第七章:根が腐るか葉が腐るか

ロミアの家に行くのは、なんだかんだで初めてだった。

クラスメイトたちから「陽キャの家は毎日パーティだぞ」とか「ロミアの家、兄弟いっぱいいるらしい」なんて根も葉もない噂を聞いていたが、実際は拍子抜けするほど静かだった。


「ただいまー!」


玄関のドアが閉まると、室内は一瞬にしてシンとした。

リビングには、きれいに並んだソファとテレビ。

けれど家の中に家族の気配がまるでない。

ロミアの母親が、キッチンの奥で冷蔵庫のドアを閉める音がするだけだ。


「ママー!○○くん連れてきたよー!」


「あら、お帰りなさい。おやつは勝手に食べていいわよ」


返ってきたのは、それだけだった。

ロミアは俺の袖を引っ張って部屋の中へと連れていく。


「見てー!ロミアの部屋、めっちゃかわいいでしょ!」


壁には無数の写真やカラフルなガーランド、蝶のステッカー。

ベッドの上にはでっかいクマのぬいぐるみ。明るくてポップな空間だ。

だけど、どこか──人工的な明るさだと感じた。


「……家、静かなんだな」


「うん。ママもパパも、お仕事とスマホとテレビばっか……」


ロミアはそう言って笑った。

でも、その笑顔はガラス細工みたいに繊細で、壊れそうだった。


しばらく話していると、リビングから父親の帰宅する音がした。ロミアがリビングへ向かって叫ぶ。


「パパー!今日ね、ロミア、学校でダンス褒められたんだよ!」


「よかったな」


父親はロミアのほうを一瞬だけ見て、すぐにテレビのリモコンを握る。

母親もキッチンの流しで手を止めず、ロミアの話に「うん」「よかったね」と適当に相槌を打つだけだった。


ロミアは構わず俺の腕をぎゅっと掴んで、「ほら、○○くん!ね?ロミア、えらいでしょ?ダンスだってすっごく上手だったんだから!」と俺にまで自慢する。


「……そうか、すごいな」


「えへへ~、褒められるの大好き!」



一見、何の変哲もない家族の風景。

でも俺はそこに「温度」がないことに気づいた。誰も本当にロミアを見ていない。

ただ、明るく騒ぐ「陽キャロミア」というキャラクターだけが必要とされている。



~~~



自室に戻ると、ロミアはベッドにダイブして、両手両足を大の字に広げた。


「ふぅ~、今日もがんばった!」


「……毎日こんな感じなのか?」


「うん。ロミアが静かにしてると、誰も気づいてくれないんだ」


「……寂しくねぇか?」


ロミアはくるっと俺のほうを向き、無理やり笑顔を作る。


「大丈夫だよ!だってロミア、明るい子だもん!明るくしてれば、誰か絶対見てくれるし!」


俺はベッドの端に腰掛け、ロミアの側頭部をそっと撫でた。

ロミアは一瞬目を閉じてから、子どものような声で呟く。


「○○くん、もしロミアが明るくなかったら……見てくれない?」


「そんなことない」


「……嘘」


ロミアはぽつりと言った。


「小さいときからずっと、明るくしてなきゃダメって思ってた。

 騒いで笑って、先生やママに褒められた時だけ、ロミアは“生きてていい”って思えた。

 でも、それ以外のときは、空気みたいに透明で──誰にも気づかれなかった」


ロミアの声がだんだんかすれていく。涙をこらえるように鼻をすすりながら、手で顔を隠す。


「ごめんね。ロミア、うるさい子でごめん。○○くんまで困らせちゃって、ごめん……」


「謝るなよ。お前は悪くねぇよ」


俺はそう言って、ロミアの手をぎゅっと握った。


「騒いでなくても、ロミアのことちゃんと見てるから。

 俺は、明るいロミアも、静かなロミアも、全部知ってるし、好きだと思うから」


ロミアは顔を上げ、しばらくじっと俺の目を見つめていた。やがて、弱々しく微笑んだ。


「……ほんとに!?」


「ああ。ほんとだ」


その瞬間、リビングから母親の声が飛んできた。


「ロミア、静かにしなさい!」


「……はい」


ロミアはしゅんとしてベッドに転がった。俺はその小さな背中を見て、胸の奥が苦しくなった。


この家にあるのは、「陽キャロミア」というキャラだけ。

 本当の彼女には、誰も目を向けていない。

俺は心の中で、怒りにも似た感情がじわじわ湧いてくるのを感じた。


「ね、○○くん」


ロミアが、小さな声で囁く。


「わたしが騒がないと、誰もロミアに触れてもくれないの。

静かだと、ほんとに空気みたいになっちゃう。怖いんだ……」


「俺はお前のこと、ちゃんと触れるよ」


「……ありがとう」



その日、ロミアは珍しく静かなまま俺の腕にしがみつき、子どものように眠ってしまった。

俺はその髪をそっと撫で、緑色のサイドテールの中に、小さな蝶の飾りがきらきらと光るのを見つめていた。



誰も気づかない「暴力」は、静かにこの家を満たしている。

けれど俺だけは、ロミアの全部を知りたいと強く思った。


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