霧月堂あやしあやかしふるもの語り
伊月ともや
第一章 霧雨が止む日
第1話 不運な少女
どうしてこんなに運が悪いのか、と溜息を吐くのは何度目だろうか。
霧雨の中、
……ああ、なんて惨めなんだろう。
三月の半ばだというのにあまりにも寒く感じられて、着ている上着の襟をぎゅっと握り締める。
雪羽が座り込んでいる場所は、商店街がある大通りの店と店の間に通っている
この小路は人間が二人並んでぎりぎり歩けるくらいの幅で、人の行き来はほとんどなかった。
もしかすると、一本向こうの通りへ行く際に地元の住民が使っている小路なのかもしれない。
商店街を守るように続いているアーケードの下ならば、濡れることもないが、それだと座っているだけでも不審に思われるだろう。
ゆっくりと今後のことを考えるためには、人目を避けられるこの場所しかなかったのだ。
それに雨が降っているからこそ、大通りの人の行き来は少ない。
こんな姿を誰にも見られないことに、雪羽は密かに安堵した。
……これから、どうしよう……。
再び、溜息が出てしまう。
もしかすると自分は、行きたかった寮付きの大学に合格した時に、全ての運を使い切ってしまったのかもしれない。
……本当なら、今頃は学生寮で念願の一人暮らしを満喫していただろうにな……。
それが叶わなくなったのは、春休み中に大学の学生寮が火の不始末による火事で全焼したからだ。
一から立て直すことになり、完成には早くても半年はかかるとのことだ。
……やっと、あの親戚の家から出られると思ったのに……。
両親を数年前に失った雪羽は、母方の親戚の家に居候させてもらう日々を送っていたが、ここではまるで使用人のように扱われていた。
しかも、身寄りのない娘の世話をしているのだから、その分の養育費は貰ってもいいはずだ、と両親の遺産からかなりの額を親戚たちに使われてしまったのだ。
おかげで苦学生一直線である。
それでも、将来のためにはどうしても大学だけは卒業しておきたかった雪羽は勉学に励み、やっとの思いで第一志望の大学に合格したのだ。
これで、あの陰湿な親戚の家から出られる──そう思った矢先での、学生寮の火事だった。
……学生寮の火事で怪我人が出なかったのは幸いだけれど……おかげで、先に送っていた荷物は全部燃えちゃったし、残っているのはこの鞄の中に入っているものだけになっちゃった……。
背負っているリュックの中身はそれ程、重くはない。
これが、全財産だ。
……今更、あの親戚の家には帰れないからって、ネットカフェに泊まってたけど、もうお金はないし……。
一応、雪羽個人の口座を持っているが、そっちはほとんど入っていない。先日、大学の入学金を支払ったばかりだからだ。
それに両親が遺してくれたお金を使いたくても、親戚が管理しているので自由に使えないのが現状だ。
……ああ、早く十八歳になりたい。
惜しいことに、あと数日すれば十八歳だ。そうなれば、住むための部屋だって自分で契約できるというのに。
まぁ、契約できる部屋を見付けたところで、借りるための資金があるかと言われれば、今は余裕がないが。
……だからこそ、ようやく見つけたアルバイト先が閉店するのは痛いなぁ……。
今日から出勤だ、と泊まっているネットカフェからアルバイト先に向かった雪羽だったが、そこで突然、店が半月以内に閉店することが決まったので採用の話はなかったことにして欲しいと言われてしまったのである。
「ははは……。不運、ここに極まりといったところかな……」
全く、笑えない。
もはや、そんな気力さえもなかった。
アルバイト予定の店が閉店するならば、と他の店も探したが、人員が足りているところが多く、どこも断られてしまった。
今の時期だと大学へ入学する新入生が増えるので、自分と同じようにアルバイト先を探している人も多かったようだ。
スマートフォンを使って、インターネットで調べられる状況だったら、まだましだったかもしれない。
しかし、スマートフォンを持っていない上に、そんなものを買う余裕などなかった雪羽は自分の足で地道にアルバイトを募集していないか、店を訪ね回るしかなかった。
昼間はアルバイトを探し、夜は駅前のネットカフェで過ごす日々。
もうすぐ大学が始まるというのに、いつになったら落ち着ける場所を見付けられるのだろうか。
「……いっそのこと、雨が凌げるならどこでもいいか……」
背中にあるリュックを潰すようにしながら、外壁にもたれかかる。
今は、何時だろう。
霧雨が降っているせいで薄暗く感じるが、それでもまだ夕方にはなっていないはずだ。
……お腹、空いたなぁ……。
そういえば、今日は朝から何も食べていなかった。残っているお金でパンかおにぎりくらいは買えるだろうか。
でも、その後は──?
収入源も、住居も、何もない。
誰にも頼れないし、助けてなんて叫べない。
どうすればいいのかさえ、分からない。
……私はただ、穏やかに生きたいだけなのになぁ。
お金持ちになりたいとか、誰よりも賢くなりたいとか、そんなことは考えていない。──自分のような人間は、誰かの特別になんてなれないことは分かっている。
けれど、もし。
もし──神様がいるというならば。どんな神様だって、構わない。
この願いを叶えて欲しい。
「……この雨から、私を守ってくれますように」
少しずつ熱を奪っていく雨の中、雪羽がぽつりと零した言葉は溶けるように消えていく。
言葉にしたって叶わないと分かっているからこそ、思わず自嘲の笑みが浮かんでしまう。
もう、これ以上は体力を使わないようにしよう。
とりあえず、今日はこの場所で夜を明かして、明日になってからもう一度、働ける場所を探して──。
顔を膝に埋めるようにしながら、そんなことを考えている時だった。
『──にんげん、にんげんだ』
響いた言葉に、雪羽は反応しかける。
『にんげん、ひとり。こんなところ』
『へんなの。へんなの。群れてないにんげん、へんなの』
まるで子どもが言葉を覚えたばかりのような声音がその場に響く。
思わず、顔を上げそうになっていた雪羽はぐっと我慢する。
……この声は、人じゃない。
耳に入って来たものは確かにそう聞こえたが、それは人間が話す言語とは違うものだと瞬時に理解出来た。
……こんな町中にも、人ならざるものっているんだ……。
顔を上げていなくて良かった、と雪羽は思った。でなければ、きっと目が合ってしまっただろう。
『ひとりぼっち。ひとりぼっち』
『くすくす。くすくす』
『かわいそう。かわいそう』
相手がどんな姿をしているのかは分からないが、彼らが雪羽に向けて喋っていることだけは分かる。
昔から、雪羽は人ならざるもの──
だが、特に困ったのが、年月が経った「古いもの」に触れると、その声が聞こえてしまう力を持っていたことだ。
これらの力のせいで人ならざるものに絡まれることが多く、周囲からは「両親が亡くなって寂しい可哀そうな子」というレッテルを貼られ続けた。
居候先の親類の家にいた頃も十分に気を付けていたのだが、飾ってあった雛人形の片付けを命じられて作業をしていた時、つい彼らと言葉を交わしてしまったことがある。
その光景を従姉妹に見られ、大人達の気を引きたいからあえて気持ち悪いことをしているのだと罵倒されたのは記憶に新しい。
だからこそ、正体が分からないものに出会った時や声をかけられた際には慎重になるようになっていた。
このままじっと黙っていれば、目の前にいる「彼ら」もそのうち飽きて、どこかに去っていくだろう。
そう思いながら、雪羽は顔を伏せ続けた。
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