第3話 霧月堂

 

 小路を抜けた先にあったのは、いわゆる町屋まちやと呼ばれる建物だった。

 堂々と「霧月堂むげつどう」と書かれた看板が立っており、表からでは何の店をやっているのか分からなかった。


「どうぞ」


 番傘ばんがさを閉じた狭霧はそう言って、戸を開く。


「えっ、鍵をかけていないんですか」

「ええ。短時間、外に出る時は──この子に留守を頼んでいるので」


 戸を開くなり、中から「んみゃぁ」と可愛らしい声が聞こえてくる。

 入り口にちょこんと座っていたのは、黒猫だった。


「ただいま帰りました、夜子やこ

「みゃぁぉん」


 まるで狭霧の言葉が分かっているように、夜子と呼ばれた猫は鳴いた。

 だが、猫に留守番を頼むなんて、不用心過ぎないだろうか。


「夜子は賢く、とても俊敏で強い猫なんです。以前、表の通りでひったくりが起きた時なんて、犯人に飛びかかって、その顔に爪で傷をつけていたんですよ」

「みぃっ!」


 どうだ、凄いだろうと言わんばかりに夜子は短く鳴いた。

 狭霧は入り口のすぐ傍にある傘立てに番傘を置いた後、雪羽の方へ振り返る。


「それでは温かい物をご用意──する前に、良ければ風呂に入りませんか。すぐに沸かしますので」

「えっ。い、いえ、そこまでご迷惑をおかけするわけには……」

「迷惑ではありませんよ。風邪を引きそうな人が目の前にいるのに、放置するほど、僕は悪い『ヒト』ではありませんので」


 しばらくお待ち下さい、と告げてから狭霧は店の奥へと入っていく。

 恐らく、店の奥は居住スペースになっているのだろう。


 その場に残るのは雪羽と留守番をしていた狭霧の飼い猫の夜子だけだ。


「んみゃぁ」


 夜子は人懐こい猫なのか、その体を雪羽の足へと押し付けるようにしてきた。


「あ、駄目だよ。私の体、冷たいから……」


 慌てて一歩、後ろに下がるも夜子はお構いなしに雪羽に体を擦り付けてくる。


「もぅ……」


 雪羽は仕方なく、夜子に好き勝手させることにした。

 

 ……それにしても、この店は……。


 改めて、「霧月堂」の中をゆっくりと見回していく。

 所狭しと並んでいるのは、陶磁器とうじき漆器しっき、置物や工芸品、掛け軸など様々なものだ。


「……骨董屋?」


 ぽつり、と独り言のように呟けば、それに返事が返ってくる。


「おや、お分かりで」


 いつの間にか、店の奥から狭霧が戻ってきていた。


「良いモノがあるとつい、買ってしまいまして。趣味と実益を兼ねた仕事をしております」

「趣味と実益……」

「少し散らかっているように見えますが、どれも素晴らしい価値と物語があるものばかりですよ。ぜひ、一つずつお聞かせしたいところですが、まずは体を温めて来て下さい」

「みゃみゃ!」


 狭霧に同意するように夜子も鳴く。


「……分かりました。では、お借りします」


 わざわざ用意してくれたのならば、その厚意を無駄にしたくはないし、このままだと本当に風邪を引いてしまいそうだ。


 狭霧に案内され、店の奥の居住スペースへとお邪魔し、風呂場へと辿り着く。


 家の中は長年、大事に手入れされながら使われてきたことが分かる、赴きがある室内だった。ただ、水回りはリフォームされているのか、新しめだ。


「こちらが風呂場です。良ければ、衣服を洗濯しますが」

「うっ……。何から何まで、すみません」

「いえいえ。こうやってお客様の世話をするのは久々なので、割と楽しんでいますよ。それと着替えはこちらの浴衣をどうぞ。肌着は……」


 雪羽は慌てて、首を横に振る。


「あっ! 鞄の中に、ありますので! 浴衣だけ、お借りします!」

「分かりました。では、ごゆっくりどうぞ」


 狭霧から浴衣とタオルを受け取り、雪羽は脱衣所に一人、残される。


「……ありがたいけど、どうしてこんなことに……。いや、ありがたいけれど……」


 向けられる純粋な優しさに戸惑わないわけがない。


 だが、疲れによって考えがまとまらない雪羽はとりあえず、風呂に入らせてもらおうと冷たくなった衣服を脱ぎ始めた。

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月2日 14:24
2026年1月2日 21:21
2026年1月3日 14:24

霧月堂あやしあやかしふるもの語り 伊月ともや @tomoya_iduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画