(本編補完)第一章:音圧の暴走機関車

「遅刻だ……!」


寝坊した俺は、校舎の廊下を全力疾走していた。


ホームルーム開始まであと三十秒。

階段を駆け上がり、教室のある三階へ滑り込む。


セーフか、アウトか。

そんな思考を巡らせた瞬間、視界の端がミントグリーンに染まった。

廊下の向こうから、何かが来る。

走ってくるのではない。突っ込んでくる。



「○○くぅぅぅぅぅぅぅぅんッ!!」


名前を呼ばれたと思った直後には、俺の視界は天井を向いていた。



ドゴォッ!!

鈍い衝撃音が内臓を揺らす。

交通事故ではない。ロミア事故だ。

俺の体は廊下の壁に叩きつけられ、その胸にはすでにミントグリーンの物体がへばりついていた。



「遅い!遅いよ!ロミア、待ちくたびれて干からびるところだった!」


至近距離での絶叫。鼓膜がキーンと鳴る。

俺の首に腕を回し、腰に足を絡め、完全にロックしている。


「ぐ、苦しい……離れろ、ロミア」


「やだ!離さない!この数十分、○○くんがいなくてロミアの世界は無音だったの!

酸素不足だったの!今すぐ愛を補充しないと窒息して死んじゃう!」


無音だったのはお前の周りだけだ。

こっちは今、爆音で死にかけている。


引き剥がそうとするが、力が強い。

華奢な見た目に反して、火事場の馬鹿力というか、一度掴んだら絶対に離さないという執念が指先に宿っている。


「予鈴鳴ったぞ!教室入るから降りろ!」


「このまま入る!絶対降りない!○○くんの成分を経皮吸収※するの!」

※皮膚を通して成分が体内吸収されること、湿布とか塗り薬とか。


「怖いこと言うな!」



結局、俺はロミアを正面にぶら下げたまま、這うようにして教室のドアを開けた。

担任の先生は俺たちを見て、無言で出席簿に目を落とした。

慣れとは恐ろしい。



~~~



一時間目の休み時間。

俺が教科書を机にしまうより早く、ロミアが視界を埋め尽くす。


「ねえねえねえ!一時間目のロミア、どうだった!?静かに座ってて偉かったよね!?ノーベル平和賞ものだよね!?」


「ただ座ってただけだろ……」


「それだよ!ロミアが!一言も発さずに!座ってたんだよ!?奇跡じゃん!褒めて!頭撫でて!今すぐ!」


机をバンバン叩きながら主張してくる。

そのテンションの高さは、ジェットコースターの頂点から降りてこない感じだ。

周囲のクラスメイトは「また始まった」という顔で耳栓代わりのイヤホンを装着し始めている。



「はいはい、偉い偉い」


適当に頭を撫でると、ロミアは「んあぁぁぁ~!」と謎の奇声を上げて仰け反った。

喜びの表現が激しすぎる。

そのまま俺の腕にしがみつき、頬をすり寄せてくる摩擦熱がすごい。


「○○くんの手、最高……このまま保存したい……ホルマリン漬けにしたい……」


「猟奇的な愛はやめてくれ」



~~~



そして昼休み。

俺が弁当箱を開けた瞬間、ロミアの顔がニュッと横から割り込んできた。


「卵焼き発見!確保します!」


「あ、おい」


光の速さだった。俺の卵焼きが、一瞬でロミアの口内へと消える。


「ん~!おいし~!○○くんの家の味がする~!毎日食べたい~!あーんして~!」


「お前、自分の弁当あるだろ」


「人のモノの方が美味しく見えるの!特に○○くんが食べようとしてたモノは、ロミアが摂取しなきゃいけない義務があるの!」


わけのわからない理屈を叫びながら、ロミアは俺の椅子に無理やり相席してくる。


狭い。暑い。うるさい。

俺のパーソナルスペースは完全に崩壊し、ミントグリーンの髪が顔にバシバシ当たる。


「ねえ、午後の体育も見学していい?ずっと○○くんのこと応援してるから!メガホン持って!横断幕作って!」


「やめろ、絶対やるな。普通に授業受けろ」


「えー!ロミアの愛の叫びを聞かせたいのに!みんなに!鼓膜が破れるくらい!」


こいつの辞書に「加減」という言葉はないのか。

俺はため息をつきながら、ロミアによって強奪されたおかずのスペースを見つめた。



蝶のように舞う?


いや、今のこいつは、どう見ても夏の盛りに全力で鳴き叫び、命を燃やし尽くそうとしている「何か」だ。

ただ、その正体を認めてしまうと、俺の高校生活が終わる気がして、俺は黙って白米をかきこんだ。

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