第29話

「わ、わかった。じゃあ書類提出したらそっちに行くね……」

『大学の正門近くにカフェあるんで、そこにいてください』

「うん、じゃあまたあとでね」


 通話を切った。


 私は空を見上げた。

 そして深く深呼吸をした。


 とりあえず、やるべきことをやろう。


 * * *


 私は会社に着いてすぐに上司に診断書を渡した。

 上司は診断書の内容を一通り読んだ。


「わかった。君の仕事は派遣の矢野さんに半分回す」


 あの派遣の子に……!?

 不安すぎる!

 でも、もういいか。

 自分を大切にしてくれない奴に尽くすのをもうやめよう。


「あ、派遣のあの子、もう辞めるって言ってましたよ」


 パーテーションの向こうから森川さんの声がした。


「え……」


 上司の顔が青ざめている。

 ひょこっと森川さんの顔が見えた。


「ちゃんと部下のこと見てないと、あとで大変なことになりますよ〜」


 そう告げると鼻歌を歌いながら森川さんは行ってしまった。

 上司は何も言わずに俯いている。


「あの、私次は人事に行かないといけないので、これで失礼します」


 私は速やかに移動をした。

 人事部に行く途中、廊下で森川さんとまた会った。


「ちゃんと持ってきて偉い」


 ニコニコしている。


「はい。おかげさまで、ありがとうございます」


 森川さんの私への好意には驚いたけど、仕事ではそのことを考えないようにしよう。


「……あのさ、なんか悩んでることある?」

「え?」

「表情で。見てるとわかる」

「そ、そうですか……」

「いつでも聞くよ?」

「いえ!大丈夫です!」


 私はその場を急いで去った。


 なんで今まで大して深く関わってこなかったくせに今頃……。

 私はもう既婚者だ!

 頭の中のモヤモヤを必死にかき消していた。


 人事に必要書類を提出した。

 興味津々な人事部の先輩。


「え!旦那さん、二十二歳!?」

「声が大きいです!」

「ごめんねー!びっくりして。こんな若い子と結婚なんて……どんな馴れ初め?」

「すみません。これ以上は……ちょっと。じゃあ宜しくお願いしまーす!!」


 私は逃げた。

 この出会いは偶然か運命か。

 よく分からないけど、面白がって覗いて欲しくない。


 * * *


 その後急いで駅に向かった。


 ──慶王大へ


 テレビでしか見たことない場所。

 勇凛くんはどんなキャンパスライフを送っていたんだろう。


 勇凛くんの今取り巻く環境。

 遥かに想像を超えていた。


 でも私は目を逸らせないんだ。


 * * *


 慶王大の前に私は立っている。


 華やかな学生たち。

 ブランド物のバッグ、服。

 今の私でも買えない。


 私は待ち合わせのカフェに向かった。

 大学生達で溢れている。


 そこに座る、地味なOL。

 身につまされる。


 待つこと数十分。


「七海さん、お待たせしました!」


 勇凛くんの澄んだ声。

 勇凛くんの方を向くと、まるで天使のように見えた。

 穢れなき魂というか。


 その時、カフェの女子学生の視線は勇凛くん一直線だった。

 やっぱりモテるんだろうな……。


「七海さん。ちょっと人多いですね……。場所変えましょうか?」

「うん……」


 今度は私に向けられる針のような視線。


 私たちはカフェから出た。


「凄いね……慶王大。別世界だよ」


 勇凛くんは複雑そうな顔をした。


「他がどうかよくわかりませんが、俺はサークルとかも入ってないですし。講義とバイトだけでしたよ」


 普通の大学生が楽しむ大学生活ではなかったってことかな。


「勇凛くんって、あんな大企業の息子さんなのに、なんでバイトしてるの?」


 そんなことしなくても、お金はたくさんあるはず。


「……俺、この世界に染まりたくないんです」


 勇凛くんの瞳は真剣だった。

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