第十三章:肯定という餌と肥料

昼下がりの空気は妙に澄んでいた。

春の終わり、俺はロミアに呼び出されて、珍しく彼女の家までついていくことになった。

いつもの元気な「○○くん!」の声じゃなく、静かに「来てほしい」とだけLINEが来たからだ。



部屋に入ると、ロミアは机に置いてあった蝶のシュシュを手に取り、じっと見つめていた。


結び目は何度も何度もほどいては結ばれた跡がある。


ロミアは最近、俺と過ごす時間が長くなるにつれて、自分の気持ちを少しずつ言葉にするようになっていた。

『○○くん、家族に本当の自分を見せたら、どうなるかな……』って、夜中にぽつりと呟く日が増えた。

あの家で育ったロミアにとって、両親に話すのは最大の勇気が必要だった。

なぜなら、幼い頃から『明るいロミア』しか認めてもらえなかったから。

でも、俺が『お前は本当の自分でいい』って言い続けたおかげで、ついに決意したみたいだ。

両親の冷たい反応は、きっと仕事のストレスや、昔の自分の失敗をロミアに投影してるせいなんだろう。

母親も昔、似たような無関心な家庭で育ったって、後でロミアから聞いた。


「ね、○○くん……今日だけは、ちゃんと“自分”でいたいの」


「わかった」


「……いっしょにいてくれたら、たぶん大丈夫だから」


そう言って、ロミアはリビングに戻る。俺も小さく頷いてその後を追う。

そこには、ロミアの両親が揃ってテレビを見ていた。

母親はちらりとロミアを見たが、すぐに画面に目を戻す。

父親は新聞を読みながら、俺たちに軽く頷くだけ。


「……お母さん、お父さん」


ロミアの声が、いつもよりずっと低くて静かだった。両親が同時に顔を上げる。


「なに?ロミア、学校でまた何かあったの?」


「ううん、そうじゃなくて……ロミアね、話したいことがあるの」


「何よ急に」


母親が眉をひそめる。

父親は無言のまま、続きを促すように首をかしげた。


ロミアは、指先でシュシュをきゅっと握りしめる。

それから、一度深呼吸をして、まっすぐに両親を見つめた。


「ロミア、もう“えらいね”を聞くために生きてるんじゃないんだ。

……明るくしてても、褒められても、それだけじゃ、ロミア、嬉しくない」


両親はしばらく沈黙した。

母親は困ったように「何言ってるの?みんなに愛されてるのに」と笑う。

でもその笑顔は薄っぺらく、どこか他人事だ。


「今までずっとロミアは“明るいロミア”じゃないとここにいちゃいけないって思ってた。

 でも、○○くんと一緒にいて、頑張らない自分でも誰かのそばにいていいんだって初めて知ったの。

 ……もう、誰かのためだけに、無理して笑ったり、元気なふりしたりしないよ。

 ロミアは、ロミア自身でいたい」


言葉の端々が震えている。でも、その声は真っ直ぐだった。


母親は困ったように『何言ってるの?みんなに愛されてるのに』と笑うけど、その目はどこか疲れていた。

仕事で毎日遅くまで残業してる母親にとって、ロミアの『明るさ』はただの安心材料だったんだろう


「本当のロミアを見てほしいの。本当は、弱くて、面倒で、すぐ泣きたくなっちゃうロミアも──

 ここにいていいんだって。だから、これからは“ロミア”として、自分のために生きたい。

 ○○くんも、そう言ってくれたから」



一瞬、部屋の空気が止まったみたいになる。父親は黙ったまま新聞を畳み、静かに「……分かった」とだけ言った。

母親は少し涙ぐんでいた。

ロミアが母親の手を握ると、母親は初めてロミアを“子ども”として見たような目をした。



「ありがとう、ロミア」


その言葉は、今までとは違う重さがあった。


部屋に戻ると、ロミアはふうっと息を吐いた。

肩の力が抜けて、膝の上に手を置いたまま俺を見上げる。


「……すっごい、怖かった。でも、言えた」


「よく頑張ったな」


「ねえ、○○くん。ロミア、これからは自分のことをもっと好きになってもいい?」


「もちろんだよ」


ロミアはうれしそうに微笑んで、俺の腕に顔をうずめた。

涙が頬に伝う。でも、その涙は悲しいものじゃなかった。

たぶん、やっと“自分”のために流せたものだった。


「○○くんがいてくれるから、ロミア、頑張らなくてもちゃんとここにいられる。……ありがとう」


「これからも、ずっと隣にいるよ」


ロミアは、サイドテールの髪をふわりと撫でながら、小さく「うん」と呟いた。

その横顔には、はじめて見る穏やかな光が宿っていた。



部屋の引き出しの中で、蝶のシュシュが静かに眠っている。



もう、“頑張らないロミア”がそこにいる証明だ。

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