、人の気配も、心臓の鼓動すら、遠い。
「……?」
瞬きをすると、白い天井が視界に入った。
見慣れた自室ではない。
「……ここ、は……」
声が、思った以上に弱々しい。
喉がひりつき、言葉が途中で切れた。
「目を覚ましたか」
低い声が、すぐそばで響く。
ゆっくりと首を動かすと、そこに暁明がいた。
夜着のまま、椅子に腰かけ、片肘をついている。
――疲れている。
一目で分かるほど、彼の顔色は悪かった。
「……暁明……」
名を呼んだ瞬間、暁明の表情がわずかに揺れた。
「無理に声を出すな」
「……私……」
起き上がろうとして、身体が言うことをきかない。
腕に力が入らず、再び寝台に沈み込む。
「力を、使いすぎた」
暁明の言葉は、静かだった。
「……どれ、くらい……?」
「三日だ」
蓮の目が、見開かれる。
「三日間……眠っていた」
それだけの時間、意識がなかったという事実が、胸に重くのしかかる。
「……結界は……?」
「解いた」
暁明は、短く答えた。
「だが、完全には戻らない」
その意味を、蓮はすぐに理解できなかった。
「……戻らない、とは……?」
暁明は、しばらく黙っていた。
言葉を探しているのではなく、言う覚悟を整えているように見えた。
「龍の血は、一度目覚めると、元には戻らない」
淡々とした声音。
「お前の身体は、すでに“器”として変質している」
「……変質……」
その言葉が、頭の中で反響する。
「以前のように、力を完全に封じることはできない」
蓮は、ゆっくりと自分の手を見た。
何も光っていない。
だが、確かに感じる。
血の奥に、何かが棲みついた感覚。
「……代償、ですね」
自分でも驚くほど、冷静な声だった。
「私が……支払った」
暁明は、視線を伏せた。
「まだ、終わっていない」
その一言に、蓮の胸がざわつく。
「……どういう、意味ですか」
「力を使うたびに」
暁明は、はっきりと告げた。
「お前の身体は、削られる」
沈黙。
蓮は、言葉を失った。
「命そのものが、だ」
続けられた言葉が、重く突き刺さる。
「回復はする。だが、完全ではない」
つまり――。
「……短く、なる……?」
暁明は、頷かなかった。
だが、否定もしなかった。
それが、答えだった。
蓮は、目を閉じた。
怖くないと言えば、嘘になる。
だが、不思議と、取り乱すことはなかった。
(やっぱり……)
そうなると思っていた、と心のどこかで思っていた。
「……それでも」
蓮は、静かに言った。
「私、後悔はしていません」
暁明の顔が、はっきりと歪んだ。
「……なぜだ」
声に、怒りが滲む。
「なぜ、そんな顔で言える」
蓮は、ゆっくりと目を開けた。
「誰かを守る力があるなら」
言葉を選びながら、続ける。
「それを使わずに、ただ守られるだけの方が……私には、怖い」
暁明は、立ち上がった。
「それは、自己犠牲だ」
「違います」
即座に否定する。
「選択です」
暁明は、何も言えなくなった。
その沈黙を破ったのは、控えめなノックだった。
「陛下」
張廉の声。
「急ぎの報告が」
暁明は、一瞬だけ蓮を見た。
「……すぐ戻る」
その言葉に、蓮は小さく頷いた。
扉が閉じ、部屋には再び静寂が戻る。
その夜、蓮は一人で天井を見つめていた。
(短くなる命……)
現実味のない言葉のはずなのに、不思議と胸は静かだった。
代わりに、別の感情が浮かぶ。
(それでも……)
暁明の隣に立ちたい。
最後まで。
数刻後、暁明は戻ってきた。
その顔を見た瞬間、蓮は悟った。
(……決断した)
「蓮」
暁明は、寝台のそばに立つ。
「私は、皇帝として決めた」
その声は、冷静だった。
「お前の力を、公式に管理下に置く」
蓮の胸が、きゅっと締まる。
「……つまり……」
「訓練、監視、記録」
一つずつ、言葉が並べられる。
「そして、必要とあらば、使用を命じる」
それは、妃ではない。
戦力としての扱い。
「……拒否権は?」
暁明は、少しだけ間を置いた。
「ない」
短い答え。
蓮は、視線を落とした。
分かっていた。
分かっていて、選んだ。
「……それでも」
蓮は、顔を上げた。
「私を、見失わないでください」
暁明の呼吸が、詰まる。
「私は、力ではありません」
言葉を噛みしめる。
「……あなたが、想った女です」
暁明は、しばらく動かなかった。
やがて、彼は膝をつき、蓮の手を取った。
「……忘れない」
低く、震える声。
「決して、忘れない」
それは、愛の言葉ではない。
だが、誓いよりも苦しい約束だった。
蓮は、そっと微笑んだ。
代償は、確かに大きい。
だが、彼女はもう後戻りしない。
龍の血は、彼女の命を削る。
それでも、その力は、誰かを守る。
――愛を、守るために。
こうして、
蓮は“妃”であることを越え、
“龍血の存在”として、歴史に刻まれ始めた。
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