(本編補完)第二章:朝日に透ける緑の侵略者

翌朝、俺は異様な閉塞感と共に目を覚ました。

まぶたの裏に残る残像は、なぜか森の中にいるような深い緑色。


目覚まし時計はまだ鳴っていない。小鳥のさえずりが聞こえる爽やかな朝……のはずだった。



だが、部屋の空気がおかしい。

俺の部屋は二階の東向き。

毎朝、鋭い朝日がカーテンの隙間から差し込んでくるはずなのだが、今の部屋は妙に薄暗く、そして緑色に染まっていた。


どこからともなく聞こえる「ズズズ……キュッ……」という、ガラスをゴムで擦るような不快な音。


俺はのろのろと上半身を起こし、ベッドの横にある窓を見た。

カーテンが閉まっている向こう側から、強烈な緑色の光が透過してきている。


俺は恐る恐るカーテンに手をかけ、勢いよく開け放つ。

瞬間、俺の喉から声にならない悲鳴が漏れた。



窓ガラス一面が、埋め尽くされていた。

ミントグリーンの髪。制服のリボン。そして、ガラスに押し付けられて変形した頬。



ロミアだ。

俺のクラスメイトであり、自称・可憐な美少女が、俺の部屋の窓ガラスの外側にびっしりと張り付いていた。



ここは二階だぞ。

足場なんて室外機くらいしかないはずなのに、彼女は指先とつま先の摩擦力だけで垂直のガラス面にへばりついている。

その姿は、まるで夏の夜にコンビニの明かりに吸い寄せられた巨大な……いや、言うまい。


俺と目が合うと、ガラス越しのロミアの顔がパァァァッと輝いた。

笑顔だ。窓枠全体が震えるほどの満面の笑みだ。



「んー!んんー!!」


ガラスの向こうで何かを叫んでいるが、防音性の高いペアガラスのせいでくぐもって聞こえない。

ただ、その必死な形相と、ガラスをバンバンと叩く手の動きから、緊急事態であることだけは伝わってきた。

俺は慌てて鍵を開け、窓をスライドさせた。



「おっはよぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」

ドサッ!!



窓を開けた瞬間、支えを失ったロミアが部屋の中へ雪崩れ込んできた。

俺のベッドの上に落下し、スプリングが悲鳴を上げる。


「ロミア!?お前、何やってんだよ!ここ二階だぞ!?」


「おはよう○○くん!朝一番の○○くん成分を摂取しに来たの!

 昨日の夜、LINEの返信が『おやすみ』の一言だけだったから!

 ロミア、寂しさで行き苦しくなって、気づいたら壁登ってた!」


「警察呼ぶぞ!不法侵入以前に、物理法則を無視しすぎだろ!」


ロミアはベッドの上で跳ね起きると、制服の埃を払うこともなく俺に飛びついてきた。


「だって!玄関からピンポンしても家族の人に迷惑でしょ!?だからロミア、忍び込んだの!愛の忍法だよ!」


「忍者は垂直の壁に三時間も張り付かねえよ!」


「三時間じゃないよ!四時間だよ!空が白む前からずっと待ってたの!

○○くんが起きる瞬間を見逃したら、ロミアの一日は始まらないから!」



“四時間”。



こいつは、夜明け前からずっと、俺の部屋の窓に張り付いて中を覗き込んでいたというのか。

想像しただけで背筋が凍る。完全にホラーだ。


しかも、彼女の手のひらは赤くなっていて、いかに強い力でガラスにしがみついていたかを物語っていた。


「危ないから二度とやるな。落ちたらどうするんだ」


「大丈夫!ロミア、○○くんへの愛(執着心)だけで重力に逆らえるから!落ちても何度でもまた戻ってくるから!」


「ターミネーターかよ」


ロミアは俺のパジャマの袖を引っ張り、顔を近づけてくる。


瞳孔が開いている。

朝からこのハイテンション、エンジンの掛かり方が異常だ。


「それより見て!今日のロミア、朝露に濡れた妖精さんみたいじゃない!?」


「湿気で髪が爆発してるだけだろ」


「ひどい!天然パーマの気持ちも考えて!……でも、そんな冷たい○○くんも好き!ゾクゾクする!」


ロミアは体をよじりながら、奇声を上げてベッドの上を転げ回った。


シーツがくしゃくしゃになる。

俺の安眠の聖域が、ミントグリーンの嵐によって荒らされていく。



階下から「○○ー?なんか凄い音したけど大丈夫ー?」という母親の声が聞こえてきた。

俺は顔面蒼白になった。


「やばい、母さんだ。ロミア、隠れろ!」


「えー!ご挨拶する!『将来の嫁です、彼氏の訪問に来ました』って!」


「やめろ!通報される!」


俺はロミアの口を塞ぎ、無理やりクローゼットの中に押し込もうとした。

だが、ロミアは「暗いのやだ!狭いのやだ!○○くんの背中がいい!」と駄々をこねて、俺の背後へ回り込み、ガッチリと背中に抱きついた。

おんぶの状態だ。


「このまま降りるってのか!?」


「うん!これならバレない!」


「バレるわ!俺の背中に何かが憑いてるって除霊騒ぎになるわ!」



~~~



結局、俺は彼女が満足して離れてくれるまで、部屋の中をウロウロと歩き回らされる羽目になった。


背中からは「あー、落ち着く。○○くんの背骨のライン、最高……」という危ない独り言と、例の微細な振動が伝わってくる。

俺の部屋の窓には、べったりと手のひらの跡と、顔拓のような脂の跡が残されていた。

あとで雑巾で拭かなければならない。


朝の光の中で、俺は遠い目をして思った。

彼女の愛は重い。そして物理的にも重い。

この質量と熱量を背負って生きていくことが、俺の青春なのだろうか。


「ねえ、学校行く時も手つないでいい?手錠でもいいよ?」


「断る」


俺の平穏な一日は、今日もまた、この騒がしい侵略者によって蹂躙されていくのだった。

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