第十章:炎上する花弁

春の終わりが近づく頃だった。



昼休み、クラスの隅でノートを広げていると、ロミアが俺の右隣にぴたりと座り込む。


もちろん、今日も手首にはロミア手製の蝶のシュシュ。

ロミアは俺の腕をじっと見て、満足そうに小さく頷いた。


「○○くん、ねえねえ、お昼一緒に食べよ?」


そう言いながら、俺の机にお弁当を並べていく。

最近はこうして、毎日必ず“俺の隣”を死守してくる。今日も相変わらず、ウザ可愛いテンションだ。



だけど、その日だけはいつもと違った。



チャイムが鳴って間もなく、幼馴染の咲が教室に入ってきた。

咲は昔から明るくて、けれど俺の前ではどこか遠慮がちだった。

彼女がゆっくりと俺に歩み寄ってくる。その手には、小さなラッピング袋。



「……○○、ちょっと話せる?」



教室の空気が一気に変わった。

クラスメイトの目線も刺さる。

ロミアも一瞬、口元を引きつらせたが、すぐに「ロミアも行くー!」と笑顔を貼り付けようとした。


「ごめん、ロミアちゃん、二人で話したいんだ」


咲がはっきりそう言い切るのを、俺は初めて見た。

ロミアの顔から一瞬で血の気が引く。


「……そっか。ロミアは、ここで待ってるから」


ロミアは作り笑いでそう言って、俺を見送る。

けれど、視線は俺の手首の蝶の飾りに突き刺さったままだ。



~~~



廊下の片隅、咲は意を決したように告白してきた。


小さな声で「ずっと好きだった」と。


俺は一瞬、言葉に詰まった。

ロミアの過剰なまでの感情を、咲の静かでまっすぐな好意は、あまりにも眩しく、そして遅すぎた。


「……咲、ごめん」


俺はそう切り出すと、視線をふと教室の方へ向けた。

ロミアが座っているはずの席の方向だ。


「俺、アイツがいるから、誰かと付き合うなんて考えられない」


小さな声だった。

ロミアに聞かれたくなかったわけじゃない。

ただ、それが俺の偽りのない気持ちになっていた。


咲は、俺のその一言だけを聞いて、悟ったように静かに笑った。


そして、小さなラッピング袋を俺に押し付け、「気にしないで」とだけ告げて、静かにその場を離れた。



~~~



俺が教室に戻ると、そこには誰もいなかった。

いや、クラスメイトはいる。

だが、いるはずのロミアの姿だけが、ぽっかりと消えていた。


机の上には、食べかけのお弁当と、彼女のミント色のペンケースが転がっているだけ。


「ロミアは?」近くの女子に聞くと、「さっき、すごい顔して走って出ていったよ?」と戸惑った顔で答えた。



胸騒ぎがした。



LINEを送っても既読にならない。電話をかけても、コール音が虚しく響くだけ。

学校中を探した。屋上、空き教室、体育館裏。どこにもいない。



放課後のチャイムが鳴り、外がオレンジ色に染まり始める。

焦りと罪悪感で頭がぐちゃぐちゃになりかけた時、ふと、あの場所が頭に浮かんだ。


「……あそこしか、ないかもしれない」


俺は学校を飛び出し、全力で走った。記憶がフラッシュバックする。

あの日、ロミアが「義務」の拍手を手に入れた、あの場所へ。



~~~



夕日に染まる、幼稚園の近くの公園。

滑り台もブランコも、あの頃のままだ。

そして、砂場の隅に、ロミアはいた。


制服のまま、膝を抱えてうずくまっている。

いつもの鮮やかなミントグリーンのサイドテールが、夕日を吸って、くすんだ色に見えた。



俺が息を切らして近づいても、ロミアは顔を上げない。

ただ、その手元だけが、何かを執拗にいじっていた。

それは、彼女がいつも髪につけていた、あの蝶の飾りだった。


ロミアはそれを、砂まみれの手で、何度も何度も引きちぎろうとしていた。


「……○○くんはロミアだけの○○くんだよね?」


泣き声じゃなかった。

ひどく静かで、冷たく、砂を擦るような声だった。


「どうして……どうして他の子が、○○くんのことっ……!」


「ロミア以外が○○くんのこと好きって言っちゃダメなの」

「ロミア、こんなに頑張ってるのに」

「ずっと、ずっと隣にいるもん!」



「それ以外は、ぜんぶ、ぜんぶ──いらないのにっ!」



ロミアはゆっくりと顔を上げた。その瞳はいつものキラキラじゃない。

剥き出しの執着だけが、そこにあった。彼女は、俺の手首のシュシュを睨みつけた。


「それも、これも、ぜんぶ、いらない」


彼女がお気に入りと言っていたアクセサリーが、パキッと音を立てて割れた。


俺はロミアの冷たくなった手を、強く握った。


「落ち着けよ、ロミア」


「やだ……やだよ、落ち着けない……!」


その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、ロミアは子供のように大声で泣き出した。

静かな狂気から、いつもの剥き出しの感情に戻った。

俺の腕にしがみつき、そのまま床にへたり込む。


「ロミア、こわい。○○くんがいなくなったら、どうしたらいいかわかんない。

 だめなの、もうだめなの……!」


嗚咽が夕暮れの園庭に響く。俺はロミアの頭をそっと撫でた。

彼女の激しさも、涙も、不安も──すべて俺が受け止めるしかない。


「ロミア、お前のこと、嫌いにはならないよ」


そう言うと、ロミアは泣き顔のまま俺を見上げた。


「ほんと?」


「ほんとだよ」


それだけで、ロミアはまた小さく「うわぁん」と泣いた。

けれど、その笑顔は弱々しく、幼い子供のようだった。



「ロミアだけだって、ずっと言ってて……○○くん。ロミア、壊れてもいいから」



その言葉が、なぜか俺の胸に深く刺さった。

俺は、砂まみれのロミアを強く抱きしめた。

彼女の強すぎる愛情を、正面から受け止める覚悟が、ほんの少しだけ、できた気がした。



次の昼休みから、ロミアはさらに俺にべったりとくっついて離れなくなった。

シュシュは、もはやロミア自身の“存在証明”になっていた。



俺は、彼女の強すぎる愛情を、正面から抱きしめる覚悟を、ほんの少しだけ持ち始めていた。

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