(本編補完)第四章:高機能抱き枕(騒音機能付き)(返品不可)(クレーム不可)

あの「お姫様抱っこ登校」が日常化して数週間。

俺の上腕二頭筋が悲鳴を上げつつも、鋼のように鍛え上げられていたある日のことだ。


昼休み、いつもなら俺の弁当を略奪しに来るはずのロミアが、珍しく神妙な顔で俺の席に来た。


「○○くん、ロミア……今日は早退するね」


「は?風邪か?」


「ううん。大事なミッションがあるの。世界の理を修正しなきゃいけないの」


「お、おう?お大事……に?」


意味不明なことを言い残し、彼女は嵐のように去っていった。


(頭でも打ったのか?)


あのロミアが、俺との時間を犠牲にしてまで早退する?

明日は大雪か、それとも隕石でも降るのか。

もしやセミの群れが地球を覆いつくすのか……。


俺は一抹の不安というより、胸騒ぎを覚えながら午後の授業を過ごした。



~~~



放課後、俺は早足で帰宅した。


玄関のドアを開ける。

「ただいま」と言おうとして、言葉が喉で詰まる。

たたきの端に、見覚えのあるローファーが綺麗に揃えられていたからだ。

蝶のワンポイントが入った、ミントグリーンの刺繍。


「……鍵、閉めてたはずだよな」


また窓か。

またあの物理法則無視の壁登りか。


(あいつの先祖、本当に忍者かセミなんじゃなかろうか……)


俺は頭痛をこらえながら、階段を上がり、自室のドアノブに手をかけた。



ガチャリ。



部屋の中は静まり返っていた。

だが、異変はすぐに見て取れた。


俺のシングルベッド。

その掛け布団が、不自然なほどに「もっこり」と膨れ上がっている。

まるで巨大な芋虫が中に潜り込んでいるかのような、有機的な曲線。

そして、微かに聞こえる「すー、すー」という寝息。


俺は無言でベッドに近づき、掛け布団の端をつまみ上げ──勢いよく捲った。


「見つかっちゃったあ!えへへ!」


「やっぱりお前かあああああ!!!」


そこには、俺のパジャマを着込み、俺の愛用している抱き枕を足で蹴り飛ばして、その位置に収まっているロミアがいた。


「通報するぞ!今度こそ警察呼ぶぞ!」


スマホを取り出そうとした俺の腕を、ロミアが素早く掴み、そのままベッドへと引きずり込む。

ドサッという音と共に、俺はロミアの横に倒れ込んだ。

間髪入れず、手足がタコのように絡みついてくる。


「だめ!通報禁止!これは正当な権利の行使なの!」


「何の権利だよ!なんで俺のベッドにいるんだ!」


ロミアは俺の胸に頬を押し付け、上目遣いでジトっと睨みつけてきた。


「……だって、○○くん、最近“あいつ”とばっかり寝てるじゃん」


「あいつ?」


「その、長いふわふわしたヤツ!」


ロミアが指差したのは、床に無惨に転がっている抱き枕(税込3000円)だった。

恐らく、この前の侵入事件の時に目にしてしまったのだろう。

ロミアは興奮しながら、バシバシとシーツを叩く。埃が舞うからやめてほしい。


「あれはずっと○○くんとくっついて寝てて、ズルい!

ロミアだって○○くんとくっつきたいのに!

綿の塊に負けるなんて、ロミアのプライドが許さないの!」


「だからって、抱き枕に嫉妬するやつがあるか!」


「だから、ロミアが代わりになることにしたの!

見て見て、このフィット感!体温だってあるし、寝心地最高でしょ?」


「最高なわけあるか!暑いし、重いし、何より抱き枕は喋らないし抱き返してこないんだよ!」


「そこが高機能なんじゃん!

愛してるって毎秒言って、毎秒抱き着く機能付きだよ?最新モデルだよ?」


「返品だ!クーリングオフさせろ!」


「やーー!!」


俺が暴れても、ロミアは「返品不可ですー!」と叫んでさらに強くしがみついてくる。

その力は、あの窓ガラスに四時間へばりついていた時と同じ、異常な執念に満ちていた。

体温が高い俺と、興奮して体温が上がっているロミア。


布団の中は蒸し風呂状態だ。

けれど、ロミアの髪から香る甘い匂いと、嬉しそうに喉を鳴らす音に、俺は毒気を抜かれてしまった。



「……はぁ。少しだけだぞ」


「やった!○○くん、愛してる!」


俺は天井を見上げながら、しばらくこの「騒音機能付き抱き枕」の重みを受け入れることにした。

これが彼女なりの「修正」だというなら、付き合ってやるのも、幼馴染の務めかもしれない。


(ぎゅーーーー!!!!!!!)


「ぐ、ぐえ……ろ、ろみあ、ぐ……ぐるじい……」


「えへへー!ごめんっ!」


前言撤回。

このままだと俺の命が「修正」されてしまう。



~~~



しかし、時間は待ってくれない。

窓の外が茜色に染まり、やがて夜の帳が下り始める。


一階から、母親が帰宅する車の音が聞こえた。



「おいロミア、親が帰ってくる。そろそろ帰れ」


俺は体を起こそうとした。

だが、ロミアの腕は万力のように俺の腰をロックしたままだ。


「……や」


布団の中から、くぐもった声が聞こえる。


「『や』じゃない。バレたら俺が殺される。帰れ」


「や!」


「わがまま言うな。また明日学校で会えるだろ。帰れ」


「やだっ!」


ロミアは顔を上げて、涙目で俺を睨んだ。

さっきまでの幸福そうな顔はどこへやら、完全な駄々っ子モードだ。


「ここがロミアの巣なの!ここ以外じゃ息ができないの!」


「お前は寄生虫か!いいから離せ、か・え・れ!」


「や・だ!!!」


「だーかーら、かーえーれーッ!」


「ぜーったーいーに、やーだーーーッ!!!」


階下で玄関のドアが開く音がする。


母親の「ただいまー、○○ー?」という声が響く。

俺の部屋では、ミントグリーンの暴走機関車が、俺の服を掴んで離さないまま、大音量で愛と拒絶を叫び続けている。



やはり前言撤回だ。


この抱き枕、機能が多すぎて、俺の手には余る代物だった。








-完-

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アネモネが揺れる日、ミントの翅で 狂う! @cru_cru

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