第2話 出会い

  

『つまんない、つまんない』

『よわい、にんげん。かわいそうな、にんげん』

『でも、れいりょく、つよい』

『おいしそう。ちょびっと、ほんのちょびっと、たべたいな』


 そんな彼らの会話に、雪羽は内心、慌て始める。


 ……今、食べたいって言ったような……!?


 どういう意味か分からず、この場から逃げた方がいいだろうか考えている時だった。


『──こんなところに集まって、どうしたのです。散りなさい』


 雨よりも冷たい刃のような声音がその場に響く。まるで、何かに切られたような鋭い声だった。


『ぴゃぁっ!』

『こわい、こわい!』


 見てはいないので分からないが、小さな人ならざるものたちは「声」が聞こえた瞬間に大慌てで逃げたようだ。

 おかげでその場に静けさが戻る。


『──……おや。人が……』


 小さなものたちを一蹴した相手が今、目の前にいることに気付く。


 ……大丈夫、私は相手を見ていないし、今の言葉も聞こえていない。大丈夫、大丈夫……。


 大学生活を送る新天地では、平穏な日々のためにも人ならざるものには出来るだけ関わらないようにしようと心に決めたのだ。

 それなのに。


「お嬢さん」

「……」

「お嬢さん、僕の声が、聞こえていますか」


 降ってきたのは低くも穏やかで、優しい声だった。

 それに先程、聞いた言葉とは違う、人間の言葉だ。


「春になったとはいえ、夕方は冷えます。それに今日はこんな天気です。ここにいては、お体に悪いですよ」


 一歩、また一歩とその声が近付いてくる。


「僕の店が、すぐそこにあるのです。良ければ、温まっていかれませんか。ちょうど美味しい茶葉とお菓子もあるので、ごちそうしますよ」

「……」


 雪羽は思わず、顔を上げてしまう。


 人間だろうが、そうではなかろうが、今の雪羽にとってはこちらを心配する彼の言葉はどんなものよりも温かく感じたからだ。


 小路の入り口あたりに立っていたのは、藤鼠ふじねず色の番傘ばんがさを持つ、着物を着た男性だった。

 深い濃藍こいあい色の長い髪を緩く一つに結っており、その顔立ちは今まで見たことない程に端整だ。


 まるで完成された美が目の前にあるかのように、その男性は凛と佇んでいる。

 何より彼が纏う空気は容易く雪羽を圧倒していた。


 けれど、雪羽は見逃さなかった。


 ……え、今……目が……。


 青年と目が合った雪羽は、凝らすように彼の薄花うすはな色の瞳を凝視する。

 先程の一瞬、その両目が金色に光って見えたが、気のせいではないだろう。


「……あなたは、人間ですか」


 雪羽が静かな声で尋ねれば、男性は「おや」と小さく呟き、それから柔らかな笑みを浮かべる。


「どうやら、お嬢さんは良い目と耳をお持ちのようですね」


 その言葉は、先程の問いを肯定も否定もしないものだった。


「さて、いかがしますか」

「え?」

「こんな場所で雨を凌ぐくらいなら、うちに来ませんか。……ああ、ご安心を。別に取って食おうなどとは一切、考えておりませんので」


 男性は柔らかな口調で言葉を続ける。


「突然、声をかけた相手を不審に思うのは正しい反応です。……ただ、僕としては困っている様子のお嬢さんの力になりたいと思っていますが──信用するかどうかは、あなた次第です」


 男性は雪羽に向けて、右手を差し出してくる。しっかりとした大きな手が目の前にあった。


「……」


 雪羽の耳には、彼が嘘を言っているようには聞こえなかった。


 縋っても、いいだろうか。

 この頼もしく、優しそうな手に。


 ……もし、これで騙されたなら──それでもいいか。


 そんなことさえ、頭に浮かんでくるほど、今の雪羽は心身ともに疲れ切っていた。


 けれど、誰も通らない小路で足を留め、明らかに厄介事を背負っている相手に声をかけるなんて、彼は十分に奇特な人間だと思う。

 ──この男性が、人間かどうかは分からないが。


 ゆっくりと、雪羽は右手を伸ばす。

 すっかり冷たくなった指先が、男性の掌に触れれば、まるで熱を分けるように握られた。


 もう、立ち上がれないと思っていた足に力が入り、何とか両足で立つことが出来た。

 雪羽は重ねていた手をそっと離し、顔を見上げる。


 男性は想像以上に背が高いことに気付いたが、威圧感のようなものは感じられなかった。


「では、ご案内しましょう。僕の店、『霧月堂むげつどう』へと」

「『霧月堂』……」

「ええ。僕はこの小路の先にある店の店主なんです」


 すると、足を進めようとしていた男性は数歩、歩いてから立ち止まる。


「ああ、とても大事なことを忘れるところでした。人間ならば、欠かしてはいけないことです」


 どうしたのだろうかと雪羽が彼を見上げると、男性はにこりと笑った。


「申し遅れました。僕は、狭霧。振原ふりはら狭霧さぎりと申します」

「振原、狭霧さん……」


 どことなく、涼やかな名前だと思った。

 それでいて、神秘的で妖艶な彼に似合う名前だと。


「良ければ、お嬢さんの名前をお聞きしても?」

「私は……。笹代雪羽です」

「笹代雪羽さんですね。では、雪羽さん、行きましょうか。少しだけ歩きますが、もうしばらく辛抱を。……もしくは、僕があなたを抱えてもいいですが」

「……いえ。歩けます」

「そうですか。では傘を半分、お貸ししますから、中に入って下さい。これ以上、お体を冷やすわけにはいきませんからね」

「お邪魔します……」


 雪羽はぺこりと頭を下げて、彼が持っている番傘の中へと入った。


 ……少し、緊張するかも……。


 男性とこんな風に一つの傘に入ったことがなかった雪羽は何となく、気まずい思いをしていた。


 けれど、狭霧は雪羽の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。

 その気遣いに気付いてしまい、何とも言い難い感情が心に渦巻いていく。


 こんなにも、誰かに気遣ってもらうのは久々だった。

 それこそ両親が亡くなってから、誰かに心配してもらうことなどほとんどなかったからだ。


 小路を二人は並んで、ゆっくりと歩く。


 まるで、この世に二人だけしかいないのではと思える程に静寂に満ちているが、それでも怖いとは思わなかった。


 それは恐らく、隣にいる狭霧が怪しげながらも、まるでその場を支配するように落ち着いた空気を纏いながら堂々と歩いていたからかもしれない。


 ……この人は一体、何者なんだろう……。


 そんな疑問を持ちながらも、尋ねることは出来ない。



 三月半ば、霧雨が降る、薄暗い夕暮れの中で。

 雪羽は人かどうか分からないものの手を取った。


 それが雪羽と、不思議な空気を纏う青年──狭霧との出会いだった。


    

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